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15代目兼業農家長男、相続について大いに悩む -Part.3-

ところ変われば思考も変わる

実家にいるとどうにも思考がマイナス方向に引きずられるが、先週の頭から湯沢に戻ってきていて、だいぶ精神状態が回復した気がする。

いや、正確に言えば、先週末相続の手続きをすべく一度実家に戻ったのだが、肝心の資料諸々を湯沢に置きっぱなしにしたままで、翌日トンボ帰りする羽目になり、今日からまた実家という…。

というわけで、今日は精神的にも少し距離を置いて、今自分が考えていることを整理して書いてみることにする。

気になっている方も多いと思うが、相続の手続きについてはもう少し整理できたらきれいにまとめたいと思う。

ちなみに、冒頭の写真は、私の実家近くの田んぼに毎年飛来する白鳥である。

実家のこれからについて

前提として、私の実家、8DKの物件は現在空き家状態である。

法定相続人は私と妹の2人だが、私は湯沢町にマンションを保有しており、妹は県外の会社に勤務している。どちらも実家に住む予定は今のところない。

普通に考えれば、じゃあ賃貸に出すという選択肢が浮かんで来ると思うのだが、Part.1、2でも書いてきたように、とても余所者がふらっと移住してやっていけるような環境や文化ではないし、綺麗にリノベーションされている物件でもない。

田んぼだって一反くらいしかないし、畑だって普通の畑。
一応、代々伝わる「ろくすけまめ」というオリジナルの枝豆はあるのだが、それも含め、収穫した農作物を市場に出していたわけではない。

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↑私の実家の畑で収穫を待つろくすけまめ

なぜなら、私の家が「兼業農家」だからだ。

兼業農家という特殊なシステム

私の両親は、このコロナ禍でさらに注目度が増している安定の「地方公務員」。

もちろん、田んぼや畑は高橋家に代々伝わってきたもので、そういう意味では相続するものではあるのだが、私の両親がそれを生業にしていたわけではない。つまり、農地を相続しても食い扶持にはならないのだ。

ここにこそ、兼業農家の難しさがある。

実家が農家だと言えば、Uターンして農業を継げばいいじゃないか、と思うかもしれないが、それで食っていけるのはおそらく日本で数パーセントくらいじゃないかと思う。

それくらいに、田舎での農業というのは、持ち家という資産があることを前提として保護されてきた産業なのだと思えてくる。

もちろん、国内で食料を自給したり、農地、すなわち管理された自然を守ったりすることは、国益に叶うことであるのは間違いないことだとは思う。

一方で、都市化、工業化が進み、働き手が不足する中で生まれた仕組みが、この兼業農家というシステムを生み出したのではないだろうか。

今流行りの副業とは全く違う。

本業、というよりは定期的に安定した収入が得られる業を食い扶持とし、プラスアルファ、時には無償で家業である農業に従事する、そんな働き方がかつての地方での主流だった時代があったのではないだろうか。

仕事は、住む場所に規定されるしかないのか?

農業に従事するということは、その性質上、住む場所はすなわち働く場所だ。

しかしながら、先ほど述べたように、農業一本では食ってはいけないのが兼業農家だ。

じゃあ、農家の中でどれだけの割合が兼業なのか?

なんとなく、8割くらいじゃないかという肌感はあったのだが、一応ちゃんとエビデンスを探そうと思いググってみた。

いろいろあるけど、ちゃんと調べるならと思い、農水省が5年に1度出している「農業センサス」を見てみた。

農業センサスって何?という方はこちらから。

と思ったけど、自分で開いてあまりの分かりづらさに絶望したため、農業センサス is 何?の引用を貼っておく。

農林業センサスは、我が国の農林業の生産構造や就業構造、農山村地域における土地資源など農林業・農山村の基本構造の実態とその変化を明らかにし、 農林業施策の企画・立案・推進のための基礎資料となる統計を作成し、提供することを目的に、5年ごとに行う調査です。

んで、これがその報告書。

農業は、事業ではない?

非農家の方も含め、専業農家と兼業農家の割合を知りたいというニーズがどれだけあるのかは分からないけど、ざっと見て手がかりすら見つからなかったことに私は絶望した。

言っておくが、私は元公務員だ。

この手の調査ももちろん担当したし、その際は必ず調査結果の概要を作り、県として報道発表資料を作成し、マスコミ向けにも公表した。

というわけで、新潟県の報道発表資料を確認してみたが…。

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調査結果のリンクを踏むと…

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嘘だろ、役所のサイトなのにそんなことあるのかと思う方がいたら、ぜひご自身で試してみて欲しい。

もし、読んでいるあなたが新潟で新たに事業を立ち上げたいと思っているなら、元役人として補助金や貸付制度などの支援制度を紹介できるのだが、農業に関しては、一定の補助制度は紹介できるが、農家になって金銭的に豊かな生活を送れる、というレベルの支援制度はちょっと思いつかない。

だとすると…コンビニまでも歩いていけないくらいの田舎で(と言っても、車さえあればそれなりに生活はできるからまだいい方だとは思うが)、商業ベースに乗っていない農地と、売れもせず貸し手も見つからない無駄にでかい家を、遺産とセットで相続するメリットはいかに、という至極真っ当な判断になる。

今の私がまさにそういう状況だ。

自分が生まれた土地への想いとか、後継ぎとして次の世代へ家を残すとか、亡き親への感謝とかそういうことの前に、普通に一人の社会人として、どうしてこんな分の悪いギャンブルに参加して、自分の住む場所を縛られるという分の悪い手にベットしなければいけないのか。

これが、偽らざる兼業農家の後継ぎの感想である。

農家を事業にするための壁

あくまで仮説だが、私の実家のような地域において、農業を事業として成り立たせるために越えなければならない壁がいくつかあると思っている。

水利問題
農業には水が必須、川から水を引いてくるためには近隣農家との調整が必須。ドブさらいなどの共同作業への定期コミットが求められる。

意思決定の不透明さ
私の地域では農業に関する決め事は、「寄り合い」と呼ばれる会合で決められる。
寄り合いでの決定事項は、基本的に参加者以外には知りようがない。

農協への依存
この地域では、基本的に出荷は農協を通して行っている。それ以外のマネタイズをあまり聞いたことがない。

農協を悪者にしたい訳ではないが、とりあえず、私の実家では金の流れが一度農協を経由することが当たり前の慣習になっている気がする。

一例として紹介したいのが、父が昨年末に農協から購入し、新調したらしいこたつ布団セットだ。

うちのコタツは6人くらいが余裕で入れるサイズなので、まあそれなりに高いのかもしれないが、金額やいかに…?

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コタツ布団とラグのセットで、28,000円なり。

安いか高いかは、Amazonの検索結果をご確認いただきたい。

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E5%B8%83%E5%9B%A3%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E9%95%B7%E6%96%B9%E5%BD%A2&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=36FC7B8KAR4EH&sprefix=%E3%82%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E5%B8%83%E5%9B%A3%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%2Caps%2C276&ref=nb_sb_ss_ts-doa-p_2_8

いや、めっちゃいいものなのかもしれないけど、とりあえず、買ってすぐに父がタバコの火で焦がしたようで、生々しいガムテープの跡があった。

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何だかもう、金の使い方がヘタクソだという感想しか湧いてこない写真ではあるが…。

とにかく、この記事でお伝えしたいことは一つだけ。

資本主義が通用しない場所が、いまだに存在するということ。
いいか悪いかはともかくだ。

しかし、相続はあくまで資本主義社会のルールの中で行われるわけで、そこにこそギャップが生じるのではないかと、実家に戻って筆を執りながら改めて考えさせられた。

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