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2024年の夏の恐怖

「終わったわ、私」

今日だけは、絶対に絶対にやっちゃいけないたぐいの失敗だった。福岡に飛べない事実を突きつけられ、巣から落ちたヒナのように絶望した私は、ごめんなさいごめんなさいと、息子への謝罪で頭がいっぱいになる。


「お客様、大変申し訳ございません。たった今、こちらの便は離陸しましたので、ご搭乗手続きはできません」


40年生きてきた私の人生の中で、最も恐ろしい出来事が起こった。
予約していた最終便の飛行機に乗りそびれたのだ。
「遅れてしまった!間に合わない!」という乗りそびれではない。空港には搭乗予定時間の50分前に到着していた。
なんと搭乗口の番号を勘違いし、違う場所で待機していたのだ。自分の名が呼ばれるアナウンスに気づいて、それはそれは猛ダッシュしたものの、間に合わなかった。
グラウンドスタッフの女性から「離陸しました」という言葉を聞いたとき、手の先からスーーーッと血の気が引くのを感じた。指先から肩にかけて、どんどん冷たくなる。「ああ、フリーズするって上手いこと言うなあ。本当に人間ってパニックになると凍るんだな」なんて思っていたら、今度は耳がカッと熱くなった。
ようやくそのとき、自分が置かれている現状のヤバさを認識する。

「ごめん、ママさあ、大阪から帰れなくなった」
最悪なことに、明日は早朝から長男のミニバス試合があり、集合場所までは保護者が送らねばならない予定があった。もし私が明日の朝6:30までに帰宅できなければ、息子は試合に参加できない。
「うん、仕方ないよ。じゃあね」
スマホ越しで分かるくらい暗く落ち込んだ息子の声に、心臓が潰されそうになる。先月からスタメンになれた息子は、明日の試合のために気合を入れて、ここ最近も夜遅くまで自主練をしていた。コーチや保護者からも「頑張ってるね!」とお褒めの言葉をいただき、息子もその言葉を聞いて、大嫌いなプロテインも鼻の息を止めながら毎朝飲み、ディフェンスを強固するための身体づくりに努めていた。

「神様、お願い、20分前に戻して」と、自分の”勘違い”じゃ済まされない失態を呪う。どうにか帰れないものか、震える手で「大阪から博多行き 深夜バス」や「大阪から新幹線 終電」とググった。
しかしネット予約の締め切り時間はとっくに過ぎており、みどりの窓口に直接電話するも「タダイマノジカンハ、ウケツケジカンガイトナッテオリマス」と無機質なアナウンスが流れるだけ。
汗で濡れた自分のスマホの液晶画面を見ると、さらに別の冷たい汗が出た。
【15%】と赤く電池残量が表示されている。このままだと泊まるホテルも検索できなくなるため、ここで自身のHPも枯れた。「もう終わったわ、私」。

しかしその時、ライターの巨匠である「佐藤友美さん」こと、さとゆみさんの毎朝のエッセイを思い出した。
それはさとゆみさんが、とある会社の副社長さんからとんでもない失敗談を聞いた、というエピソードである。その副社長さんの失敗談は1000人以上が関わる規模の、絶対やったらアカン!という大失敗だった。でもその人はそれから1年かけて、迷惑をかけた方一人ひとりに謝罪し、現在は副社長を務めているとのこと。
「失敗をした後、その人がどう生きるかで、人生はガラッと変わるんだ」と気付かされた感覚、そして「そんな失敗に比べたら、大概のことはかすり傷だな」という感情の半々の読後感を私は噛みしめた。

