卒論_2005 Part.5

 初めて見る火星の風景は、思ったより荒れ果てていた。ウェインは宇宙船の窓から、クレーターと石ころが延々と続く赤茶けた火星の風景を見ていた。目に入るものといえば、工場とおぼしき巨大な灰色の建造物だけだ。たぶん、こいつが花粉工場なんだろう。ウェインは備え付けの宇宙服を身に着けると宇宙船のハッチを開け、火星への第一歩を踏み出した。
 彼の姿を確認したのか、赤い目をピカピカ光らせた小さな機械のようなものが数匹、羽音を立ててこちらへ飛んできた。なるほど、こいつらが火星の案内人に違いない。ウェインはその後について火星の荒野を歩き始めた。

 こいつが例のインポテンシャルか。想像したよりずっと小さな男だな。レオは目の前の人類初のインポテンシャル、ウェイン・パートリッジを横目で見ながら、軽い失望を感じていた。昨夜は誰もが人類初のインポテンシャルを一目見ようとウェインのところに殺到したが、それがごく普通のさえない小男だと思うと、とたんに皆興味をなくし去っていった。だが、そのことを気にしている様子もなく、ウェインは軽い調子でレオに尋ねた。
「なぁ、この花粉ってのはいったいどこで作られてるんだい?」
「さあな。実は、オレたちにもわからないんだ。こいつは地下に続いているベルトコンベアーに乗って自動的に運ばれてくるんだ」
「それじゃあ、この工場の地下に花粉を製造している場所があるってわけか」
「ああ、たぶんそうだろう。しかし、オレたちは地下に入ることができないのさ」
「それはどうして?」
「恐らく地下に続くと思われるエレベーターがあるんだが、その扉がどうやっても開かないんだ。まあインポテンシャルのあんたなら、もしかすると入れるかもな」
 レオの声に混じる皮肉な調子にも気づかず、ウェインはまだ見ぬ花粉製造機を想像し、目を輝かせた。

