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のら、ふらふら:一.交わる道に偽誓を避けること

 海岸沿いに続く線路の上を、電車が走っていく。

 イギリスとしては比較的天気が良い方、しかしほんのりと黄土色にくすんだ空は、快晴とは言い難い。そこに浮かぶふやけた雲と、その前を通り過ぎる渡り鳥の群れ。

 寒々とした、灰色の水平線。

 車内から眺めるわたしのまつげまで、湿気って露がこぼれ落ちそうな風景だ。

 紺色の車体に黄色の「顔」をした電車は、ロンドンと南西の地方を結ぶ高速電車である。

 ヨーロッパの玄関口となるドーバーから首都の真ん中までを繋ぐラインで、停車する駅はごく僅か。牧草地を住宅地を、瞬く間に通り過ぎて目もくれない。冷たくて素っ気ない、高嶺の花みたいな乗り物だ。

 だがそれを、わたしは嫌いではない。

 わたしは田舎で生まれ育ったので、電車といえば鑑賞一択、遠くから眺めるものだった。

 特に今日みたいな冬の日、雪がちらつく荒地には灰以外の色がない。鮮やかでぴかぴか光る車体は、通り過ぎるだけで、わたしにはとても良いものに見えた。

 そして実際に知ってみるとこの乗り物、高慢な顔をしているわりに、感じは悪くない。

 案外音はうるさくないし、座席は柔らかくて清潔だ。

 特に足元に、わたしだけのスペースが取れるのは称賛に値する。小柄なので足を伸ばすのには大抵の場合困らない。けれど例えば今この時、濡れたバケツを他人に迷惑かけることなく、床に置いておけるのはうれしかった。

 わたしの身近なひとびとは、金属製の交通手段に極端な拒否反応を見せる。

 金属製というのはつまり、馬車や自動車や、自転車や飛行機、そういうもの。拒絶こそしないものの、人生の途中から現れたもの、異なる文化のものに馴染めない気持ちはよくわかる。

 わたしだって、平日にしか公共交通機関を利用しない。

 たぶん根本は同じなのだ。ただ、わたしは移動手段を基準とし、皆は精神の快適さを選ぶ。

 火曜日の朝十一時半、上りの電車だというのに、乗客はとても少ない。

 最も混雑する時間帯ではないのは承知しているが、それでも運営が心配になる人気のなさだ。なんせ、わたしがいる最終車両には、見渡す限り人がいない。気にならないはずのリールの軋りが、身体に響くような侘びしさだ。

 もっとも通常の乗客は、先頭から順に車両を選ぶことが多いらしい。

 駅によってはプラットホームが短いこともあり、後半のドアは停車しても開かないことがある。実際、わたしが乗り込んだ駅もそうだった。そんな風に乗り降りに不便、更に不都合があっても逃げ場がないので、最終車両は避けられがちだ。

 本当ならわたしも、別の席に移った方がいい。

 見てくれはか弱いことをを自覚して、警戒するように見せかけないと、無用なトラブルを招く。それは本意ではない。

 そうわかっていても、静寂を選んでしまう。

 人が多い場所は、まだ落ち着けない。でも目の先で逃避したところで、何も変わらないのも理解している。

 分岐器を踏んだらしく、電車が揺れ、両足に挟まれたバケツの中で石が鳴った。

 プラスチックが軽くて便利だけれど、愛用しているこの水桶はトタン製だ。横にふたつ筋が付いていて、取っ手の木片は店で見た時から欠けている。海へ出かけるとき、バケツがわたしの相棒だった。

 運転席のドアが開き、車掌が顔を出す。

 こういう時、わたしはついじっと人を観察してしまう。

 あまり人を見る機会が、ないからだ。なぜ機会がないのかというと、出不精だから。

 黒人の大柄な中年男性で、薄水色のシャツに、紺色のジャケットを着ている。お仕着せとしてはいささかだらしなく、ネクタイなしで首元のボタンはふたつ目まで開いている。

 太った印象はないが、上半身にボリュームがあって、通路に立つと圧迫感があった。厚みのある唇の一文字が、強面を一段と強調する。

 厳しい顔が特徴的ながに股で近づいてくるので、わたしは目を逸らすことができない。機嫌が悪いだけなのか、わたしの視線に気分を害されたのか、あるいはただのポーズなのか、見ているだけでは原因究明は難しい。

