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【ココロの旅#97】"花まつり"-素的視点から

こんにちは、先週末近所の八百屋を覗いたら、大きな筍がもう並んでいました。しかも、比較的お安い値段で。このところの気候のせいで成長が早いようです。

●昨日、4月8日は…

花まつり=灌仏会=お釈迦様の誕生日 でしたね。

普段信仰心はないのに、「宗教は?」と尋ねられたら、社会通念上(?)というのか、無責任且つ無自覚に「仏教」と答えてしまう私。

この、宗教に関する問い、日本人だけの社会にいると、さほど耳にしないかもしれませんが、宗教が国家の運営に影響を及ぼす国々や人々と付き合うと("自由の国”米国でも!)非常に重要なトピックであり、公的手続き(例えばビザやら入国時)の際に必要となることも多い。

(あくまでも私の記憶ですが)"無宗教"という選択肢もありますが、私自身は「仏教」と回答しています。-Buddhist -の欄に印を付けながら「何か訊かれたらどうしよう。合唱して南無阿弥陀仏と唱えるか。」と本気で心配したなんてこともありました。

仏教は冠婚葬祭の『葬』でお世話になることが多いような印象がありますが、散歩をしているとお寺が地域のそこかしこに在る、意外と身近な存在であったことにも気づかされます(しかも大抵美しい花が咲いている)。
新興住宅地などは少ないかもしれませんが、観光地として特別有名な仏閣ではなくても、地域に根差したお寺がひっそりとある。
そんなお寺には、経典や住職さん、市井の流行語などの"インパクトあるお言葉"を掲示してあることもよくありますよね。


(近所のお寺さんの今日の一言は"自分はええやろ あかん あかん"でした...コロナ禍らしいな)

あの、短いお言葉にハッとさせられる、現代の我々...

はて、はて、一体何なんでしょうか?

●素的視点から

仏教では「無明(=無知)」を全ての苦のもととし、各人の「気づき」を大切にしています(聞きかじりデス)。
つまり、ハッとすること、自分に意識的にであることをとても大切にしている。

あれらの、今風でいう『刺さる一言』の数々は、釈尊が言葉の有効性を重視なさりTPOに合わせて自在に教えを説いていたことが、今も弟子の皆さんに伝わっている証左なのですね。

クスッとしながらも、暫く経つとその深遠さにうーんと唸る・・・そんな言葉が多いように思います。

そして、花まつりの昨日は、こちらのお坊さんのツイートに胸が温かくなりました。

皆さんも、周り方も、

「一人ひとり、この世の中に私ほど尊いものはない」

そして、カレー🍛!
このお坊さんによるとカレーは多様性の権化、老若男女が楽しめるし、具材も自由、皆で楽しくワイワイ作って楽しめる、という。

確かに、カレーは子供の頃のキャンプご飯の定番でした。
アウトドアの素人でもあまり失敗がないですし、特段料理上手でなくても皆が何かしらの作業に携われるし、分量もきっちりというより大雑把の方が美味しかったりしますよね。

時節柄、皆でワイワイが難しいですが、家でコトコトとカレーを煮込みながらお寺さんのお言葉を味わうのも良いかもしれません。

<今日の美>

いつぞやのカレー

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