飲酒はカッコいいか
数年前から日本でも「Sober Curious(ソバーキュリアス)」と呼ばれる、あえてお酒を飲まないライフスタイルが流行っているらしい。
僕の同僚も実践しており、すっかり定着しつつあるようで
「体調がよくなった」とか「お酒は少量でも良くないらしいよ」と毎日のようにお酒を嗜む僕に忠告してくる。
ネットでソバーキュリアスの話題を見てると、飲み会のシーンで「個人が自由に選択できることはいいと思う」という意見が紹介されてたりする。
これには僕も大いに賛同した。
僕はお酒を飲むけど封建的な慣習は何事も嫌い。
だから、ソバーキュリアスが流行ることで「飲みたくないのにアルコール頼まなきゃ」的な同調圧力が一段と弱体化してくのは良いことだと思う。
このように集団シーンにおいては、多様性が問われる現代でソバーキュリアスはプラスに働きそうだ。
一方でプライベートにおいては「学びや趣味の時間に没頭するため」とか「快眠のため」といった合理的、健康志向的な理由から実践する人も多いそう。
こういう視点からソバーキュリアスはクールと評されてもいる。
これも賛同できる。お酒が原因で学びや趣味に没頭できなかったり、睡眠の質が悪くなってしまうのであれば実践するに越したことはない。
また酔っ払いよりシラフの方がクールというのも納得。
世の中のネジを緩めてくれるのは酔っ払いの方だけれど。
でも一方で、人間と酒の文化・歴史に思いを馳せると、人によってはお酒は心身共々の健康に良いとも考えられる。
また何といっても文学や音楽、映画など、お酒と芸術の関連性が高い点は、僕の中でとても魅力的だ。
他の記事でも書いてるが、僕は何事も「カッコいいかどうか」を判断基準にしてるとこがある。
僕も健康志向は強いけれど、カッコいいかどうかで判断すると、文学や芸術との親和性に富む飲酒に今のところ軍配が上がる。
シンガーソングライターのスガシカオさんの歌詞は大抵、お酒を飲んでいるときに生まれるらしい。基本はワインだそうで、記事のインタビューではお酒について、
「もはや作詞のための必要経費」
と答えられている。
また文学の世界で言えば、例えば立命館大学文学部の瀧本和成教授が、お酒と文学作品との関わり方をこんな風に紹介している。
(村上春樹さんの小説にはたくさんお酒のシーンが出てきて、僕も読んでるうちにビールやウイスキーを飲みたくなった経験あり)
引用元の記事のタイトルは
『「お酒」で読み解く村上春樹 近代文学はいかにして変革したか』
「現実から30センチぐらい浮かんでいるようなとこで読む」
こんな表現を目にすると何だかとても神聖で気分がワクワクする。
僕は毎日のように飲むけれど、量は少なく、グラス1杯のワインを1日の終わりの儀式的に飲む感じなので、TPO的にも問題ないかと。
俗世に揉まれて帰宅した後、個の聖域に戻るための儀式として一杯飲む感覚。
また瀧本教授は飲酒を別の表現で
「踊ることで現実から少し逃避すること」
とも述べられている。
「文学の起源は、お酒に酔って夢を語る物語」と聞くと、村上春樹さんの小説はまさにオーソドックスであり、だからこそ世界各地で評価されてるんだと思えてくる。
こんな話題を耳にするとやっぱり、羽を持たない人間を現実から少し浮遊させてくれるお酒はお洒落(そういえばオシャレにも「酒」という字が)で上品でカッコいい。
ただ、お酒は元々神様に捧げるもの、という視点に立つと、ソバーキュリアスはもしかして崇高な行為?と思えてきたりもする。
飲むにしても、ほどほどにしないとバチが当たってしまいそうだ。
まぁ結局は、飲む人も飲まない人も他人にあれこれ言われず自由にやれるのが一番クールな社会だ。
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