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a quiet talk-2020/7/13

四半世紀前までは、“世界を動かす”のは圧倒的な権力や財力だった。
どれだけ人々を“従わせる”かがものをいった。不本意ながらもその配下に下ることも多かったことだろう(勿論、私も含めて)。
今は、何においても、人々が"関心を寄せ"、"好感を持ち"、"価値を共有し"、"多様に発展させる"ことが、"世界を動かす"ようになった。

ここ10年程の劇的なICTの進歩のおかげで、日を追うごとに、技術の活用はより広範になり、より多くの「我々」が特に実感することがなくても、日常生活にいつの間にか組み込まれている。
以前であれば、世界における善悪の定義など、権力と財力という魔法の杖があれば何とでもなった。
しかし今は、社会の善悪を決めるのは関心を寄せる「我々」である。しかも、右か左の手と数本の指で、そのデバイスをスッと撫でるだけで。

「我々」は間違いなくこの「恩恵」を享受している一方、「恩恵」どころか人を不幸に陥れるような事象も多々起きている。Twitterを介した悲惨な事件はその一つだが、実にやりきれない。それ自体は、有益な情報を共有・展開・発展させて、より良いコミュニケーションに貢献するツールだと思うのだが、陰惨な事件を引き起こす歪みはどこから来るのだろうか。

Twitterの創業者/CEOはその略歴を見るだけでも紛れもなく天才である。
約1年前に、度重なるTwitterに関わる不幸な事件について彼が見解を述べた動画を見たが、記事に言わせれば曖昧な方針というところの彼の言葉、彼の表情からは天才だけが持つ「理解されなさ」が読み取れる。真の目的は他者の幸福への貢献なのに、なぜ。

天才を理解することか不可能だが、「天才が生み出したこのツールは『我々』を幸福にするのだ」ということだけは、少なくとも、心のどこかに留めておきたい。

Mozart Piano Sonata No 8 A minor K 310




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