 チケットを求められる前に、ポケットから出して提示する。

 切手を見せる時は、いつも少し緊張する。印字の掠れた厚紙の、丸い角がさらに曲がっているから、余計にだ。

 これ以上ひどくなる前に切手ケースを用意しようと決心し、下車する途端に忘れてしまう。おかげで何度も、恥ずかしい思いをしている。

 学習が遅いのは、わたしの悪点の一つだ。

 太い指でくたびれたチケットを丁寧に摘まみ上げた車掌は、おや、と片眉を上げてみせ、

「魔女さまですか」

 と、掠れた低い声で、意外な顔をした。

 その時、カーブでかかる横への重力により、わたしは隣の席に滑る。

 意図せぬ衝撃にも、通路に立つ車掌はびくともしなかった。例の立ち方は、走行中に姿勢を崩さないための工夫であるらしい。

 いそいそと座り直す。気が付くと、返事のタイミングは失われていた。

「今日はほうきの調子が悪いんですか?」

 中心にぎゅっと皺を寄せて、車掌が親しみを込めて言う。その顔を数秒間たっぷり眺めてから、差し出された切手を、わたしは無言で受け取った。

 実をいうと、この手の冗談にはもう手垢がついている。

 わたしには本当に不思議なのだけれど、人間は本気で、魔女が毎日ほうきで飛び回っていると、信じているのだろうか。特にこんな、雨の多いイギリスで。

 でも、この人からそれを聞くのは初めてだから、できるだけの笑顔で受け流す。善良な人間を脅かす真似は、はしたない。それが魔女に求められる、正しい対応。

 好奇の目、しかし十分に礼儀正しく、車掌は胸に手をあてた。

 たいていの場合、魔女とわかると、ヒトはそれと距離を取ろうとする。

 物を知らない子どもならいざ知らず、教育を重ねれば重ねるほど、人間は理解しがたいものを敬遠するようになる。動物としての本能なので、それは仕方がない。

 このような相手を尊重する対応は、接客のプロであっても珍しかった。

「あまり、魔女は乗りませんの?」

「そうですね。わたしはこの路線に変わって二年目ですが、魔女用切手でお乗りのお客様には、お会いしたことがありません」

 見た目それっぽいのは、毎日のように見かけますけれどね。

 やぶ睨みの車掌はウインクをひとつして、次の車両へ移って行った。

 がに股、けれど妙に姿勢の良い背中を見送り、わたしはたった今交わした言葉について考える。

 会話としては散々だ。共通する話題は思いつかないし、魔女の知り合いはないと言われて、つい口をつぐんでしまった。

 返事ひとつ、以前はどうやってしていたのか、未だに思い出せない。

 見上げた天井に、間接照明の柔らかな光が当たる。通気口のひとつが、バチン、と派手な音を立てて割れた。


 電車を降りるのは、終点のセント・パンクラス駅だ。

 ステップから足を差し出しただけで、いつも溢れる活気が肌を刺す。国内外を繋ぐ快速電車が行き来するこの場所は、いつも不必要に慌ただしい。

 電車が停止した瞬間に客が吐き出され、すぐさま車内清掃が入り、次の運行へ備える。プラットホームでもたもたしていれば、即座に駅員が手を差し伸べてくれる。が、親切心は何割かで、その心は道を塞ぐ障害物撤去の、使命感に支配されているのだ。

 雰囲気に急かされ、早々と出口へ向かう。

 無精せず、一度外に出た方が移動は早い。

 この駅はロンドン交通の要所であるキングス・クロス駅、また地下鉄ともコンコースで直通している。

 けれど、わたしは構内を滅多に通らない。駅そのものが有名な観光地化しているせいか、いつもひどい人込みなのだ。

 それが、息苦しくてかなわない。

 流行店に並ぶのは加工された鉱石や金属、薬剤に香油、それに粉に様々な品を混ぜて焼いたなにか。これらを日常で身につけたり、まして口に入れるだなんて驚きだ(なんとあのレプラコーンの目薬を、人間は香水として使うらしい!)。わたしは、建物に充満するにおいだけで、むせてしまいそうになる。

 きっと、多くの同胞たちも、メトロポリタンに慣れないのだろう。セント・パンクラス駅を常用するようになってはや数カ月、未だにわたしは幻想動物を構内で見たことがない。

 現在、魔女を含む幻想動物は、実在する生物として一応は、公式に認められている。

 ひと昔前までは、人間にとって超自然的な動植物は全て、空想の中の欺瞞であると考えられてきた。それが「再発見」され、保護にまで乗り出したのだから、まず大した進歩だと思う。

 けれど未だに街は人間だけのもので、わたしたちはその輪に入れない。

 とはいえ、それはきっとお互いさまだ。わたしにも高層ビルが立ち並ぶシティに足を踏み入れる勇気がないし、駅を活用していても、用事が住めばそそくさと退場する。人間が何もない荒れ地に、足を踏み入れないのと同じこと。わたしたちはお互いに、得体のしれない相手を怖がっている。

 そこで、はたと気が付く。

 わたしには、探しびとがいる。

 つい日々を生きていくだけで精一杯になってしまいがちだけれど、上京してきた目的はそれだった。

 ロンドンにいることだけ、わかっている。

 薄々は気がついていたけれど、どうも大都市でのひと探しは簡単ではない。漫然と住んでいるだけでは、道ですれ違う可能性も皆無だ。

 人に敬遠される幻想動物は、都会のどこにいるのだろう。

 わたしのように、息を潜めて隠れているものばかりではないはずだ。聖域があるのか、あるいは擬態して、社会に溶け込んでいるのか。

 馴染む努力をして、理解を深める時期かもしれない。頼まれた「おつかい」を、遂行できずに反故にするのは、わたしの主義に反する。

 少しだけ、周囲を散策していく気になった。

 鉄筋にガラスでできたメインエントランスを出て、ひとまずは出入口から遠ざかることに専念する。

 風が冷たい。意地悪にワンピースの裾に入り込んで、体温を奪う。荷物があるので腕を組むわけにもいかず、ケープに顎を埋めて縮まって歩く。

 側溝の穴から、ノームが飛び出して目の前を横切った。

 わたしはちょっと度肝を抜かれて、車道の隅を見直した。主に地中に生息する生き物なのに、こんなところにいるのか。

 しかしそういえば、ロンドンには鉱物を含んだゴミが多いと聞く。

 携帯電話に使われる金しかり、工事に使われた銅線が、ヘドロに混ざっていることもある。ガーネットに至ってはテイムズ河の底に、船から落ちた装飾品から外れてまとまって発見されるというから、案外鉱石好きの小動物には、穴場なのかもしれない。

