見出し画像

明後日には25になるけど

最近こんな私の話を聞いて下さる優しい方が多くて嬉しい。この前も、ちょっとあんまり記憶にはないんだけど、自分の大して面白くもない話をべらべら喋った。そのとき自分が自分に吐いた言葉が、洗わずに放置した鍋の中のカレーみたいな感じで頭の中にこびりついてる。

「ガキすぎて気持ち悪い」

マジでガキ、ほんとに。と、自分のことを思っている。何だろう、子どもっぽいとかそういうことじゃなくて、「ガキ」。これはもうガキとしか形容出来ない。
それは自立してないってことでもあり、直情的ということでもあり、思慮が浅く、キャパが狭くって、偏執的だってこと。あと、こう評しておけば他人に似たようなことを言われても傷つかないだろうみたいな前の文章の書き方もガキだなと思うけど、半面、客観的にも主観的にもそうなんじゃないかしらと思ってる。
何かネガティブっぽい、陰気臭いので、ある程度明るくフラットに?言い換えてみようかな……出来るかな……
えっと、割と正常な人間が引くレベルでのほほんと生きてるけど、こだわりはあるらしく感情が高まるときは制御できないほど高まり、自分や自分の作るものに関して言語化するのにたくさん時間がかかり、一つのことをゆっくりじっくりやり、こだわりは強い(重複)って感じ。あと、飽き性! 謎の追加。これ出来てる? まあいっか。あ、そう、まあいっか、も良く言う。
主に最初の二つがガキっぽいポイント。だし、この、こだわりを捨てきれない感覚、が、自分の中では「ガキ」。「まあいっか」ってよく言って色んな事を諦める割に、妙なこだわりが先行するときもあって、そのバランスがそこそこ気持ち悪い。何か世の中なめてんなあって。もっと必死になって生きろよって思うんだけど、難しいよね。難しいよねとか言ってる場合じゃないんだけどさ。

そう言えば9月にやった『鼬を噛んでくれ』も去年11月にやった『ビトウィーン・ザ・シーツ』も、登場人物みーんなガキだった。私の中のガキ煮詰めたみたいなやつらばっかり。あいつらは対話もろくに出来ねえわ心情も明かさねえわで、演劇のこと何にも考えてない人たちだった。けど、演劇のこと何も考えてなかったのはお前だぞ、ただ産んだだけじゃお前には価値がないぞと、彼らは最近私に詰め寄ってくるので、現在、大変に反省しなければならない期間。
(ちなみにこの、作品を産む産まない表現、私は私が使っていることがとても痒いんだけど、産んだことに変わりはないし、この一年半は明らかに作品にとって自分が毒親であったから、あえてこうしておこうかなって気持ち)

何の話だ? とりあえず、10月2日には25歳になります。そろそろ外部の仕事とかね、やりたいです。ほんと、軽率に書くけど売れたい。から、知識もそうだけど、自分の中のガキの部分とある程度折り合いつけなきゃいけないなってすごく思います。
多分自分の中の、「大人」とか「自分」の理想値が高すぎるんだと思うし、今はまだ腑に落ちてないけど、「ガキ」って形容している自分の部分は、根本的にはもう変わらない自分の一部だってことを、私は納得しなきゃいけないんだろうなって。思うし、自分のことばっかりで手一杯にならずに、他人のことたくさん考えたいなって。自分をどうにかしなきゃいけない(他人のことなんか構ってらんない!)っていうモードが入ってるこの時期から、出来れば脱したい。でも、これも違うんだろうな。一生どうにかしなきゃいけなくて、どうにかしながら考えなくちゃいけなくて、そこも、折り合いなんだろうな、って思う。
大学もそうだし(大学もそうだし!)生活もそうだし、人との関わり方とかそういう、細かくて大切なものを、見つめ直さないといけないよねえ。

私の一番ガキなところは、ここまで書いて別に自分のこと嫌いじゃないところですけど。意味わかんないよね? 私も意味わかんない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?