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最愛の人との別れ①

 2022年10月31日に、最愛の妻と別れ、別々の道を歩んでいく事になりました。別れを決意して、それを実現するまでの間に起きた様々な出来事を以下に綴ります。

1・価値観の違い
2・家事・育児に対する姿勢
3・家出を決行
4・離婚を決意

1.価値観の違い

 僕が、結婚する前から抱いていた違和感でした。僕は田舎育ちの貧乏一家、元妻は都会育ちの金持ち一家として育ちました。僕の家庭は生活することで精一杯で、塾に通う余裕もなく、外食する事ですら、一つの大イベントでした。遊びにいく場所も公園だったり、近所の友達の家だったり、あるいは、その辺を散歩しながら、ゆんたく〜だったりと、至ってその辺の子どもという感じだったの対し、元妻は、ショッピングセンターで買い物したり、カラオケで時間を潰したり、ケータイショップでケータイを見たりと都会っ子といった感じの遊びでした。
 また、ブランド物に対する執着が凄く、高校生にして稼いだアルバイト代で高級なバッグを購入したり、洋服を買ったりしていました。お互いに独身の内は、それほどまでに気にならなかったのですが、結婚して子どもが産まれても、浪費癖は直らず、次第に違和感が大きくなりました。長男が生まれた際には、母親として、家事や育児に勤しんでいましたが、何処か我慢していたところがあったのか、次男を授かったあたりから、「自分で学習塾を経営してみたい!」というようになりました。元妻は20歳で長男を22歳で次男を出産しており、周りの同級生が学生をしながら、遊びを楽しんだりしているのを羨ましそうにしていることがありました。その為、学習塾を経営したいと言った時は金銭面のサポートをできる限りしていこうと思っていました。
 学習塾を経営するにあたり、新規で教室を持つか、前オーナーから引き継ぐ形でやっていくかを選べるそうです。元妻は、条件の良い場所が引き継ぎ型だったので、前オーナーから教室を引き継ぐ形で学習塾経営を目指しました。ただ、金銭面が厳しく、自分名義のローンも組めそうになかったので、僕が初期費用150万円を負担しました。これは後々、経営が軌道に乗ってから少しずつ返していくという約束でした。

2.家事・育児に対する姿勢

 アルバイト先で出会った元妻ですが、仕事に対する意欲が高く、向上心が強くありました。どんな時でも笑顔を絶やさず、一生懸命仕事に打ち込む姿は、他の従業員の良いお手本でした。なので、家事や育児も一生懸命打ち込むことのできる人だと思っていましたが、お家の中では、もはや別人でした。ソファに寝っ転がりNetflixタイム。やっと起き上がったかと思ったら、自分のご飯を作って食べるだけ。家族でお出かけをする休日も午後まで起きず、やっと起きたかと思えば、機嫌が悪く、起こさないこっちのせいにする始末。初めのうちは、自分にも責任があると思い、できる事を頑張ってこなして、なるべく元妻の負担を少なくすれば、朝も起きられるかもしれないと思い、家事も自分がほとんど負担しました。
 また、元妻の欲求にもなるべく応えようと思い、欲しがっていたペットを購入し、気がつけば、猫2匹・犬1匹・ハムスター3匹になっていました。ペットの世話も元妻が行う約束でしたが、それをするのも初めのうちだけで、結局僕が糞尿の始末や掃除などをするハメに。子ども達の面倒もほとんど担当していたため、次第にストレスが溜まっていきました。更に、住宅ローンや光熱費、食費と言った日々の生活に必要は費用はほとんど僕が負担し、夫婦で財布も別々だったので、元妻は稼いだお金をほとんど自分の娯楽や贅沢品に使っていました。唯一話し合って、ガス代だけは支払ってもらいましたが、それでも月々5,000円程度でした。
 それ以外でも、家事などについて話し合いをしたこともありますが、元妻は自分が不都合に感じるとすぐにお家を出て行ったり、自殺をほのめかすような態度を取ったりして、話し合いが進まず、言葉を選ぶのにも、すごく神経を使いました。今ではそれが、自分の人生経験に生かされていますが。笑

