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#57 「好き」を見失ってた今までのこととこれからのこと

皆さん、3連休はいかがお過ごしでしょうか。
特に私と学び舎を同じくする方々、充実した3連休を過ごせましたか?

私はとんでもなく、それはそれはしんどい3日間を過ごしました♡

ほとんどをベッドの中で過ごし、ああああもう無理いいいい!!!となっていました。

今回はその3日間で得た自分自身についての考えや気づきを、脳内整理のために、ただただここに書き出そうと思っています。
いつもはスマホでぽちぽち書いているんだけど、今日は腰を据えてPCから書いているよ。

実はこの記事、書き直すのは2回目です。
4,000字書いたところで間違って消しちゃったんだよね。(下書き保存してなかった)

***この記事を読むにあたっての注意事項***

1.いつもより長い。書き直しなので初発よりもまとまっているはずだけど、おそらくそれでも纏まりのない文章だよ。

2.途中まあまあ暗いので、今(特に私と一緒に勉強している)メンタル落ちている人は読むことをおすすめしません・・・。

3.今現在の皐月はめちゃくちゃ元気です。かなり復活しました。


ではではこの3連休、激しく浮き沈みしながら考えたことのあれこれ。
読んでくださると、かなり恥ずかしいですが嬉しいな。


ちょっと今私、どこ向かってんの?


土曜日。
何のために頑張り続けているのかがわからなくなって、ぷつんと糸が切れてしまった。

あーーまたこの感覚かーーーー!

ちょっと気分が落ちた時、いつもは頭の中でNewJeansが「おーまいおーまいがー★」と歌うのだけど、今回はそれが全くなかった。
今回のメンタルの調子がそんぐらい可愛いもんじゃなかったってこと。

平日はがっつり勉強して、うおーーーーいい感じ!!!毎日楽しいーーーー!の状態。
休日は打って変わって、意気消沈して泥のように眠る。

これがここ最近の私。
ちょっと病的なので、毎週金曜日の夜が怖い。
恐らく、平日は自分が思っているより気を張って過ごしているのだと思う。

いつも「土日はあれやろーうっと!」と無理のないよう、自分にゆるゆるなスケジュールを立てる。
休みは休みたいしね。

それにも関わらず、いざ休みが来ると、勉強する気力が一気に潰える。
あんなに楽しかった制作も気分が乗らないし、外に出る気力はおろか、大好きな趣味もやる気にならない。
もちろん手つかずのタスクは次の週に回される。

そして月曜日は手のひらを返したように気力が湧いて、またバリバリ勉強して・・・、の繰り返し。

始めは、なんかおかしいなー、でもあんまり自分を責めないでいようにしよ~!と思っていたのだけど、段々とその余裕もなくなってきて、

「あれ・・・?私なんもできないじゃん・・・。もしかして今の勉強、実はやりたくないのかな。楽しいと思っていたけど違うのかな・・・?そもそも私、今やっていること、好きじゃないのか?」

と考えてしまった。

身体の疲労は取れているのだけど、脳内がものすごく忙しなくて、思考がぐるぐる渦巻いている感じ。

健全に「ちょっと休もう!」ができなくなっている自分、
常に何かに急かされている自分、
自分の「楽しい!」「好き!」に自信がなくなってきた自分・・・、

新卒のとき、あまりの多忙さに倒れてしまったことがあった。
その当時感じた「不穏なものにかなり似た何か」が自分を追い詰めていることだけはわかった。

悔しさを燃料に!ラブ!コーディング!


私は今、職業訓練校でWebデザインを勉強している。昨年末からコーディングの授業に入ったのだが、最初はめちゃくちゃに意気消沈していた。

(やっばい・・・全然わかんない★)

イラレやフォトショを使ったロゴマークやヒーローイメージの作成はとても楽しくて、「想いを形で表現する」ことが昔から大好きだった私は「こんな楽しいものがあるのかあ!」と意気揚々としていたのだが・・・。

コーディングは未知の世界。
覚えることが山のようにあるし、何にも面白くない。
初めて自分で作ったHPも「できたーーーー!」という達成感よりも

「は??ナニコレ。だっっっっっっさ。待って、あんなに覚えること覚えて、これ???ちょっと勘弁してよ~~~~~~~~~」

というやるせなさが勝り、
「なんとなく気づいていたわ!自分これ向いてないでーーーす!」
と半ば諦めの状態に入った。そりゃ初めて作ったんだから最初から上手くいくわけがないのに!