 考えながら、足元ばかりを見ていては危ない。

 人間の間を上手くすり抜け、ぶつからないように気を付ける。車が入れないように棒が立てられた歩道は広いけれど、スマートフォンで何かを見たり電話をしたり、余所見をする通行人は多く、掻い潜るのにタイミングをはかる。

 車道の反対側には、ミズクラゲにそっくりのドームがある。

 多分これが、お隣のキングスクロス駅。確かめたことはないので、ひょっとしたら違うかもしれないが。

 人足が絶えたところ、街路樹の下に立って振り向くと、赤茶色のアーチが並ぶ煉瓦の壁が目に入る。それが下手なパース絵のように、現実感なく長く伸びた先、半円窓がここからでは潰れて見えなくなった角の上に、塔が現れた。

 実用一辺倒の見張り台ではない、装飾がちりばめられている。時計が特に、通行人の目を惹く。雨が多い地域の常として傾斜のある青みがかった灰色の屋根は、凛々しい鋭角を空へ突き刺していた。

 ただ、わたしにはその設置場所に違和感がある。

 通常、例えば宮殿などでは、左右対称なのだ。見せ場は中心にあると思っていたので、塔が隅にあるのは、バランスが悪いように思われるのだ。それでいて、実物を目の前にすると、それはそれで悪くない。正しいとされる知識と、感覚にムラがある、不思議な感じだった。

 それを無視すれば、様式は華美で、特徴があって憶えやすいのは気に入った。

 次に上空を通る時、探してみようと思う。それから、次に電車に乗るとき、塔がいつもの線からどうなっているのか、確かめてみようとも。そういえばわたしは、何度も利用している電車駅なのに、天井がどうなっているのかも知らない。

 道路の横には、ひたすら壁が続く。

 早々に飽きて駅前の広場に引き返し、ドームには心惹かれないので、自然と左に折れた。

 次に進んだ道には、背の高い近代的なビルが、威圧的に空を覆っていた。

 それぞれ大きく柱を配置したり鉄筋を組んだり、個性を出そうという努力の跡は認めるが、どれも基本は直線的で、特筆すべきものはない。どこも透明ガラスで中身がよく見える。行儀よく清潔、そして粛然。

 どの建物も地階は天井を高めに取っており、静の上階と様相をがらりと変えていた。

 吹き抜けに案内が置かれ、大きな絵画が飾ってあるもの、飲食店も様々なジャンルの店が、それぞれの国の代表みたいな顔をして、客の気を引こうと精力的に競い合っている。

 中央の緑地には、流れる噴水がある。

 そこの側、木陰で楽しそうに雑談する一団もあれば、駅から出て一息ついている旅行者もある。イタリアンカフェのテラス席にパソコンを持ち出して、商談中のビジネスマンもいる。うまく住み分けている、といった印象を受けた。

 気が付くと、息を潜めて歩を急いでいた。

 進行方向へ緩やかな上り坂となっている歩道は、公園というには舗装がしっかりしすぎていて、花壇と言うには人工池の比率が大きすぎる。まっすぐに切り出された石のスロープと、一段が広くそのものがなだらかなスロープのような階段の、出来るだけ傍を足早に上る。

 透明な水が段を零れて落ちる、噴水を見て歩く。

 通り過ぎる人の視線が、手にしたバケツに注がれているのに気が付いて、わたしはそれを両手で抱えた。トタンは手に冷たく、器で言う高台の部分が指に食い込んで重い。

 カラフルなコートに身を包んだ小奇麗な人間達が、大きくロゴの入った紙袋をいくつも下げて、プラスチックのカップを手に歩いている。

 この光景にも、ずいぶん慣れた。

 マラソン大会でも開かれていて、近くに給水地点があるのかと勘違いしたこともあったけれど、最近ではちゃんと、そういう衣装の流行であることを知っている。人間は上着を羽織って、走ったりしない。運動用の靴を履いているのは、そういうファッション。

 暗い朱色のロゴの入ったカップ、白いプラスチックの蓋、冷めて匂いのしなくなった飲み物。

 わたしだったら、お茶は座って、温かいうちに楽しみたい。

 すれ違う人の顔を見ないよう、足元を凝視する。


 四角いガラス窓のビル群をぬけると、開けた広い道路に出る。

 ほっと、思わずため息が漏れた。

 息のしやすさは視界が開けただけではなく、車が少ないことにもあるようだ。”Look Right”とペンキで書かれた横断歩道の、右側からバイクがいなくなるのを待って渡る。道には信号がない。一緒に移動する人影もなく、自然と足も軽くなる。

 水路が目の前に現れた。

 それ自体はおかしいことではない。ロンドンはテムズ川を中心に、水路と共に発達した都市だ。ただの河川ではないのは、そこに舟を浮かべて生活の場としたり、交通手段として現役なところ。