3.家出を決行

 そんなこんなで、結婚生活も4年に差し掛かった頃でした。次男の1歳半検診を受けに病院に行きました。元妻はというと、いつも通り、ソファで寝っ転がり、一緒に行く気配もないため、4歳の長男も一緒に連れて行きました。男親1人で子ども2人を連れて、検診に行くのがよっぽど珍しかったのか、会う看護師さんみんなに「お父さんお一人ですか」と訊かれる始末。「奥様は?」と問われることもありましたが、「お家で寝ています」とは言えず、体調が悪いことにして誤魔化しました。検診の際、長男が心配でしたが、お利口さんに待っていてくれたので、どうにか乗り切ることができました。
世の中の奥様方の凄さを実感することができたいい機会となりました。笑
 検診を終え、自宅に帰ると、案の定、元妻はソファに寝っ転がっていました。体調悪いの?と声をかけると、「ううん」と小さく呟き、また眠っていました。気づけば昼食時間になりました。この頃になると、僕と子ども達だけで外食に行くことも珍しくありませんでした。長男が「マーミーは?」とよく尋ねていましたが、「お仕事も夜遅くまであるから、毎日疲れてるんだよ。休ませてあげようね。」と言い、なんとかその場を繕っていました。元妻は夜型の人間で、僕は朝型のタイプだったので、生活リズムもあまり合わず、すれ違いになる事もよくありました。初めのうちは、元妻が帰ってくると、それに合わせて起き、夫婦の時間を作ろうと試みましたが、無理してやっていることなので長続きしませんでした。
 検診から数ヶ月後のことでした。次男が高熱を出してしまいました。当時はコロナ禍だったこともあり、病院受診して、コロナ陰性が確認されないと仕事にも行けなかったため、大変でした。元妻は休みだったこともあり、いつものようにソファに寝っ転がっていました。病院受診に行く事を伝えると、一言「はーい」とだけ言われた事で、それまで溜まっていた色々なことが爆発しました。病院受診から帰ってくると、せっせと家出の準備を整え、テーブルに離婚届を置き、夕方には実家へ行きました。実家にいる母も何事かと思ったのか、とりあえず家に入るよう促されました。家に入って、しばらくすると、事情を説明しました。これまでの経緯を話すと、「離婚しようと思っているの?」と問われ、「とりあえず1週間は家出をする。その後に決める」と言いました。
 元妻も自分が家に帰ってきたら、書き置きの手紙と荷物の少ない家を見て、焦ったのでしょう。すぐに電話がかかってきました。しかし、当然無視です。「もう、あの人と関わりたくない。言ってはいけない事まで言ってしまいそう。」と思っていました。
 僕はこれまで、元妻の欲求を満たし続ければ、いつの日かは心が満たされ、行動が改善されていくものなのかなと思っていましたが、実際には、どんどん要求がエスカレートし、自分の思い通りに行かないと、すぐに臍を曲げ、わがままになっていきました。  
 1週間、家出をしてお家に戻ってくると、衝撃の内容を目にしました。なんと、離婚届の子供の親権者の記入場所には、僕の名前がありました。元妻は反省するどころか、離婚届を書き進めていたのです。それも親権者の欄に自分の名前があるという事は、子どもを引き取らないということ?と思い、本当にショックでした。当然、離婚を考えていた3年前から、親権争いになった時に、自分が親権を取れるよう、子供の育児や家事に関しても、ほとんどワンオペで行い、証拠を残してきました。ちなみに、日本では、「母性優先の原則」と言って、子供(特に乳幼児期)の親権者には、母性を有する者が望ましいという考え方があり、父親が親権を取れるケースは約1割と言われています。
 話を元に戻します。一応、元妻は泣いて謝罪していたので、今回の件は許すことにしました。

4・離婚に向けて

 それ以来、一時は家事、育児に積極的に参加するようになったのですが、元妻は副業で健康器具をおすすめしたり、サプリメントを勧めたりするものにもハマっていて、家族時間でもオンラインで講習を受けながら、車に乗ったり、家事もせずにパソコンと睨めっこしたりと、副業に没頭していました。僕が「こども達とも関わったら?」と言っても、聞く耳持たずで、お金を稼ぐのに必死な思いで頑張っているのは伝わりました。なるべく元妻のやることは応援してあげたいと思って、ギリギリまで我慢していましたが、自分の稼いだお金は家の為に使って、元妻は自分が稼いだ金を自分の為だけに使っていることや、家事・育児をほとんど1人で担っているのに、感謝されることもなく、ただただそれが当たり前だと思っている元妻に対し、離婚を決意しました。これまでは、感情的になって家出をして、言いたいことを後で吐き出して、仲直りという流れでしたが、それを元妻も分かっていたのでしょう。「どうせ最後には戻ってくる」元妻がそう思っているうちに、元妻の「全て」を調べ、明らかにすることを決意しました。そして、ここからが長い戦いの始まりでした。。。

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