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表裏一体

長い間、自分はとても裏表が激しい人間で、ずるい人間なのだと思ってきた。

どちらの面も知っている人からしたら、見ていて腹が立つほど二面性があるだろう、ということは自分でもよく分かる。

けれど、私が悩んでいたことは、自分がずるい人間であることでも、それに腹を立てられることでも無かった。自分のモヤモヤが晴れないのは、どちらも自分であるからであって、どちらの自分も、自分以上でも以下でも無かった。そこに嘘は無かった。たぶん笑


高校時代はよくBUMP OF CHICKENの歌をよく聴いた。バンプのアルバムには、所謂「隠しトラック」が入っていて、その音楽は、世に知られているBUMP OF CHICKENの曲とは180度違った明るさがあった。藤原基央さん(藤くん)は、隠しトラックのことを「世の中には陰と陽があるけれど、ぼくたちの曲は、陰の曲を表に出して、陽の曲はあまり見えにくいところに隠している」というようなことを言っていた。
高校生の私には、藤くんのことばは分かるようで分からず、分からないようでよく分かった。

「あの人ほんとは暗いんだよ」とか、「あの人本当は大騒ぎすることだってあるんだよ」とか、そういう言葉に敏感だったのは私で、それの何がいけないの?人にはいろんな面があるんだよ、と一番思えなかったのは私だった。

陰の自分と熱く語りあった子がパーティーで大盛り上がりしてる写真をインスタで見ると、置いて行かれたような気持ちになり、
陽な自分と楽しんだ経験のある子が、実は一人で夜な夜な散歩するのが好きだと知ったときは、私にもそんな話しして欲しかったな、と寂しくなった。

一人で悶々と生きる世界も、熱く語り合う夜も、大勢で楽しむ時間も、大勢の前で仕事のプレゼン(例えば)をする自分も、みんな自分であって、一面だけしか知らない人に申し訳なくなる必要も、全面知っている人に腹立たせないだろうかと怯える必要も無かった。

陰があるから陽があるし、陽があるから陰がある。表裏一体。
それは誰にも責められるべきことでは無いし、どちらにいる自分にも後ろめたさを感じる必要はない。

そして、人を責めない。

言葉にすると本当になんでもないことを、えらく長い時間かけて考えてきたなあ。
と思うけど、まだまだ私の陽しか知らない人にこの文章を見せる勇気は無いな、とも思っている。

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