 この水路も観光マーケットで有名なカムデンと、水上バスで繋がっていると書いてある。その立て看板の様子と値段から考えるに、公共交通機関ではなく、観光用であるらしい。確かに、カヌーさえすれ違うのが難しい川幅の細さでは、流通には向かない。だからというわけではないだろうが、使われない水は黒く濁って、浅いはずの底も見通せなかった。

 わたしが住んでいた荒地にもやっぱり水路があって、これより狭いくらいだったけれど、材木を運ぶのに活用されていた。

 もちろん無理やりの行動だから、時々舟が川底に引っかかったり、ひっくり返って沈没することがあった。

 そういった場合、人力でどうにもできなければ魔女が呼ばれ、問題を解決すると謝礼がもらえた。

 場所と歴史によるだろうが、わたしの地元は魔女に寛容であったし、貧しい荒地のこともあって、古くから幻想動物でも魔法でも、利用できるものはなんでも利用してきた。

 それが異常であるとは思わない。持ちつ持たれつは健全な生き方だ。

 もちろん、ロンドンでは勝手が違う。

 ここでは、流通と人口は比例しない。物流は溢れるほどなければならず、手伝い程度の仕事は求められない。近代都市において、経済の過剰こそが正義なのだ。

 わたしは、ひとつの技量に長けた魔女ではない。

 良い魔女とは、ひとつのことに熱中して研究を重ねる、探究者のことを言う。極める学問が広く有効であれば、例えば十三人の魔女のように名をあげ認められることもある。

 だがわたしはまだ、そこまで打ち込める趣味を持たない若輩だ。自分を積極的に売り込む胆力もない。

 先の春に寝付いてしまってから、何かと調子が戻らない。

 おもわすれをしたわけではないのに記憶をたどるのにやけに時間がかかる。そしてそれは僅かに残る自尊心を傷つけ、ただ日々を過ごすだけで、わたしを精一杯にさせてしまうのだ。

 だから、あまり突き詰めて考えないよう努める。

 車道が通行止めになった橋を渡ると、左手に水路へ降りる階段、右手に広場が出現する。

 昔は工業地区であったのだろう。明らかに工場跡だとわかる単調な建物を正面に、これまたなにもないコンクリートの床が殺風景に広がっている。

 車道との間に段差がないので、広場に乗り上げたフードトラックが、ちらほらと停車して食べ物を売っていた。

 駐車の間に妙な差があるのは、床に穴が空いているからだ。噴水がある。意識して見ると、敷地は平ではなく、三か所ほど穴の開いている部分が、僅かに隆起している。その間が谷になり排水溝へ繋がる。今はゴミが詰まって、数日前の雨水の残りを蓄えていた。

 噴水は、冬季は可動していないらしい。

 水溜り以外に、濡れた形跡はない。それに、そうでなければレジの真下が穴だらけのトラックから、あんなにも無造作に、ホットドックを受け取れるはずがないだろう。

 構造から想像するに、細い水柱が立つだけの噴水だ。

 でもひょっとしたら、水を少量交互に発射する、躍動感があるタイプかもしれない。周辺の景観を考えればミニマル、地区の活性を考えれば遊びがあったほうが良い。

 鼻歌交じりに、そんなことを想像する。答え合わせは半年ほど後、再訪した時に。

 ぶらぶら腕を振っていたら、首に巻いたケープが緩んで、落ちそうになった。

 慌ててバケツを手首にかけ、羊毛の防寒具を巻きなおす。母のお下がりは温かいけれど、古いので留め具がなく不便だ。

 両端を縛るのに、両手の指輪が邪魔になる。

 十四個もあるので、いくつかは一つの指に重ねて付けている。

 何をするにもぶつかって、妨害してくるのが苛立たしい。でも常に見えるところにないと不安なので、大きすぎて落としそうになりつつも、指にはめるしかないのだった。

 思い出せば、今日見かけた人間たちは、腕に沢山の荷物を持って、更に飲食する余裕があった。

 ボタンとジッパーで、動いても風が入らず、ずれないコートは、わたしの人生に新しく登場してきたものだ。動きやすい服を新調するのも、悪くない案だ。街で見かけない古い洋服には、型が使われなくなるだけの理由がある。

 指を空へ掲げる。

 銀の石付き、錫製の編み込み、金の文様入りの指輪たち。冷たくわたしから目をそらしている。ひょっとしたらこれらをもっと、安全快適に持ち運べる方法も、あるかもしれない。

 ガスホルダーと呼ばれる建物が、前方に鎮座している。

 なぜその名前を知っているのかというと、そう書かれた宣伝ボードを身につけた、サンドイッチマンが立っているからだ。

 なぜ今どき、こんな古臭い宣伝手法を使う気になったのだろう。

 胴の前後に看板を取り付けるのは、重くて動きづらい。わたしに背中を見せたその人も、疲れているのか、ガックリと肩を落として立ちつくしている。

 動くつもりがないなら、看板だけをそこに立てておけばいいのに。落胆したその人に同情するも、そこからさり気なく距離を取る。

 「ガスホルダー」とだけ白黒写真の上に、サンセリフ体の文字で書かれたポスターは、何を目的にしているのかはっきりしない。

 そもそもあの並ぶ円柱は、建物なのかオブジェなのか。建物なら商業施設なのか、あるいは居住のためのものなのか。

 疑問を抱いたまま、実物を遠くに眺める。

 確かに、ガスをいれておくタンクに似ている。その手前、大きな倉庫を改造したコマーシャルセンターがあるので、実際にそうであったとしても、危険なのでもう現役ではないだろう。