でもしばらくして、あまりにも自分のできなさが嫌で嫌で仕方なくて、(隣のkちゃんに「グラフィックの時はもっとイキイキしてたね笑」と言われる始末)、これからについて考えることにした。

ここから卒業までほぼコーディングの授業なのに、諦めるのは勿体なくない?

でも何をモチベーションに頑張ればいいんだろう。

いつもの、「できないこと」への悔しさに火を点けたらええんちゃうか?


こーーなると私は止まらんぜよ。
今までよりは勉強に身が入るようになって、HTMLとCSSを勉強し直した。わかることが増えてきて、少しずつコーディングが楽しくなってきた。

講師の先生が言ってることが「あーーん?何の呪文ですか」状態だったのが理解できるようになり、前より参考書も読めるようになり(脳内のムスカが喜んでた)、ちまちまと進んでいる感覚に喜びを覚えるようになった。

あれ?ちょっとこれ、理解すれば楽しいかもしれない。

あれ?これ、今すぐにとはいかないだろうけど、仕事にするのもありかも!

ここら辺から私は気分がハイになってきて、

「コーディング、たのし~~~~~~~~~!!!!!」

とある意味、無敵状態になっていたのである(躁状態ともいうだろう)。

そんな時である。
私にガツンと効いた言葉が降りかかったのは。

「楽しいのはいいのだけど、何が楽しいのか具体的にわかるといいね」


講師の先生の言葉だった。


楽しさの正体を知り、病む


最初は、
「はーーー?理解できないものが理解できるようになったんだから、楽しいに決まってんじゃん」
と思う程度だった。
なーにを当たり前のことを言ってるんだろう、と。

始めは何も気にしていなかったのだが、どうも頭の片隅にこの言葉が引っ掛かかっていて、ことあるごとに私に問いかける。

コーディングの楽しさの正体ってなんだ?

なんだか、ロゴマークを作っていた時の楽しさとはまた違う。
こっちのほうが純粋にわくわくしていたような気がする。
気がするだけか・・・?

金曜日、帰りの車の中で、悶々と考えた。
週末の疲労もあり、かなり視野が狭まっている中での思考は危険なのにも関わらず、考え出したらキリがなかった。

そして辿り着いた答えは、
コーディング自体が楽しい、というよりも新しい知識が身についた私ってめっちゃいいじゃーん」ということ。

一見とても良いことのように思えるが、気づいてしまった。
この楽しさを得るのは別にコーディングじゃなくてもよくないですか?といういこと。

私はただ、悔しさを燃料に「できない自分」が怖くて頑張っていただけではないですか?ということ。

考えすぎだろうか。
まだまだこれからもコーディングを勉強はし続けたい。
でも、これを学んだ上でやりたいことってなんだろう。
そもそも、本当にコーディングを仕事にしたいの?

うーん、違うかもしんない。
考えれば考えるほど自信がなくなってきた。

あれ?もしかして私、卒業制作のHPのためにコーディングやってるだけになってない?

一番辿り着きたくなかった考えに辿り着いてしまい、私は土曜日、すべてをかなぐり捨てて無事に寝込むのであった・・・。

「お前、フルスイングすぎね?」


話は戻り、土曜日は眠りに眠った。昏々と眠った。
やりたいことは山ほどあったが、そんなもん知るかーーーーーーー!!!!!
思考の渦に呑まれて、眠る。起きる。また思考の渦に呑まれる。
の繰り返し。
すごいですね。ベッドから出てないのに忙しいんです。

自分の好きなことって何?
純粋に「楽しい」って何?
なんだか自分の楽しかったものも、全部「悔しさ」とかそういうものがエネルギー源で、そのものを楽しんでいる感覚ではなかったんじゃないか?
あーやばいやばい自分が信じられなくなってきたーーーーー。

そもそもなぜ自分はこんなに完璧主義なんだろう。
どうしてもっと気楽にものごとを楽しめないのだろう。
え・・・、自分、面倒くさ・・・。
この先もこんな自分を抱えて生きてかなきゃならないの?
え・・・無理、生きづら・・・。
ほんと無理・・・、なんでここに来たんですか・・・?