 その夜、ウェインを交えレジスタンスの会合が開かれた。アントニオはウェインの功績と人間性に一通りの賛辞を送ると、口をつぐみ、急に真剣な表情になった。それまでウェインを取り囲んでいたメンバーたちは、ただならぬボスの雰囲気に気づき、しゃべるのをやめ彼を注視した。
「みんな、今までオレを信用してよくがんばってくれた。皆がこれまで尽くしてくれた忠誠に、オレは今ここでこたえようと思う」
 彼はいったん言葉を切った。皆が彼の次の言葉を待っていることを確認すると、ゆっくりと、重々しい声で語り始めた。
「これから話すことはすべてまぎれもない真実だ。みんな、よく聞いてくれ。いいか、実は、そもそもオレはP9として火星に送り込まれたわけじゃない。オレは、第6次世界大戦のとき、戦火を避けてこの火星に逃げてきたんだ。恐らく、オレの年齢は200歳を超えているだろう」
 一同にざわめきが走った。
「だが、大戦の前に受けた老化細胞摘出手術がオレを今まで生き延びさせてきた。そして、オレはここで気の遠くなるような長い時間を、一人待ち続けた。そして今、ようやく求めるものを手に入れたんだ」
 先をせかすメンバーを手で制すると、アントニオはポケットから一本の古いヴィデオ・テープを取り出した。
「にわかには信じられない話かもしれないが、これはまぎれもない事実だ。ここに一本の記録テープがある。まずこいつを見てくれ」
 アントニオは古ぼけた映写機にそのテープをセットし、スイッチを入れた。部屋の真ん中に立体映像が浮かび上がった。
「みんな、目をあけてこいつをしっかり目に焼き付けるんだ。これは、我々男にとって歴史的瞬間となるだろう」
 立体映像が焦点を結んだ。彼らには知る由もなかったが、それは旧時代に作られた一本のポルノ・ヴィデオだった。
「わかるか?今行われているのが、オレたち人間の本来の生殖行動だったんだ。みんな、自分の下半身を見てみろ。堅く、大きくなっているだろう?このテープの男と同じにだ。これが、ポテンシャルなんだ!」
 皆がいっせいに自らの下半身に目をやった。それと同時に、抗しがたいうずきが全身に広がるのを感じていた。ウェインただ一人を除いては。
「皆も知っての通り、200年前の第6次世界大戦で地球は一度滅亡した。しかし、よく聞いてくれ、もともと、世界の覇権を握っていたのは男だったんだ。男たちは自分の武器であるポテンシャルを使って女たちを屈服させていた。そう、その映像のようにだ。しかし、戦争でその社会形態は崩壊し、いまや地球上からはその古きよき時代を伝えるものはすべて失われてしまった。
 しかし、オレは火星に避難してくる際にその旧時代の様子を伝えるいくつもの証拠を携えてきた。このテープもそのうちの一つだ。
 旧時代の男は、皆戦争で勇ましく散っていった。そんな男たちを尻目に、戦いを放棄し生き残った少数の女たちがいた。女どもは自分たちの手で社会を再興しようとし、その試みは成功した。そしてやつらは我々男を社会から締め出し、女がすべての覇権を握る社会を作ろうと考えたんだ。そのためにPテストというものが考案された。ポテンシャルという言葉は本来の意味とは違う蔑称として使われることとなり、オレたち男は社会不適合者として不当な扱いを受けることとなった」
 いまやざわめきは怒号へと変わっていた。
「なぜオレたちは花粉を吸うんだと思う?他に楽しみがないから?安らぎを求めて?違う!実は、それこそが巧妙に仕組まれた女たちの罠だったんだ。花粉には、オレたちのポテンシャルを役立たずにしてしまう効果があるんだ。しかも悪いことに、花粉には中毒性がある。オレたちはいったん花粉を吸ったら、それなしでは二度と生きていけない。
 どうだ、感じないか?体の底からわきあがってくるエネルギーを!それが、オレたちの持つ真のポテンシャルなんだ!」
 メンバー全員が大きく呼応した。ウェインを除く全員が。

ヴァイアグラのメンバーたちは興奮冷めやらぬまま、それぞれの部屋に戻っていった。そして、あとにはアントニオとウェインの二人だけが残された。
「ウェイン、真実は、さっき話したとおりだ。オレたちはあの花粉がある限り、自由にはなれない。だからヴァイアグラはその花粉が作られる元を叩き潰さなければならないというわけだ。そして、その場所に入れるのは、法で行動の自由が保証された、君だけなんだ」
「しかし、そうしたらオレは花粉が吸えなくなっちまうじゃないか」
どんな大演説も、ウェインの頭から花粉の効力を取り去ることはできなかった。ここにおいても、彼の頭の中にあるのは花粉のことだけだった。
「心配するな。元を破壊しても、工場にはまだたくさんの花粉がある。君はその花粉を好きなだけ吸えるんだ。どうせ我々の計画が成功したら、花粉は我々には不必要なものになるんだからな。君はここで死ぬまで花粉を吸っていればいいさ」
「それなら…まぁいいか。オレは花粉さえ吸えれば文句はないんだ」
この花粉中毒め、アントニオは心の中で毒づくと、ポケットから小さな機械を取り出した。
「これは戦争のときに使われていた武器の一つだ。こういう時がきたときのために隠し持っていたんだ。こいつは小さいが、この仮設住宅を木っ端微塵にするくらいの威力はある。君は花粉の製造場所にこいつを仕掛けてきてもらいたい。こいつは時限式になっていて、スイッチを押してから爆発までには30分ほどのタイム・ラグがある。30分あれば安全な場所に避難するには十分だろう。危険な役目だが、こいつを実行できるのは、インポテンシャルである君だけなんだ!」
「ああ、わかったよ。こいつを地下の花粉製造所においてくればいいんだな」
 気乗りしない声でウェインは答えた。

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