卒論_2005 Part.2

 ウェインはまだ花粉の余韻が醒めないまま、引っ越したばかりの自分のアパートに戻った。ベッドで息子のロビーが寝息をたてているのを見て、ウェインは起こしてしまわないようそっと布団をかけ直してやると、ソファに腰を降ろした。
ポテンシャル隔離ブロックにある新しい彼のアパートはP3だったときに比べ部屋が半分の広さになっていた。ベッドも一つしかない。オレには、もうロビーを寝かせるベッドさえもないんだ。ウェインは備え付けの小さな自動バー・カウンターから花粉を満たした吸引器を取り出し、ソファにもたれかかると、きつく唇を噛んだ。

 世界の支配者は女だ。男たちが引き起こした第6次世界大戦で旧世界が完全に破壊しつくされた後、女たちは自分たちだけでそれを一から再興し、今の社会が成り立っている。男は放っておくとまた戦争をやらかしてしまうかもしれない。そのためにも男には女の管理が必要だ。管理されることによって初めて男は仕事ができる。掃除、洗濯、料理、子供の世話。しかし、都市の管理、エネルギーや食物の管理、そして労働者の管理など、権威ある仕事はみんな女のものだ。

 そもそも、男には自由ってものがない。このポテンシャル隔離ブロックから外に出ることは許されない。男が立ち入りを許されているのは、自分の家と、仕事場と、フラワーバーくらいのものだ。いつもPテストの結果を気にして、いつかP9までランク・ダウンして火星に連れて行かれるんじゃないかっておびえてる。オレたちは、一人じゃ何もできやしないんだ、できることといったら、せいぜい花粉を吸うくらいさ。ウェインはつぶやきながら、眠気を誘う調合の花粉を吸い込んだ。

「お帰り、パパ」
 翌日、ウェインがいつものように洗濯の仕事を終え、フラワーバーで一杯ひっかけてから家に着くと、珍しいことにロビーが彼を出迎えた。
「ああ、まだ起きてたのか?夜更かしは体に毒だぞ」
 そのとき、ウェインは息子の目が赤く腫れているのに気づいた。
「ロビー、どうしたんだ?学校で何かあったのか?」
 ウェインは息子の目線に合わせるようにしゃがみこんで、頭をなでながら尋ねると、ロビーは悲しそうな目でウェインを見つめた。
「パパ、パパはもう僕と一緒にいてくれないの?」
 ウェインは言葉を失った。とうとうこの日が来たのだ。
「そこに座るんだ、ロビー。その通りだ。おまえはあと4日後には誰か別のパパと一緒に暮らすことになるんだよ」
「そんなの…そんなのいやだよ!ねぇ、パパ、どうしてなの?」
「おまえとはまだ一度もそういう話をしたことがなかったな。おまえも一年後にはPテストを受け、父さんから離れて一人で暮らさなきゃならなくなる。そのときのために、父さんがこれから言うことをよく聞くんだ。いいかい?」
「…うん、パパ」
「いいかい、さっきも言ったように、おまえも10歳になったらPテストというテストを受けなくちゃいけない。Pテストっていうのは、その人の危険性をはかるテストなんだ。つまり、父さんやおまえが他の人に危害を加えそうかどうかをテストするんだ。そして、その点数でPランクというものが決まる。そのランクによって、身分や職業が決まってくるのさ」
「パパもそのテストを受けてるの?」
「ああ、この前も受けてきたよ。そこで父さんは…その、悪い成績だったのさ。ランクが下がっちゃったんだ。父さんにはもうおまえを育てる資格がない。おまえは、誰か別の…もっとランクが高いパパのところで暮らすことになるんだよ」
「いやだよ、そんなの…。パパと離れたくない…。新しいパパなんていらないよ…」
ウェインは泣き出したロビーを抱きしめ、耳元でやさしく言った。
「どうせあと一年後には、おまえもパパから離れて一人にならなきゃいけなかったんだよ。それがちょっとだけ早まったと思えばいいじゃないか」
「でも…パパ、僕Pテストなんて受けたくないよ。どうしてPテストなんてものがあるの?」
「ロビー、Pテストは10歳になったら必ず受けなきゃないんだ。男も女もだよ。でも、もしおまえのPテストの数値がゼロになれば、おまえは自由になれる。もうそんなテストを受ける必要もなくなるんだ。しかしな…」
 ウェインはそこで言葉を切った。ロビーは黙ってその続きを待っている。ウェインはようやく口を開いた。
「この世界には男と女がいるのは知ってるね?ロビー、おまえは男だ。父さんと同じようにね。男は、テストには合格しないんだ…。
男ってのは、誰でも少しは潜在的に他人に危害を加える性質を持っているものなのさ。生まれながらにしてな。だから、たいていは女の監視を受けて仕事をするようになる。オレたちが他の人間に危害を加えたりしないように、女に見張ってもらうんだ。オレたち男は…やっぱりダメなんだ、ポテンシャルなんだよ…」
 ウェインは息子を強く抱きしめ、最後の言葉を自分自身に言い聞かせるように言った。

 その二日後、ロビーはウェインのもとを去っていった。ウェインはどうしようもない絶望にうちのめされ、花粉にそのはけ口を求めるようになった。フラワーバーの一番暗い席が彼の定位置となり、一日のフラワーバー全体の消費量分にもあたる大量の花粉を、一人で吸引するのが彼の日課となっていた。
「おい、ウェイン、おまえ大丈夫なのか?最近のおまえは明らかに吸いすぎだぞ」
ラースが見かねた様子で彼のテーブルに近寄ってきた。
「…オレのことはほっといてくれ。せめて花粉くらい思いっきり吸わせてくれよ」
「しかしなぁ…、ここのところ毎日じゃないか。それも一人でだ」
「いいだろ、オレにはもう…何も残されていないのさ…」
ラースはあきらめたように首を横に振ると仲間たちのところへ戻っていった。それを横目で眺めながら、ウェインは再び花粉を勢いよく吸い込んだ。

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