(今文字に起こして思ったが、とんでもない視野の狭さで笑ってしまう。)


夕方、従兄が家に来た。
ちょうど休みが取れたから、と久方ぶりに帰郷した従兄は同い年。
会うのが本当に久しぶりだったのもあり会話が弾み、飲もう!!ということになった。

いやーこの歳になると思うこと色々あるよねー。
と二人でべろべろになって、なんでこんなに生きづらいんだろうねーという話になった。
私と従兄は性格が全く異なるけど、どちらも周りから「なんでその方向に進むの!?」と言われるような方向に進むような人間で、よく言えば思い切りが良い、悪く言えば極端、といった似た部分がある。

私が後で大事に飲もうとしていた泡盛を飲み干した従兄が、ふと放った一言。

「お前さ~~~~~、いつもフルスイングすぎね?」

はあ?どういうことだよと聞き返すと据わったような目で語りだした。

「あのさ~、お前ほんと何やってんの?
何でそんなに何でもフルスイングなの?
これ、昔から思ってたんだよ。
だってお前、本当はすっげえ繊細じゃん。
その癖に私平気ですが何か?みたいな顔してんじゃん。
お前、フルスイングなのよ常に。
できないことも向いてないこともなんでも全力でやるじゃん。
本当はめちゃくちゃ無理してんのにフルスイング。
しかもわざと、苦しいです!って顔しないじゃん。
だから何考えてるかわかんないって言われるんじゃないの?
無理なもんは無理!!でよくない?
そんな周りとか社会に合わせなくてよくね??
お前、フルスイングすぎね?」


ああああああああああ!!!!!!
やめろやめろやめろやめろ!!!!
痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!
ていうか何回フルスイング言うんよ。

でも全くもってその通りで、ビールを吹き出した。

なんでわかるんだよ~~~~~~泣
やっぱ君さすがだよ~~~~~と30回ぐらい握手した。

酒の力もあって、お互いに俺たちが同い年に生まれたのには意味があるんだ~~~~ありがとう~~~~~泣、と感極まり、最後はへとへとになって解散した。

従兄は関東でアパレルの店長をやっているのだけど、「好き」を純粋に仕事にして、続けている姿羨ましかった。
もちろん様々な苦労があることも知っているけれど、改めていいなあ、と思った。

自分のことをちゃんと見ている人がいて、それがまさかの従兄だとは。
今会えたことに意味があるのだと思う。本当に。


「ダメな自分」を認めよ


日曜日。
二日酔いもあり、再び寝込む。
もう今日は布団の中でひたすら自分と向き合おうと決める。

常にフルスイング状態になってしまう原因を知りたかった。

なーんて書くけど。

わかりきってんだ。
ダメな自分が認められない」ことだって。

そんな自分とちゃんと向き合いたかった。

自分がいつも頑張る理由って、頑張らないと人並みになれないからなんだ。
幼少期からそうだった。
何もできない自分が認められなくて、みんなと一緒になりたくて、頑張ればなんとか並ぶことができたから、勉強も遊びもめちゃくちゃに頑張った。
そうすることでようやく周りと繋がっていられたから。

別に虐められていたわけじゃないし、友達もいたし、不幸だったわけではない。
でも頑張ることが当たり前になっていて、時折「何やってんだろうな~」ってなったり、何が目的か分からなくなったりする。
自分が自分じゃなくなっていく感覚だ。

できない自分がとにかく嫌で、沁みついた「頑張り屋」は、いつのまにか完璧主義に発展していって、大好きな趣味にまで影響を及ぼした。

学校でこそこそ周りに見られないように絵を描く子っていたじゃないですか。
あれ、私です。

「大した絵じゃないから」とか「見られたら変って思われるかも」とか、そんな気持ちがあって誰にも見られたくなくて、でも絵は描きたくてのジレンマ。
本当に心の許せる同じような趣味をもった子にだけ見せて、ようやく承認欲求が満たされる感じ。

でもどこかで、もっと好きなことをのびのびとしたいとずっと思ってた。
誰にも言われたことがないのに、「完璧なものじゃなきゃ見てもらえない」と思ってた。
(ここまで拗らせた原因、本当は何かあるのだろうけど、記憶から消したのかもしれない。わからない。)

ただ素直な気持ちで楽しんでいたものが楽しめなくなったことが辛くて、何度も描くことをやめた。

絵だけじゃない。音楽も、演劇も、好きなものは沢山あった。
これらも「上手くなきゃだめだ」という意識が拭えなくて、楽しいのに、辛かった。
だから、練習やお稽古は周りが心配になるぐらい打ち込んだ。
そのおかげでいい結果が出る。まあまあ嬉しい。
でも全然満足できない。
人に褒められようが、素直に受け止められないし、褒められる身ではないと思っている。
まだまだ足りないと思っている。

