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【素的視点から#009】"エンパワメント"が意味するもの-②

引き続きエンパワメントについて思うところを記します。
これは、あくまでも自身の見聞や経験に基づいた私見私論であること、ご了承ください。

前回のブログにおける私の「エンパワメント観」に、グローバルに活躍されている友人Sさんから「視点が異なって面白い!」という反応を頂きました。

このレス、こちらの思っていることを見通されたようで、「エエとこ突くなぁー!」とても痛快、気分爽快になりました。

そう、彼女はグローバル、私はドメスティックということでして...

本来empowermentは、

・誰もが自身の信条,意見を述べることができるように『力』を持たせる
⇒既得権やら占有権を傍らに置いて皆が参加すできる土台をつくる
⇒他者&考え/意見の尊重
⇒新しい誰もが個性を発揮できる世界へ!

なのですね。

が、ドメスティック(=日本国内の多くの組織)には前回のブログで書いたように、

・(互いに窮屈さを伴いながら)ベンチの席を詰めて新参者用に席を設ける
或いは、
・(既得権者が)これまで冠してた称号や身につけていた装飾や衣装をそのまま新参者に譲る
だから、
・顔ぶれは何となく変わったようだけれども中身は???

のようになるわけです。

そういえば、『労働者の権利擁護運動をその主目的とする団体(要は労組)』主催の女性組合員対象のとあるフォーラムで、上層部の方が極々普通に無意識に「(女性活躍には)女性に下駄を履かせることも必要」という表現を使っていたことを思い出しました。

この「下駄を履かせる」という言葉、(まるで枕詞のように多用していますが)本来は「価格や数量、点数の水増し」を意味するものの、かの発言は前後の文脈からも「本来は男性が就く役割/仕事を女性にちょっとやらせてみる」というようなものでした。これには単なる"上から目線"では片付けられない根深さがあります。

自身の経験上、エンパワメントというと、どうしても男女機会均等方面に話が偏りがちなのですが、この「女性」というカテゴリーに他の"マイノリティ"とされる人々を当てはめても同様です。

既得権者の方々の心情には、
「我々は単に権利を占有し行使しているだけではない。それに見合った責務をこなし、時には代償も払っている」
というものがあると推測しますが、それに対しては、
「まずは、『我々』なるところのその思い込みを捨て、『我々』以外の人々の声を敬意を持って聞き、『我々』も『彼等彼女等』も『人』として本来は境界がないことを知り、誰もが個性を発揮し世界を共創する」
という意識を持つことをお勧めしたい。

理由は簡単、権益に執着するよりも世界が広がるし、心身が自由になり、本来の適材適所が世界レベルで達成できるから。

・・・とかなんとか書いておりましたら、ふとラジオからこんなニュースが聞こえてきました...

「昨年末に閣議決定した「第5次男女共同参画基本計画」で定めた女性採用率35%以上の政府目標を達成」

あのぉ、だから、その、ですねぇ...(絶句)

であれば、こちらは(私は)、良識と広い視野をお持ちの皆さんとこうして、草の根というのか、真のempowerment&新しい世界を共創していきたいと思います。


<今日の美>


御神木、皆さまにも真のパワーを!

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