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コロナ禍、被災、経済難……800年前の名随筆が、令和の今こそ読まれるべき理由『漫画方丈記 日本最古の災害文学』

【レビュアー/兎来栄寿

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

鴨長明が記した『方丈記』の書き出しの文章、国語の時間に覚えた方も多いことでしょう。

しかし、全文までは読んでないという方が大半ではないでしょうか。実は『方丈記』は原稿用紙にして約25枚分と短く、そこまで労力を要せず読めるのです。そしてその内容はまったく古びておらず、むしろ混迷を極める現代こそ改めて読む価値があります。

とはいえなかなか長い文章は、ましてや古文は読めない……という方にうってつけなのが、最近発売された『漫画方丈記 日本最古の災害文学』です。

これならば、親しみやすく、それでいてしっかりと『方丈記』の精髄に触れられると思います。

『方丈記』の時代と今の共通点

800年以上前、『方丈記』が執筆された時代は、火災・竜巻・地震・津波など天災が非常に多く起こり、また、平家が中心の世の中で悪政や戦乱も絶えなかった時代でした。流行り病や大飢饉もあり、民衆は非常に苦しんでいました。

天災、疫病、経済難……。

これらはすべて、現代日本においても人々の苦悩を生み出し続けているものです。正に「歴史は繰り返す」。

鴨長明がこうした事象を目の当たりにして、「無常感」を、「当たり前に存在し続けて変わらないものなどないのだ」ということを痛感したのは、非常によくわかる話です。

私たち自身も、大震災やコロナ禍などを通して、これまでの世界の常識が覆るような体験を繰り返して生きています。

たとえ世界有数の平和な国である日本でも、いつ何時、突然命を失ってしまうような事態が起こり得るかは誰にも計り知れません。それ故に、鴨長明の紡いだ言葉はひとつの真理として心の奥底まで浸透してくるのです。

鴨長明の生き方

鴨長明は、その名前の通り朝廷とも縁の深い名門である下鴨神社の神官の子供として生まれました。しかし、幼くして母を亡くし、18歳の時に父親も亡くします。その後妻子ができましたが、神官になる出世の道を妨げられたのを機に別れ、そのまま生涯独身でした。

「すべて、世の中のありにくく、わが身とすみかとの、はかなく、あだなるさま、また、かくのごとし」

とかくこの世は生きづらいものだ、と鴨長明は語ります。

身分の高い人も低い人も相応の悩みがあり、都に住む人にも田舎に住む人にも悩みがあり、孤独な人も守るべき者がいる人も悩みがあり、常識に囚われても外れても悩みがある。さまざまな立場を経た鴨長明だからこそ、人並み以上に様々な人の気持ちが理解できたことでしょう。

人間社会だけでも悩みは尽きないというのに、加えて自然のもたらす数々の災い。真面目に一生懸命生きていたとしても、人生は理不尽に見舞われることが数多くあります。この辺りは手塚治虫の『ブッダ』でも語られている「人生とは苦と寄り添うもの」というテーマにも通じます。

「どんな所に住みどんなことをすればこの人生を穏やかに心を休めることができるのだろう」と綴った鴨長明は最終的に人里離れた山中に最低限の大きさと物だけを揃えた質素な居を構えます。

社会の柵から解放され誰にも邪魔されず、ゆっくりと休みたい時には休み、心赴くままに誰に聞かせるでもなく自分のために楽器を奏で、四季折々の美しい自然に嘆息しながら歌を詠み、筆を走らせる…。

こんな豊かな暮らしがあるでしょうか。

私も最終的には山奥に隠棲して漫画の山にも囲まれながら、日々自然の中で読書をして静かに暮らしたいという願望を持っているので、鴨長明の晩年には強い憧れを抱きます。

鴨長明は、決して清廉潔白な聖人ではありませんでした。人並みに出世欲があり、仏事も怠けることもありました。

晩年の自身の執着や欲望から解放されたような生活も、見方を変えればそれ自体がある種の執着ではないかと自問します。しかし、そんな等身大の人間が至った素朴な想いであるからこそ、今を生きる普通の人間である私たちにも時代を越えて響く物がたくさんあるのです。

この本を読むことで、息をするのが少し楽になる人がたくさんいるでしょう。

もうひとつの漫画版『方丈記』との比較

実は、あの水木しげるさんも『方丈記』をこよなく愛していました。

水木しげるさんは第二次世界大戦で出兵する前に『方丈記』を読み、死地に向かう時の心持ちとして沁み渡ったといいます。そして後年に、水木しげる版『方丈記』を漫画としても描き著しています。

元の版や文庫版は電子化されていないですが、『水木しげる大全集』に収録されており、そちらは電子でも読むことができます。

水木しげる版『方丈記』は、自身が語り部となり鴨長明との対話も挟みながら、より当時の歴史的背景にフォーカスして崇徳院の死から遷都、壇ノ浦の戦いなど歴史の教科書で学んだ事柄についても詳細に描いています。

平清盛が敢行しようとして半年で挫折した福原への遷都によって民衆がどれほど振り回され疲弊させられたか、そうした時代の中で鴨長明が何を想い筆を執ったのか、などがより伝わってくる内容となっています。

一方で、『漫画方丈記 日本最古の災害文学』は、より「令和の今読むべき」という点を切り拓いてフィーチャーしています。

「ミニマリスト、断捨離、自分探し、生きづらさの原点は『方丈記』にある」

という帯文は、それを表す最たるもの。こんな時代だからこそ再注目して欲しい麗筆として、現代的なテーマと巧みに接続させる編集者の慧眼が見て取れます。また、幕間にはもし鴨長明が現代にいたらというifのギャグ漫画も挟んであるので、より気軽な気持ちで読むことができます。

巻末には『方丈記』の原文も全文掲載されているので、漫画であらましを理解した後に、養老孟司さんによる素晴らしい解説も挟んでから原文を読むことでより一層理解と感慨が深まることでしょう。

自分で読むも良し、子供や教え子に読ませるも良し。

全国の学級文庫に置いて欲しい本がまた増えました。