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日常を取り戻すために一番必要なものを考えてみた


日本医師会「学校閉鎖は効果が薄くデメリットの方が大きい」


5月15日、日本医師会のHPで以下の記事が発表されました。

小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状

森内 浩幸 長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 小児科学 教授
岡田 賢司 福岡看護大学 教授福岡歯科大学医科歯科総合病院 予防接種センター長

注目すべき部位を抜粋します。

学校や保育施設の閉鎖は流行阻止効果に乏しく、逆にCOVID-19死亡率を高める可能性が推定されている。
教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしており、小児に関してはCOVID-19関連健康被害の方が問題と思われる。

学校や保育施設を一斉に閉鎖しても、感染拡大を阻止する効果は乏しいどころか、体力低下により危険性を高める。子どもに対しては「学校閉鎖に伴う心身の影響」の方が重大である。とのことです。

もう学校は一斉登校開始で良いのでは?

COVID-19の全容は未だ明らかになっておらず、医師の間でも意見が分かれています。よって上記の記事が全て正しいとは思いません。しかし現時点では子どもの死亡、重症化のリスクが低いことは明らかで、将来に渡って重大な影響を出してまで学校を閉鎖することに合理性があるのかは大きな疑問です。

一斉登校を開始しても、おそらく子どもが死亡する確率は0.01%以下でしょう。
対して、一斉登校の停止や各大会の中止に伴い子どもの成長や将来に影響が出る確率は100%です。

「大したことなかった」って本当に受け入れられるのか?

ここで1月~2月頃に、耳にタコが出来るほど聞かされたセリフを思い出してみましょう。

「大げさなくらい対策して、それで何もなかったらそれが一番良いんだから」

リスクがある以上は徹底的に対策を行い、それが大げさだったとしても後から笑い話にすれば良い。だから対策は徹底的にしよう!と皆言っていました。政治家もマスコミも身近な人も皆言っていました。

今になって思うのですが、3月以降の自粛政策に伴い日本人はあまりにも多くのものを犠牲にしてきました。

これだけの犠牲を払った上で、もし仮に「やっぱり大したことなかったです」と言われても、本当に受け入れられるんでしょうか?

仕事を失い人生が破綻し、自殺してしまった人も居ます。一生に一度しかない学生時代の夢を諦めた子も沢山います。生涯最高の思い出になるはずだった結婚式を中止した人もいます。

これらは全て「それくらいしないとヤバい病気なんだから仕方ない」という思いがあったから、苦渋の決断で受け入れてきたはずです。

COVID-19の全容が明らかになるにつれて、「少なくとも日本人は低リスク」「休校とかイベント中止は必要なかった」と明らかになってきたとします。

かつては皆そう言われることを望んでいいたはずなのに、今更「大げさだったね」と笑って済ませられる度量が本当にあるのか?すごく興味があります。

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「大げさだった」と認めねば日常は戻らない

政府は緊急事態宣言を解除しても、「新しい生活様式」とやらをずっと続けるよう訴えています。まあマスクや手洗いうがいくらいは続けるべきでしょう。しかし大規模イベント自粛、ソーシャルディスタンス、飲み会自粛なんて本当にいつまで続けるつもりなんでしょうか?

COVID-19についての研究が進むにつれて、少なくとも日本人は「そこまでする必要は無い」と明らかになってきていると思います。

しかしこれだけの犠牲を払って自粛を続けてきた以上、今更「自粛の必要なし」なんて感情的に認められない状態になってしまっているのでは無いでしょうか?

こうなると、もはや永遠に自粛生活から逃れられなくなってしまいます。自粛で失ったモノが多いほど、自粛の必要性を強調しなければ収まりが付かない。

我々がコロナ禍から日常を取り戻すためには、自粛の犠牲を受け入れた上で「自粛の必要なし」と受け入れる勇気が必要です。

もし仮に、医学的に「インフルと同じ扱いで大丈夫」と結論付けられたとしても、大衆がそれを受け入れられなければコロナ禍は終わらないのです。

「大げさ過ぎるくらい対策して、それで何もなかったらそれが一番いいじゃん」と言っていた人達。
今一度「何もなかったらそれが一番いい」と本当に認められるのか、改めて考えてみてほしいと思います。

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