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2.13 変われど変わらず

数日別府の家を離れていると、すぐにnoteから遠ざかってしまいました。

1日1投稿とはいかないけど、数日分まとめて投稿になったとしても1日ずつ残していきたいと思って始めたものがこれです。危うく5日坊主になるところだった。実際の日にちに追いつきます、ここから。


2月13日月曜日。
正直かなりなにもしていない一日でした。

起きてから書こう、完成させよう、と思っていた書類に手がつかずぼーーっとしていたらバイトに行く時間になり。今日はお客さんが少なくて、いつも以上に落ち着いた時間が流れるお寿司屋さん。普段は22時か23時に終わるバイトも21時には上がらせてもらいました。


風が冷たい別府の町を歩いて家に向かいながら、「1日無駄にしたなあ」と思いました。

約1年前までは学生団体の活動とサークルの幹部をしながら大学の授業、レポート。毎日のように締め切り、タスク、しなければならないこと、が迫ってくる生活でした。何かを達成するために頭を悩ませて悩ませて悩ませて、、って日々は少し睡眠時間が減ってもなかなかに楽しくて、いわゆる充実した大学生だったように思います。

だけど、ちょっとした理由から学生団体を離れ、その直後にサークルの幹部も任期が終了して、そこから数か月後には一番課題の多い大学の必修授業もとり終わり、かなり「やらなければならないこと」の少ない毎日になりました。

正直このころは大学生活がうまくいかない時期で、そこにエネルギーを使っていた分、なにか活動をがんばる、みたいな気持ちにはなれなかったときだったけど。それでも何もせずに終わる一日、何もがんばっていない自分が嫌で嫌で仕方なくて、からっぽのなかで泣いていることが多かった気がします。

1ミリも進んでいない自分、嫌いだなあって思いながら、でも自分のこと嫌いだって言っている自分のほうが嫌いだなあ、と。

よし、だらけているわたし、怠けているわたし、休んでいるわたし、を認められるようになろう。話はそれからだ。

だんだんとそう思うようになりました。


1年かけて、そこがすごくうまくなったように感じます。

自分に甘くなった、その事実は確かにそうで、これを良い変化だと捉える人は少なそうだけど、わたしはいったん1年かけて、そうなってみたかったのです。自分の一番近くにいる存在である自分を嫌いだ、認めたくないと思いながら眠る夜よりも、今日も何もしていないなあ、でもそれが今日の私のペースなら、それはそれでいいじゃないか、ってぐっすり眠る夜を選びたかった。

そうやって1年を過ごして

1日何もしていない自分に嫌気がさす日は、ほとんどなくなりました。
というより、何もしていない、のハードルが下がったような感覚です。


そして今日、久しぶりに「1日無駄にしたなあ」と思いました。


一瞬、今日は嫌いなやつの一番近くで夜を過ごすのか、と泣きそうになりました。

だけど、その日を振り返っている今、少しうれしく思います。

文章を書く、そこでもう少し大きくなりたい、そこまで余裕はない。
焦りにも近い感情ながら、それでももっと時間を、熱量を費やしたいと思うことが見えている今だからこそ、きっと何もしなかった一日を許せる自分ではなく、悔やむ自分であったのだと思います。

懸けたいものがあるということ、それがみえている今があるということ。

今日愛おしく思えるのは、そんな自分です。

思うことがかわっても、よしよし、そう思う私であって、いい
この在り方を覚えておきたい、今日です。

今夜も安らかに眠れますように。






締めたと思わせて、もうひとつ嬉しいことがあったので残しておきます。

一度出会えた人、そしてもう一度会いたいと願う人には、再会できる気がしています。そんな時間を過ごしてきた2年半だったからです。

2年半前出会って、そこから一度も会えていないけど、あのとき勇気をくれる一言をかけてくれた友人がいて、だけどなんとなく、この人にはもう会えないのかもしれないなあ、と珍しく少し諦めていました。ものすごく会いたいのだけど。なんなら元気にしているかということすらわからないなあ、と寂しさがありました。

そんな友人から、わたしのnoteにスキが届きました。
温泉帰りの夜道でした。

どこかで元気に日々を過ごしているのかな。

どんな夜も、その友人のそばにあるのが穏やかな時間であれば、と願います。

おやすみなさい🌙


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