「よし、ダメもとで新幹線の乗り場に行ってみよう」

残りの15%という文字にヒヤヒヤしながら博多行き最終の新幹線を調べ、新大阪駅行きのバス乗り場に並んだ。
モバイルバッテリーを買う時間はなかったので、緊急用に充電はとっておきたい。そこで、前に立っている男性に「あのう、大阪に詳しいですか?」とスマホではなく自分の口に頼って尋ねた。
男性からは「いや、ぜんっぜん知らないです」と半笑いで突き放され、「ああ」とたじろいでしまう。
しかし1分後、私の後ろに人が並んだ気配を察知し、振り返って同じ質問をする。
「はい、まあまあ分かりますよ」と汗をぬぐいながら笑顔で答えてくれた女性はバスを待っている間、自分のスマホで新幹線が予約できないか、深夜バスはどこから出ているか、などたくさん調べてくれた。
そして「あ、モバイルバッテリーありますよ!」と私に自分のバッテリーを貸してくれた。もう私はこの時点で泣きそうになる。
そしてバスに乗る前も「すぐ降りれるように、前の席に座りましょう」とアドバイスしてくれて、前方の席に私と並んで座ってくれた。
私は女性から貸してもらったモバイルバッテリーごとスマホを握りしめる。
もう祈ることしかできない私に女性は「バス停に着いたらこのエスカレーターをガーっと2つ上がって、さらにすすんだら新幹線乗り場がありますよ」とスマホで駅のフロアマップを見せながら説明してくれる。
女神のようなその女性に、私は「ありがとうございます」と「すみません」しか言えなかった。
そしてバス内に目的地到着のアナウンスが流れる。

「あの、これ、大したものじゃないんですが、走るのに邪魔なので、召し上がってください!」

私は伊丹空港で買った、お土産がいくつか入った紙袋を女性に差し出した。
「ええ!?」と女性は驚いていたが、「ここまで面倒見てくださって本当にありがとうございます!私、全速力で走りたいので!」と半ば無理やり受け取らせる。
すると女性は「じゃあ、そのモバイルバッテリーと交換しましょ」と言ってニカっと笑った。
今度は私が「ええ!?」と驚いて「さすがにそれは……」と遠慮する。「交換ですから!ね。間に合うといいですね!」

私は再びお礼を言って、そのバスから1番に飛び出し、その日2回目の猛ダッシュで新幹線の切符売場まで向かう。
もし間に合わなかったら、あの女性の親切心を無碍むげにしてしまう気がして、そっちのほうが怖くなった。とにかく全力で走る。



結果、最終21:23発の博多行きの新幹線に乗れた。

新幹線の中で安堵した私の髪の毛先からは、ポタポタ汗が落ちている。それをハンカチで拭うよりも、まずモバイルバッテリーが刺さったままの自分のスマホで「帰れます」と母にLINEを送った。

3時間ほど新幹線に揺られて考えていた。

私は人生で割と苦労してきた人種だと自分では思っていたけれど、想定外のハプニングを目の前にすると、こんなにも思考や感情がもろくなるんだな。自分のことを「打たれ強い」だなんて思っていたけれど、大きな勘違いだった。

ちなみに大阪にいた理由は、さとゆみさんのエッセイ講座を受けるためだった。その講義中、さとゆみさんは「日常の事故に気づける感性を持て」と仰っていた。
しかし今回の私の恐怖体験は、完全なる自損事故だ。さとゆみさんが指す『事故』は『何気ない日常の中にある違和感』であり、今回のような本当の事故とは違う。
しかしこの事故のおかげで、「あの人に幸せな出来事がいっぱいふりかかりますように!」と祈ってしまうくらい、親切にしてくれた女性に出会えた。きっと私は大阪に行く度にこのことを思い出して、毎度感謝すると思う。

そして自分がまだまだ失敗し慣れていない点も発見できた。その対処法もやっぱりさとゆみさんのエッセイだった。
いつかこの恐怖体験が、誰かの役に立つ文章に化けるのかどうかは、これからの私の「学ぶ姿勢」にかかっている。



※今回のコラムはWebライターラボの8月のテーマ『私の恐怖体験』の応募作品です。

Discord名:都築あい(tmnet2022)

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