バイセクシャルコミュニティもあっていいのに
なんで無いんですかね。
バイセクシャルならではの悩みって絶対にあるのに、その悩みを共有する場がない。
ゲイコミュニティやレズビアンコミュニティは出会いの場としても機能しているから人が集まっているのだろうし、トランスジェンダーコミュニティも情報交換を行う場としてとても重要なのだと思う。
ことバイセクシャルにおいては、異性と付き合った時は側から見ればヘテロだし、同性と付き合った時に側から見ればレズビアン(ゲイ)だ。
異性のパートナーとそのまま婚姻関係になれば法的に認められ、出産なども当人同士だけで行える(行えない時も勿論ある!)ので、バイセクシャルだという性的マイノリティだったことは水面下に潜り、急にマジョリティとして扱われる。逆に異性のパートナーと過ごしている時は同性愛者として括られることが多い。
同性好きだったらレズビアン(ゲイ)コミュニティへ、異性が好きだったらマジョリティへ行ってねというように、移動せざるを得ない状態になっていることにずっと違和感を覚えている。
そのためこのnoteでは、塚本がバイセクシャルだから感じる、あくまで自身の経験から湧き出たモヤモヤを書き連ねてみようと思う。
クィアコミュニティで話すときに遠慮してしまう
もちろんクィアの友達と話すことはいっぱいある。だが、上記でも言ったように、バイセクシャルにとっての社会的な障害のほとんどは同性とパートナーの時によく直面することになる。そうすると“同性愛者”としての悩み相談になり、バイセクシャルの自分で話していないことにふと気づく。
自分のセクシャリティをありのままさらけ出せる?はずのクィアコミュニティで、自分のセクシャリティが歪むことがある。
クィアの人たちで集まって悩み事を話し合いましょう!の様な流れになった時、バイセクシャルという事実は揺らがないのに、同性パートナーの時は悩みを明かして同性愛者の参加者と話し合いができたのに、異性パートナーの時はなんだか話すこと自体が憚られる。
この自身の中の歪さに気づいた時、自分にとってクィアコミュニティも全部気楽に話せる場所じゃないかも……と少しモヤっとしてしまった。
恋愛に消極的なバイセクシャルってクィアコミュニティに居場所あるか……?
レインボープライドやLGBTQ+系の講演会、ワークショップなどに参加するのだが、そこには同性カップルやトランスジェンダーが登壇する事が多く、自分のようなバイセクシャルだし大して恋愛もしないみたいな人が立つ事はない。
それはもちろん、多くの人が聞きたい話は同性カップルがどうやって日本で円滑に生きていくのかという事や、トランスジェンダーがどうやって公言して職を得るのかというような具体的で深刻な事柄だからだと思う。
バイセクシャルはバイセクシャルなりの悩みがあるはずなのに、LGBTQ+で括られると全然触れられない事が多い。
そもそも性的指向に恋愛という要素は付随してくるので仕方ないのだが、LGBTQ+のイベントに行っても、自分と同じような恋愛に消極的なクィアのロールモデルを見かける事はできないんだよなあと少し寂しく思う。
両性と付き合った事ないとバイセクシャルって言えない?
世の中シスヘテロがマジョリティである以上、恋愛に発展しそうな雰囲気に流れやすいのは圧倒的に相手が異性の時だ。
さらに、自分みたいな恋愛に消極的なバイセクシャルは、相手が誰であろうと自分から一切アプローチしないので、シスヘテロ女性と付き合えた事は1度もない。ただ、オープンリーだったため、バイやビアンの方とお付き合いするきっかけがあった。
オープンリーになるか、出会いを求めるかしないと、同性と付き合う機会はなかなか無いものだと思う。
たまに、「自認はバイセクシャルなんですけど、同性と付き合ったことないんで明言できないです……」という方に出会う。性的指向は自身がしっくりくるものでいいし、バイである証明をしなきゃいけない事なんて無い。両性と付き合った実績なんていらない。
たとえ誰とも付き合ったことがなくても、あなたがバイセクシャルだと思えばそれは揺るがないです。
友人に安心して貰いたい気持ちがデカすぎて雁字搦めになってしまった
これは自分が特殊かもしれないが、バイセクシャルである事で友人を傷つけたくないという思いがとても強くて、「絶対に友達を恋愛的にも性的にも見ないぞ!」と自分に言い聞かせて生きている。
異性愛者や同性愛者にも同じ悩みがある人はいるかもしれない。ただ、全性別の人にやることになってしまうのがバイである自分の悩みだ。
この自分ルールに従えているという事は大した想いじゃないのでは?と思うだろうが、自分の中のイメージでは、HUNTER×HUNTERクラピカの制約と契約くらい破れない大袈裟なものなのだ。恋愛感情を抱かないという制約を破ったら、安心して友人関係を築けない危険人物と思われて、皆との友人関係が終わってしまう契約。厨二病みたいな例えだけれど……
人として魅力的だと思う方と親しくなった結果、友人関係になり、「くそ〜もう好きになれないわ〜」という謎の後悔を何度もしている。
バイセクシャルって主語デカで語っちゃって申し訳ないと思いつつ、塚本みたいなバイもいませんかね?とよく共感を求めたくなるので書きました。
塚本が感じてきたバイセクシャルであるからこその苦悩をまとめると、
・バイってその時々で異性愛者と同性愛者のどっちかに括られるよね
・バイセクシャルって誰とも付き合った事なくてもバイセクシャルですよね
・恋愛に消極的なクィアのロールモデルって少ないよなあ
・全方位に恋愛感情が向いていると勘違いされないための配慮で雁字搦めです
みたいな……!
他にも、バイセクシャルって親とか恋人に打ち明けてる?とか、バイセクシャルってよりパンセクシュアルかな?みたいな話もしたいね
自分のセクシャリティに向き合いはじめて10年以上経つのに、未だうだうだ考えを巡らす夜がある。昼も、朝もある。
このnoteも上手く伝わる言い方をめちゃくちゃ試行錯誤したけれど、それでもやっぱり「バイにならなきゃこの感覚絶対わかんないよ〜」「てかバイでも私と同じような境遇じゃないと共感できないよな……」と何度も思いつつ、とりあえず書き切りました。
だから結局
話は最初に戻って、
バイセクシャルならではの悩みを
同じ背景を持っているからこそ
気軽に話し合えるためにも
バイセクシャルコミュニティって
必要だと思うんですよ
ってことです!!
(^^)b
最後までお読みいただきありがとうございました。
こんなにバイセクシャルコミュニティが必要と言いつつ、自分が住んでいる北陸にはそもそもクィアコミュニティがすっっくないので、まずはレインボープライドが広まってくれるところから活動頑張ります🗽🏳️🌈
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