 コマーシャルセンターの前身は駅で使うコールを保存していたという、今は商業施設に、名前だけを残していた。

 どちらも燃料だ。だからどう、と結末は思いつかない。

 ふと気がつくと、サンドイッチマンは視界の中から消えていた。

 振り返ると、フードトラック郡の側に移動している。買い物するつもりはないらしい。数メートル離れたゴミ箱へ向かいうなだれているので、背後のわたしからほとんど頭が見えなかった。

 たぶん、あの人には背面しかない。

 前方から、工事の音が聞こえてくる。

 枯れ葉を残す街路樹の上に、大型のクレーンが動くのが見えた。

 全体的に新しいこの辺は、まだ開発が途中なのだ。高く骨を組んでいる最中のビルは、きっと駅近いオフィスのように、ガラス張りの建物になる。数ブロック先、すでにその片鱗を垣間見せる、天を突く建造物を仰ぐ。

 噴水とは違い、これは完成図を想像する気にならない。


 噴水の広場に戻って、お茶を買った。

 フードトラックではなく、自転車に荷台がついている移動販売の女の子から手に入れる。ただ売り子と目線が近いというだけで選んだこの店は、この先のコール・ドロップ・ヤード中にあるカフェの出張サービスだ。歩いているちょっと喉が渇いた客にはテイクアウトを提供し、何か食べるつもりがあるなら、ここから案内して店内へ誘導するという。

 小さなスタンドでも飲み物の用意は万全だが、お湯は保温器だったので、ティーバッグだけ購入した。包みが几帳面に整列した箱の中から、オレンジ色を摘まみ上げる。有機栽培と印刷された、イングリッシュ・ブレックファースト。

「本当に、カップもお湯もいらないんですか?」

 心配するギャルソンエプロンの店員に手を振って、水路への階段を降りる。

 人口芝の敷き詰められたスペースを通り過ぎ、水路脇に立った。

 遊歩道には、簡素なコンクリート舗装があるだけだ。水路にはあまり船着き場がないので、どこでも乗り降りができるように柵がない。ちょっと動きを間違えれば水面へ真っ逆さまだが、慣れてしまうと平気で通れるし、自転車は全速力で狭い歩道を駆け抜けていく。

 橋の下にいる、水上バスのチケット売りと目が合う。

 船は停泊しておらず、次の運行時間まで余裕があるのか、待っている乗客もなかった。手振りで勧められ手振りで断り、反対の西側へと進む。カムデンマーケットに、用はない。

 別の川端に目を向ける。

 こちらの歩道は水路に沿って続くようなので、座れそうにない。イスはなくていい。できれば静かで、人があまり居ないところがあれば。

 反対側はスロープがあって降りられるが、そのすぐ下は打ち止めだった。申し訳程度に進入禁止を示すバーが立ててある。すぐ横には剪定なんて言葉知りません、と気ままに枝を伸ばしたセイヨウニワトコが茂り、根元で気が早いネトルが芽を覗かせていた。

 パスではなく、暑い時期に涼むためのスペースのようだ。おあつらえ向きに、植物が枯れ果てた花壇もある。

 両側が少しずつ寄って、川幅の狭くなった位置を探す。

 服で隠して太ももを叩き、呪いをかける。そのまま歩いて、水路を渡った。

 濡れると滑るので、靴底は水に触れないのがコツだ。遊歩道を走ってきた青年がちょっとぎょっとしたけれど、立ち止まることもなく、騒ぎにはならなかった。顔を背けて逃げて行くのを、同じようにしてやり過ごす。

 魔法は法律違反ではない。

 けれど、街で見かけないことは目立つ。注目されるのは好きではないけれど、時々どうしようもない事態に陥ることもある。幸い、わたしは杖など補助器なしの魔法が得意なので、多少はごまかしが効くけれど。

 日常でわたしは魔法に頼りすぎないようにしている。

 魔法は万能ではない。ワンピース一枚で雪中を歩けるとか、かけた眼鏡がずれないのは、疑いなく便利ではあるけれど、魔法の無駄遣いをしていれば、いざというときに困ることもある。

 自分が使える超自然的力、つまり魔力は、体内に蓄えた分しかない。道具で補助することもできるけれど、能力にそぐわない力は得てして、暴発しやすかった。

 街で暮らすなら、ヒトと同じ生活を心がけること。

 姉が里帰りの度に、くれた助言だ。

 かといって、わたしは人間と暮らしたことがないので、そのスタンダードの見当がつかない。想像の中の「普通の生活」は、ちょっと前時代過ぎて不足があるような気もする。だから大体において見よう見まね、自分の譲れない不便に関しては、惜しげもなく魔法を使うと決めている。

