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「働きたくない」と生きる

気がついたら前職を退職してから1年以上経っていた。ニュージーランドで数ヶ月働きはしたものの、ほぼ無職生活を1年間続けてきたことになる。

退職間際は会社に行くこと自体がしんどくなっていて、でもしばらく休めば働く気持ちが出てくるかもなんて思っていた。

ところが1年経った今も、驚くほどに働きたいという気持ちが湧かないのだ。

これは計算外だった。ニュージーランドで週3とはいえ楽しく働くことができた経験を手に入れて帰ってきたはずなのに、就活を始めてみたら一瞬でその意欲が流れ去っていった。

なぜだろうと考えた結果、私は「働く」問題を置き去りにしていたからだと気づいた。なぜあんなにも働くのがしんどかったのか、社会に適合できていないと感じてしまったのか、自分の中で解決しないまま逃げるようにニュージーランドへ渡航したからだ。

そこに向き合う覚悟の上で帰国したのだが、思ったよりも自分の「働きたくない」という気持ちが根深い。なんでそんなに!!と腹立たしいほどに。

ちなみに私はまだ1社でしか働いたことがない。これは、初めて人と付き合って「もう恋なんてしたくない!」と言っている人と同じだ。今となってはその気持ちもちょっと分かる。が、友達が同じことを言っていたら「N=1で結論出すのは早まりすぎでは…!」と思ってしまう。

「失恋の傷を癒すのは新しい恋」なんて言われることがあるが、それならば仕事で負った傷は新しい仕事でしか癒せないのか。

と思ったが、そもそも私は「働きたくない」と言いながら仕事を探しているではないか。ということは、まだ働くことを諦められていないのかもしれない。諦めていたら、どうやって働かずに生きていくかを必死に考えるはずだから。

そして、働くことに対するやる気が1年経っても湧かないのであれば、今後も湧くことはあるまい。もうそれはしょうがない。無職の日々は豊かだったし、自分は散歩と読書と家ごはんで幸せを感じられることも分かった。この経験は、次働くときのセーフティーネットになるんじゃないだろうか。

だからもう、「働きたくない」気持ちとともに生きていくしかないのだ。いつか働くのが楽しいと思える日が来るのかもしれないけれど、そこに期待して再び絶望したら、二度と働けない気がする。

「働きたくない」ってライトな言葉だけれど、一度深刻さを帯びてしまうと自分の中でその感情が煮詰まってしまう。そして「この気持ちは誰にも分かってもらえないんだろうな」なんて思い始めてしまう。

その気持ちを解消するでも乗り越えるでもなく、共存する方法を探していきたいなと思う。

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