いつも自分を縛っていたのはガッチガチの自意識で、横にただただ、純粋に楽しんでいる子がいると、ただただ悔しかったなあ。

頑張ることで積み上げてきたものや、得たものもあるはずだ。
それでもずっと苦しかった。
いつ私はこの苦しさから解放されるんだろう。

ああ、きっと「できない自分」を認められない限り、無理だな。

わかっていたけど、わかりたくなかった。
もっと早く気づきたかったけど、いや、気づいていたのに完全に無視していた。

今からでもできるかな。
みっともない自分とか、できない自分とか、至らない自分を認識して、そのままでも大丈夫だよ、と自分に言ってあげること。

これができるようになったら、私はもっと息がしやすいし、自分が本当に好きな絵や音楽を心から「楽しい」と言えるのかもしれない。
「好きなもの」を何の躊躇いもなく「好き」と言えるかもしれない。

余計なプライドなんかなくなれば、「気持ちを表現すること」を諦めないで済むのかもしれない。



やっぱり「好き」を仕事にしたい


月曜日。
気分転換が必要だ、と思った。
そりゃー鬱々と2日も引きこもってたらじっとしてるのも、飽きる。

韓国料理の店に行って、サムギョプサルを食べた。
あ~~~、美味しい。
美味しいものを食べているときっていちいち「なぜ美味しいのだろう」とか考えないのにな。
「もっと美味しいものを食べなきゃ」とか思わないのにな。

「好きなこと」って本来こういうものだったよな。
ただただ楽しくて、心が満たされるものだったよな。

***

とりあえずコーディングの勉強は今まで通り続けることにした。

・できなくても大きく落ち込まないこと。
・前よりできるようになったという事実のみを受け止めること。
・「楽しい」という感情は疑わないこと。

を意識していこうと思った。
これはコーディングだけじゃなくて、趣味でもなんでも言えること。

「できるようにならなきゃ!」とか「好きにならなきゃ!」という心の声がしたら、一度立ち止まってみよう。
心の声は存外、素直だ。
何がそう思わせているのか少し考えてみよう。

そして私は現在求職中の身。

今までは、自分ができることで探さなきゃ、という気持ちで選んでいたけれど、自分の「好き」に素直になって仕事を選ぼうと思う。

ほんっっっと、就活って大嫌いで(好きな人いるのかしら)、なぜって「自分のできなさ」と嫌でも向き合うからなんだよね。
好きなことでも「できないこと」ばかりに目を向けていた自分だから尚更。

仕事選びに関しては今までずっとぐるぐる頭だけで考えていた。
世間体とか、将来性とか、給料とか。
もちろんどれも大事だけれど、「こうあるべき」という考えで選ぶと、どこかで無理が祟って生きた心地がしなくなってしまう。

本来私はものすごく感覚派の人間なのに、やりたい!という仕事があっても、怖くて飛びつけなかった。

今やってる勉強やこれまでの経験から「今の自分ができること」に縛られた選択をするのではなく、自分の価値観や、好きなことに素直になって選びたい。
次は、心からこれだ!と思う仕事をしたい。

相変わらず、まだまだふわっっとしているけれども・・・。


・誰かのために自分の「好き」を磨き続けることができる仕事。
・人と関わる仕事。
・目に見えない不特定多数の相手よりも、目の前の相手と向き合える仕事。
・人の悩みや課題に向き合える仕事。

が私のやりたい仕事だ。
これが満たされれば、幸せに働けるんじゃないかな。

ここではまだ書かないけど、10年後までに叶えたい夢があったんだった。
その仕事は上記の4つ、全てを満たしている。
どこかで「私じゃ無理かも」と思っていたから、諦めかけていた。

何なら目の前の「やらなきゃいけないこと」に焦点を当てすぎて、見えなくなっていたし、そうすることで逃げていたかも。
ちょっとーーーー!!!!!!!!何やってんの!!!!

それでも今すぐに!というのはどうあがいても残念ながら叶わないから、その夢に繋がる仕事を探していくことになる。
そう考えたら、少しだけ視野が開けてきた気がする。




絶対うまくいく必要なんてないから。
失敗しても大丈夫だから。
等身大の自分を愛せるようになろうよ。

この3日間、とんでもなく落ち込んでよかった。

「ダメな自分」を抱きしめながら、自分のペースで、私は進んでいく。





ここまで読んでくださってありがとうございました。
自分でも引くぐらい支離滅裂な文章だなーと思います。
今の気持ちを大切に、とことん素直に書くことに重点を置きました。
たまにはこういう長ったらしいのもいいかもね、と思いました。

ゆっくり休もう。また明日。














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