 例えばそう、お茶を飲むときなんかには。

 階段下、川べりへ直接腰を下ろして、こっそりとボストン型ポーチからホーローのカップを取り出す。

 花壇の囲いに座っても良かったけれど、やっぱり水に近い方が楽だ。石入りのバケツは隣に置き、空いた三本指でカップの上に呪文を書く。今日は水路の水を拝借することにした。今にも雨が降りそうな曇り空の下、空中の湿気も高そうだけれど、喉が乾いたので速度を重視。

 汚れを抜いた水を持ち上げ、殺菌してから沸騰させる。

 本当は空中で沸かすのは危ないので、できるだけ地面に近く、飛び跳ねないように気をつける。

 十分に熱くなったら、高い位置からカップへ落とす。たっぷり空気を含んだ熱湯でないと、茶葉がきちんと開かない……と、ここで慌てて、忘れていたティーバッグを放り込む。あとは茶器の周りの空気を留めて、保温するだけだ。

 お茶ができるのを待つ間、覗き見されているのを何とかしよう。

 先ほどから、ニワトコの枝が垂れて水面につきそうになっている影に隠れて、不躾な二つの瞳が、わたしを捕らえているのだ。わたしの視界ぎりぎり外なので、意図的と思うべきだろう。

 対岸からは、位置的にわからない。見えたところで、多くの人間は「気づかない」だろうが。

 人間という生き物は、多くがカガクを信仰している。

 この宗教の信者は、幻想動物を目の前にしても、脳が認識しないのだそうだ。そして無意識に存在を無視する。わざとではなく、文字通り見えても聞こえてもいないのだ。ある人間は幻想動物を自然に受け入れるが、そうでない人間はコンセプトそのものを理解することができないらしい。

 わたしは現状、目の前のそれを無視するか、話しかけるか選択することができる。

 利益不利益は、自身の断決に任される。それが最初からないというのは、どういう気分なのだろう。

「すいこですか?」

 接触のとっかかりに困った挙句、声をかける。反応は返ってこない。妙に緊張してしまい、顔をそちらに向けなかったのが良くなかったかもしれない。

 ゆっくりと振り向く。

 遠目にも白く濁った角膜は、水死体のそれに似ている。ふやけた肌の質感といい、それに擬態する生物なのかもしれない。水辺の生きるものには、そういう習性もあると聞く。

 ニワトコの枝の隙間、そっと顔を近づける。相手の白い肌には薄っすらと、青い縞模様があった。

「……ああ、水虎か」

 「顔」間距離が息がかかるくらいになってやっと、見返されていることに気がついたそれは、顔半分を水に沈めたまま、頓狂な声をだした。

「おやおや、ひょっとしてご同類かい」

「ええ。わたくし、人間の真似をするのは得意なんです」

 手の中で色よく出た紅茶のカップの、保温を切って差し出す。しかしそれは首を振り、

「あたしは河童だよ」

 と、名乗った。「頭に皿があるだろう、だから河童」 

 つるっとなで上げた頭の頂点に、毛がない。河童が来た国では、それを皿と呼称するのだろうか。わからないまま、わたしは惰性で頷く。

 河童は産業革命の前に、日本からやってきた移民だという。

 紅茶は飲まない主義だそうだ。

「ところで、あれはいいのかい」

「あれ?」

 水かきのある指で差された先、チケット売りがこちらの様子を伺っている。

 スマートフォンを手にしているが、構えてはいないので、撮影はしていない。多分先ほどの湯沸かしに気がついて、また何かしたらビデオを撮ろうと、待っているのだ。公共で魔法を使うと、通行人の一人は必ず、あれと同じ行動に出る。

「あれは、どうするのが良いのでしょうか」

 曲芸をやって見せてやる義理がないのはわかるが、正しい行いが思い当たらない。記憶を消すのは簡単だが、ここらでひとつ、普通の幻想動物は人間にどう対応するのか、学習しておきたいところだ。

 河童は間髪おかず、

「誰に対して?」

 と質問に質問を返した。

「と、いいますと?」

「例えば毎日のように、水路では人間の死体が浮くわけなんだけれども」

「まあ、こんなに浅いのに。不思議ですね」

 わたしたちはちょっと黙って、チケット売りを見る。

「ところで、君は?」

「魔女に名前はございません」

 わたしは言ってしまった後で、できるだけ感じよく微笑む。子どもの頃は、挨拶の度に叱られた。第一印象はとても大切なことですよ。説明は正しく簡素に、かつ誤解されないよう。

 独り立ちした魔女は一般的に幼名を捨てるのだと、わたしは軽く説明する。

「それで今はわたくし、混沌と呼ばれております」

 カバンの中に買った昼食があるのを思い出したわたしは、肩にかけたポーチから紙包みを取り出し、さりげなく河童に進呈した。

「よろしければ、どうぞ」

 東洋の水妖とお近づきになるのは初めてだが、水菓子を好むという知識はある。あいにく果物は持っていないが、きゅうりのサンドイッチも似たようなものだろう。

 わたしと同じく、人間を無視することにしたらしい河童は(でもよく考えたら、チケット売りにはには河童は見えていないのだ)、包みの匂いを薄い油紙の上から嗅いで、顔をほころばせた。

