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15代目兼業農家長男、相続について大いに悩む -Part.2-

はじめての喪主という試練

この記事をお読みいただいている方の中で、"喪主"を務めたことのある経験をお持ちの方はどれくらいいるのだろうか。

喪主を務める機会は一生でせいぜい一度か二度、実の親や兄弟などごく近しい身内が亡くなった時しかない。

Part.1に経緯を記載したが、1月19日、父の突然の訃報を受け、私は人生初の喪主を務めることになった。

ちなみに、トップ画像にしたこちらは曹洞宗の半袈裟というものらしく、喪主が着けるのだそうで、私も出棺、火葬、通夜、葬儀はこちらを着けて出席した。

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まずは、父が亡くなった経緯を時系列で振り返る。

遺体発見日=死亡日というわけではない

この1月は新潟県内全体で記録的な豪雪となり、実家の胎内市も例に漏れず、訃報を聞いて帰った日も、大吹雪で道が雪で埋まっているほどだった。

そんな中、独り暮らしだった父の様子を見に、近所に住む父の知人が訪ねたところ、寝室で仰向けになっている父を発見したとのこと。

この時点で既に息がなく、すぐさま救急と同じ市内に住む叔母に連絡を取り、救急と警察、医師が来て検死などをしたそうだ。

倒れている人を見つけたら、まずは救急に電話、というのが手順らしい。

幸か不幸か寒さのおかげで遺体の状態は良かったのだが、朝刊の様子などから1月14日に死亡していたという診断が下った。

つまり、発見された19日の時点では既に死亡日から6日が経過しており、私が着いた深夜2時過ぎの段階では既に初七日だったということになる。

追い討ちをかけるかのように、この寒い時期に1週間近く水道を使っていなかったことで、家の水道管が大規模に凍結してしまい、風呂、トイレも使えないという状況に。おまけに駐車場も雪で埋まってしまっている。

周囲の人の取り計らいで、庭や空き地の除雪、水道管の凍結についても対応していただいたが、結局水道は丸2日使えず、近くの公民館のトイレを使わせてもらうことになった。

実家に着いて早々にそんな状況に叩き込まれ、翌日20日の午前中に葬儀屋が来て段取りについて打ち合わせをし、21日は友引のためその翌日の22日に通夜、23日に葬儀、喪主は私、というところまでが決まった。

とはいえ、何せ佐渡に旅行している最中だったため、葬儀に出る準備などは全くしていない。
幸い私は実家に喪服を置きっぱなしにしていたので助かったが、そうでなければ新たに購入する必要があっただろう。

3年前に母の葬儀もあったため、なんとなくの段取りは頭に入っていたと思っていたし、資料もExcelに残していたので、何とかなると思っていたのだが...。

早朝の起床ラッパから始まる理不尽なゲーム

田舎の朝は早い。

朝7時、防災無線を通じ、チャイムのような音が大音量で響き渡るところから1日が始まる。子ども時代に防災無線があった記憶はないので、後からできたものなのだろう。

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朝7時には強制的に起きろということなのか、もしくは早朝から野良仕事をしている人向けに一息入れろということなのかよく分からないが、軍隊の起床ラッパのごとく、とにかく7時には強制的に一度目覚めることを要求される

そして、朝から固定電話がバンバン鳴る。悪いことに実家の固定電話はストーブの効かない廊下に出してあり、子機もない。鳴る度に冷え込む廊下に出て電話を取る必要がある。

要件はさまざまだが、緊急性の高いものもそうでないものもとにかくどんどんかかってくる。

電話だけではない。玄関を開けて家に人がどんどん入ってくる。
事前アポもないし、コロナ対策でもれなく皆マスクをしているため、こちらには誰が誰だか分からないが、とりあえず人が家に来たらお茶を出さなければならないらしい。

もはや、突然不法侵入されたのに、お茶と菓子を出してもてなすことを要求されている気分である。
最低限こういうセットと、予備のお茶菓子のストックは必須だ。

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最悪なことに、前述のとおり水道管が凍結しており、ポットに入れる水の確保や使用済みの湯呑みを洗うこともできず、やかんに水を汲んでストックしたり、紙コップを買って対応したりする必要があった。

カオスの中で飛び交う人と金

接客対応は妹にいったん任せ、私は納棺、出棺、火葬、通夜、葬儀などの段取り確認や、香典返し、通夜振る舞い、お斎、供花台や位牌、霊柩車などのセレクト、そして各種資料をスプレッドシートにまとめるなど事務的な作業を進めた。

