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何も考えずに気楽に生きたいなァ

今日も一日息してて偉いな私。

就活の面接で面接官が聞きたいのはあなたが困難にぶつかった時にどのようにそれを乗り越えたか、です。決して何ができるようになったとか結果が聞きたいわけではなくてプロセスを聞きたいんです。

って言われたんですけど、乗り越えたという結果を要求している時点でそれはもう過程ではないと思うんだなあ。いやー、分かる。分かるけどね。私が面接官でも「こんなことができるようになりました!」とかよりも、「苦労したけど頑張って乗り越えました!」っていう経験を話してくれる子の方が、課題解決能力とか、突破力とか、忍耐力とか、試行錯誤を繰り返す能力とかありそうだし。

困難にぶつかったことは山ほどあるけど乗り越えたことなんて片手で足りるくらいしかない。小中学校であるあるな人間関係で上手くいかなかった時も自分と合わない人とか、自分の話を聞き入れてくれない人とどうやってうまくやっていけばいいか分からなかったし、分からないまま卒業して会わなくなったから解決した。大学も自分と全く違う人とどうやったら分かり合えるのか分からなくて、結局それを乗り越えられなくて部活は辞めたしバイトも主婦のおばさんと上手くやれなくて辞めた。

嫌な人、合わない人と一緒にいて学ぶことは多かった。自分が思うより人は私の事を嫌ってなんかいないこと、言葉の扱い方は人それぞれなこと、自分が人を傷つけているかどうかなんて簡単には気づけなかったりすること、一緒にいる人なんていくらでも選べること、自分の事を認めてくれる人を素敵な友達だと認識していること、どう頑張っても人の話を聞き入れない人もいるということ

たくさん学んだけど、それでもやっぱり乗り越えられなかったことに変わりはないし、ああ私って今までの人生何してたんだろうなって思った。

生きてるだけで学びは得られる。いろんなことに思考を巡らせるだけで知見はいくらでも生み出せる。それでも、「困難を乗り越える経験」はのほほんと生きているだけでは得られないんだってばよ。

こんなに頑張らないと社会に出てご飯を食べていけないのかと思うと絶望しちゃう。

そんなに贅沢じゃなくていいからささやかな生活を営んでいきたいし、ご飯を食べていくにあたって、自分がお金を稼げるだけじゃなくてそれが社会を良くすることにつながったらいいなとも思う。でもそう思っていても、嫌なことから逃げず、乗り越えるという一連のプロセスをあまり経験していないというだけで働けないと言われると、みんな気楽そうに生きてるように見えるのに、私はその見た目に騙されて私だけがまんまと気楽に生きて、みんなは実は能動的に何かに向かって頑張ってたのかなと思う。


テスト前に全然勉強してないやばい!って言っといて実は点数採れる現象は大人になっても起きるんですねえ

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