「いいのかい?」

「かえってこちらが助かります。わたくし、パンにはうるさいものですから」

 味は悪くないのだけれど、好みのパンではなかったのだ。

 その弁当は、電車に乗る前に港町の商店街の、鄙びたサンドイッチ屋で贖った。

 創業五十年と書いてあるとおり古い店舗で、年季の入ったガラスケースが感じの良い店だった。一度入店してみたいと願い、とうとう今日足を踏み入れてみたのだ。

 きゅうりも目の前で切っていたし、真摯な仕事をしていた。小麦臭の少ない、万人受けする味も、わたしが気に入らなかっただけのこと。

「我が家は昔、パン屋を営んでおりまして」

 荒れ地の真ん中にある田舎町でのことだ。

 当時、小麦を扱う店は当家以外になく、周辺住民の食卓に上がるパンは、うちの釜で焼き上げたものがほとんどだった。まだ、食パンなどの工場から来る、長期保存できる主食がなかった時代の話。

「河童さんは普段、何をお食べになりますの?」

 失礼かとは思ったが無学でかく恥は一時のことと、率直に尋ねることにした。返事を待つ間、お茶を一口啜る。苦味もなく香りも出ていた。

 河童はサンドイッチをかじり、考えるふりをする。

「昔はよく、水死体から内臓を失敬したものだけどね。最近はまあ、なんでも。あまりこだわらない種族なものだから」

 あら、とわたしはちょっと嬉しくなった。

「じゃあきっと、うちのパンをお気に召したはずだわ。色々な酵母を混ぜて作りますの。たまに捏ねるのに気合を入れすぎて、人型にしてしまうんです」

 パン用のかまどは大きいので、キッチンとは別に、建て増しした部分に設置されていた。

 部屋には発酵用の棚があり、日がよく当たるように屋根の半分までガラス窓になっていて、一番上には、藍色の色グラスのサソリの目が描かれている。火の妖精がいたずらをしないための、昔ながらのおまじないだ。

 パンにはいつも上等の小麦を使い、日によって酵母を変えて風味をつけた。

 でも天然酵母というものは管理が難しく、ちょっと目を離すとすぐ生命を誕生させてしまう。

「発酵中にヒトになってしまうんです。授かりものですから、最初はきちんとその子を育てていたのですけれど」

 さすがに十六人も生まれると、家が手狭になる。ヒトとして形を保つのが、難しい者もいた。それで末娘を最後に、後に生まれたものは成形し直して、焼いてしまうきまりができた。

 毎日同じ客しか来ないから、仕込みだってちょうどしかしない。そうホイホイこどもになってしまわれると、商売にも支障が出る。小麦は貴重だ。ちょっとヒトの味がしようと、無駄にはできない。

 仰向けに浮かんだ河童は、話の区切りに堪えきれず、ふふっと笑った。

「君はお芝居が得意だね」

 その言葉にわたしは虚を突かれ、一瞬返答に詰まる。

 別に困らせる気はなかったらしく、河童はいたずらっぽくわたしを見つめた。

「いや、本人は知らないがね。これでもこの辺に住んで長いものだから、魔女の噂はよくあるよ。混沌といえば魔女の中のお尋ね者じゃないか」

 河童は暗く汚れた水の中であぶくを立て、いくつかの混沌の魔女の逸話を、得意そうに披露した。

 魚に歌を与えて静寂を侵した話、疫病を虫に変えてばらまいた話。

 中には、わたしの知らないものもあった。紫の蛙雨を降らせたのは有名だけれど、鰯は初耳だ。噂が両生類から魚類にすり替わったのはどうしてなのだろう。

 ニワトコの葉の裏から、幼い妖精たちがわたしたちの会話を盗み聞きしている。下水に住み着くノームといい、小動物たちは案外たくましく、都会を生き抜いているらしい。

「でもまあ、ヒト味のパンは、混沌らしいエピソードだったかな」

 河童が話を打ち切り、わたしは口を閉じたまま、目を細める。

 手の中のお茶は、いつの間にか冷めてしまっていた。

 一瞬、そのまま飲んでしまおうかと躊躇う。けれど結局、手のひらをかざして温めた。冷茶に挑戦するのは、また別の機会。

「本当はノラなんですの」

 白状し、なんとなく手元に生えたネトルを摘む。

 これは乾燥させて煎じると、毒素を抜くのに効果がある。でも、これっぽっちじゃ、一人分のお茶にもならない。

「野良の魔女かい。それをいったら、あたしも野良の河童だよ」

 河童はそう言って、さも可笑しそうに水の中をくるくる回った。

 水底のヘドロと、ビニールの切れ端がそれに合わせて舞う。手の中のネトルの葉は、ボストンポーチの内ポケットにそっとしまった。

 空になったカップを片付けるついでに、

「河童さんは、硫黄毒の魔女をご存じではありません?」

 と期待せずに問う。

「硫黄毒? 確か、夕方石の魔女から聞いたような」

 予想していなかった返事があって、わたしは身を乗り出した。

 あまりの勢いに、河童は驚いて後方へすいっとひと泳ぎした。子どもっぽい行動にわたしは、自分自身へ戸惑う。

 詳しく聞いてみれば、夕方石は鉱石を組み合わせた細工を得意とする魔女で、一時硫黄毒の魔女を探していたらしい。

 硫黄毒の魔女は二つ名の通り、意欲的に硫黄採集するあまり火山に穴を開け、ある村を燃やしたことで知られる。だが、開発した商品も大したものと評判で、その時新しく調合した硫黄の結合剤を、夕方石の魔女は所望だったのだそうだ。