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なお、通夜の前に火葬をするのがこの集落の習わしであり、父の顔を見たい場合は通夜の前に家に来る必要がある。
さらに、コロナ禍で通夜や葬儀への出席はリスクがあるということもあり、結果的に事前の来客が増えたのだと思う。

事前に連絡を取ってくれた方は対応できるとしても、そうでなくてももてなさねばならないもののようだ。
個人的な心情としては「アポなしで突撃してきた人」ではあるが、喪主にとっては「父の死を悼むためにわざわざ遠方より足を運んでいただいた人」なわけで、おもてなしをするのが当然、なんなら昼間に集まった時用にオードブルでも頼んでおくのが気の利いたやり方らしい。
これはなかなかハードルが高い。もちろんUber Eatsなどはないし、外は猛吹雪、おまけに自分の車もない。

また、遠方の親戚が来る時に宿を手配するのも喪主側の守備範囲に含まれるらしい。宿泊費用も喪主側の負担が当然とのこと。

そして、「この地域ではこうするもんだ」、「私のところではこうしている」、「あの時はこうだったはずだ」といった具合に、色々な人がバラバラなことを言い始め、誰の言うことが正しいのかさっぱり分からなくなる。
全ては個々人の記憶と口頭でのやりとりで、何のエビデンスも残っていないし残らない。

おまけに、コロナ禍という前代未聞の状況下である。
これまではこうしてきた、という常識が通用しない時代が来ていると個人的には思っていたのだが、こと田舎の小さな村ではそうでもないというか、ニューノーマル以上にこれまで積み重ねてきたノーマルが圧倒的に強い。
そもそも通夜や葬儀にどこまでの人を呼ぶのが適正なのか?通夜振る舞いやお斎はどうする?やらないのであれば香典返しにその分を乗せるべきか?

結果としては、
・通夜の出席は制限なし、葬儀は親族のみ
・通夜振る舞い、お斎などの会食はなし
・通夜振る舞いの代わりの弁当はなし(制限なので数が読めない)
・葬儀後のお斎の代わりにテイクアウトのお重を手配
・通夜振る舞いができなかった分、10,000円以上の香典を包んでくれた方には商品券をやや多めにバック
という形にした。
正しいのかどうかは今でもよく分からないし、あのうちは非常識だと知らないところで言われているかもしれない。

そして、そんな中でも香典という形で現金は積み上がっていく。
家に誰か分からない人が自由に出入りできるような状況で、多額の現金がどんどんストックされていく。
これでは、香典泥棒というジャンルが確立されるのも頷ける。
そして、どれくらいが適正価格かもよく分からないまま、葬儀屋への発注はどんどん進んでいく。
改めて収支を見返しても、普通の人が葬儀で収支が黒になることはほぼないのではないかと思う。

正直、友引の中一日がなければもっと大変なことになっていただろう。

小さなコミュニティならではのいいこともある、が…?

小さなコミュニティであるがゆえに、駐車場の除雪や水道管の凍結などのトラブルにも対応してくれたというのはありがたい話である。

公民館のトイレを使えなかったら、だいぶ困った2日間になったということも容易に想像できる。

ここでも何かしらの感謝のお礼をするのが礼儀であって、これは納得感がある。

ただし、前述のような明文化されていない雑事(少なくとも私にとってみると)に追われていると、こういう重要な部分がすっぽりと抜け落ちてしまう可能性があると思う。

請求書を持ってきてくれた方がありがたいし、お互いにとっても気持ちよいのではないかと個人的には思うところである。

To Doリストがあれば抜け漏れもチェックできるが、気持ちの抜け漏れは可視化できないし、チェックもできない。

葬儀の無理ゲー感要素まとめ

というわけで、喪主として感じた葬儀の無理ゲー感について改めてまとめてみたい。

・喪主の役割は唐突に降ってきて、限られた時間の中で手際よく物事を進める必要があること
・顔も知らない人も含め、関わる全ての人に非常識と思われないよう心を砕くこと
・個々人で異なり明文化されていない地域や宗教上のしきたりをテレパシーのように感じつつ、万事手抜かりないよう仕切ること
・こちら側の手はあくまで相続権のある人間、せいぜい親子か兄弟の中で考えた方がよく、それ以外は何らかの形でお礼をする必要があること
・マイナスと相場が決まっているトータル収支を、いかに赤字が広がらないように食い止めつつ捌くこと

誰もが遅かれ早かれ一度くらいはそういう立場になるものだというのも理解しているし、自分だけが特別に大変だったと言いたいわけではない。
ただ、自分の場合はこうだったということ、こう感じたということは記録に残しておきたいし、なるべくオープンにしておきたいと思っている。

かなり長くなったので、今日はここまで。

お読みいただいた方、ありがとうございました。
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