「十年以上前の話だよ」

 河童は言い、うつ伏せに浮かび上がったかと思うと、そのまま静かに水底へ沈んでいった。

 しばらく待って戻らないのを確信すると、わたしも立ち上がり、冷え切ったおしりを叩いて汚れを落とした。水路に向かって、丁寧に頭を下げる。

 ぽたっと一滴、水が鼻の頭を濡らした。

 気がつくと曇天は夜に近づき暗色も濃く、このタイミングを図ったかのように一斉に、街頭に明かりが灯る。

 あなたも早く、家を出るのよ。

 かつて投げられた言葉が、わたしの中でじんわりと溶け出している。

 

 帰りはバスに乗った。

 地下鉄のない田舎育ちのせいか、どうしてもチューブは肌に合わない。

 地下に血管のごとく張り巡らされた、路線がまず複雑すぎる。乗り換えは面倒だし、騒音も響く。なにより汚い。

 その点、バスは良心的だ。

 地上を走るので現時点でどこにいるのかすぐわかるし、しかも二階建てで見通しが効く。赤い色も愛らしい。

 キングスクロス駅から家に近い停留所のバスがわからなかったので、近くの大きな駅へ行く車を選んだ。後でちょっと歩かないといけないけれど、終点なので降り損なう心配が少ないのが決め手だった。

 階段を登ってすぐ、目に留まった席に座る。

 見晴らしが良いので、一番前の席は人気がある。このバスでも、男の子がちゃんとそこを陣取っていた。イスは通路両側に二つずつあるので、まだ左側は空いている。

 微妙にラッシュの時間とずれているのか、二階の乗客は前の青年しかいない。乗り込んだバス停が大学の前だったので、きっと大学生だ。

 換気窓が開いているけれど丁度よい室温で、わたしはバケツを膝の上に乗せ、ついうとうとしそうになる。

 布張りなのに妙にぺらぺらしたイスの上、無理に開こうとするほど下がる瞼と戦いつつ、それにしても、とわたしは思う。

 別の魔女、というのは盲点だった。

 わたしは今まで、硫黄毒の魔女を探していても、違う魔女にそれを聞いてみようとは微塵も思わなかった。

 魔女は同じ種族を理由に、群れることがない。自分に興味がないことには、とことん興味がないのだ。けれど研究というものはひょんなことで、別の分野と繋がることもあるらしい。

「潮干狩りですか?」

 先程からちらちらと、窓に反射するバケツの中身を気にしていた大学生が、いかにも思い切った様相で振り向いた。

 スラブ系の四角い顔をした青年だ。流暢なクイーンズ・イングリッシュの、アクセントには癖がない。

 それは職業的関心ではない。

 通路側にあるイスの、肩についた手すり棒に掴まる手は柔らかそうで、漁猟には縁遠そうに見える。貝そのものに興味があるなら、生物学専攻だろうか。単に、好物という可能性もある。もし夕飯に分けてほしいということなら、残念だが期待には添えられないが。

「いえ、化石なんです」

 わたしは水桶を傾けて、中の石を男の子に見えやすいようにした。

 黒くて艷やかな石の破片が、バケツに半分ほど入っている。ケント州の海岸で拾ったものだ。白亜紀後期の、アンモナイトやカニや骨。

 男の子は呆気に取られた表情になり、すぐに咳払いを一つして、石とわたしを見比べた。車内放送が、次の停留所の名を告げる。でも音割れして、はっきりと聞こえない。

「この辺じゃあ、ありませんよね」

 男の子は化石を指さして、意外にも質問を続ける。古生物が好きなのだと判断し、わたしはバケツの中をかき回した。

 ブリキの水桶にある化石には、ひと目でそれとわかる形のものは少ない。学術的な意図で集めたわけではないからだ。ほとんどがただの黒い石だが、それでもいくつかは巻き貝の螺旋模様が美しく現れている。それを拾い出して、わたしは彼の手のひらに三つほど置いてあげた。

「でも電車で、日帰りで行ける距離ですよ」

 遠慮する相手には、無言が有効。終いには男の子が折れて化石を受け取り、わたしが勝った。アンモナイトの背中を指で撫でて、大学生が顔を綻ばせる。

 おもむろにぱっと顔を上げると、

「でも、そんなにどうするんですか?」

「お茶にするのですよ。わたくし、魔女なものですから」

 口にしてしまってから、わたしは唇を押さえる。ここは荒れ地ではない。魔女に慣れた人間ばかりでは、ないのだった。

 少しばかり街に溶け込んだつもりになって、気が緩んでいたのだ。

 バスはそろそろ、終点に近づきつつある。

 予定より早く下車してしまおうかと思ったちょうどその瞬間、男の子が化石を握りしめて、不可解そうに呟いた。

「でも、なんでほうきで飛ばないんですか?」

 思わず吹き出してしまったのを、相手が悪く取らないでくれるよう願った。やっぱり人間は、魔女は飛ぶものだと誤解している。

 大学生はちょっとどぎまぎと、緑色の奥目で周囲をきょろきょろ見渡した。

「わたくしのほうきは、雨を嫌がるものですから」

 にっこりと、笑顔をつくる。

 それが魔女の、正しい対応。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。