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のら、ふらふら:終わり
なだらかな小麦畑を行く線路の上を、電車が走っていく。
まるで偽物のような鮮やかな青い空、強い光が当たってそこだけくりぬいたかのように影のない白い雲。春だというのに真夏もかくや、と感じる晴天だ。乾燥したどこまでも続く黄色がかった新緑の畑が、地平線でくっきりと地面と天を区切っている。
鳥の影が、すっと頭上を通り過ぎた。
わしか何かだ。ただ一人宙を突き進む茶色のそれは、遠目にも力強い翼を広げている。
座席に座ってわたしは、その心躍る風景を眺める。
白に小豆色のラインが入った電車の車内には、通路に赤いラインがある。座席はグレイベージュの落ち着いた色で、腕置きはオレンジ。明るい色調も、気分を盛り上げる要素の一つ。
一部の座席はボックスシートで、それ以外は二つずつイスが並ぶ、わたしの感覚では広すぎる前後間隔が贅沢だ。それぞれにトレイテーブルと足置きもある。至れり尽くせりの接待は、気が引けてしまうくらいだった。
乗客に配られたイヤホンをつければ、前方のスクリーンに映された映画を見ることもできる。でも、誰も集中してそれを鑑賞する者はいない。大きな声で話をしたり、ビールを飲んだり、各々がくつろいで快適に過ごしていた。
窓までピカピカに磨き上げられた電車は、でもおおらかで心安い。
わたしはいつものボストンポーチを膝の上に、ほうきはわざわざ買った隣の席に座らせて、再び窓の外を見る。
イベリア半島を縦断するこの電車は、内陸を過ぎてそろそろ海岸に沿う頃合いだ。
海を見るのが楽しみだった。地中海は青く澄んでいると聞いている。季節を外れても水もそんなに冷たくないというから、機会があったら訪れよう。きっと、わたしの見たことがない貝殻が落ちている。
木が少なく岩しかない輪郭のはっきりした山を超えて、いつしか線路は果樹園に分け入っていた。
広大な階段状の畑には、区画ごとに種類が異なる木が植わる。その領域が桁外れなので、オリーブの灰色の幹に丸い緑の葉が、退屈に感じるほど長く視界を占領した後、艶のある深緑の中オレンジの実が成っているのを、延々と見ることになる。
唐突に、電車が淡いピンク色に包まれた。
花だ。線路の横、手を伸ばせば枝に触れられそうなところに、一面の花が咲き乱れている。樹の種類は同じように見えて、微妙に咲かせる花弁の色を変え、桃色とバラ色のモザイクとなって、眼界を遮った。
「サクラかしら」
「アーモンドだよ」
前方の座席の間から、幼い声が訂正する。
ほんの小さな隙間に無理やり顔を突っ込んで、女の子がわたしを見ていた。
「おねえちゃん、魔女?」
挨拶もなく前触れもなく、幼女は上目遣いにわたしに質問する。その丸い瞳が動いて、わたしのほうきへ期待の眼差しを向けている。
前の座席には寸前まで誰もいなかったので、多分どこかの席から散歩に来た子だ。親は気がついていないのか、それとも放任しているのか、とにかく探している声はしない。わたしにもそちらへの配慮は要らないということだろう。
「ええ、魔女ですよ」
多少錆びついたスペイン語で答える。ふうん、と女の子は尋ねておいて興味なさそうに、意味もなく口をもぐもぐとさせた。
「あたし、遠くのおじいちゃんちに行くの。魔女さんは?」
丸い頬が柔らかそうな女の子だ。薄い金色の髪をポニーテールにして、よそ行きの赤いドレスを着ている。その胸元のリボンをしゃぶって、忙しなく目を左右に動かす姿が微笑ましい。
わたしは背を曲げて目を女の子の高さに合わせ、青い瞳を覗き込んだ。
「魔女を探しにいくんですの」
「なんで飛んでいかないの?」
わたしは苦笑する。この質問は万国共通なのだろうか。
隣でうたた寝している、ほうきを撫でる。乾燥しているためか、穂先が荒れて疲れ顔だ。思えば、わたしの生活で変わらず横にいたのは、いつもこのほうきだった。
柄の先には、ロンドンで選別に貰ったキーホルダーがついている。
二階建てバスのおもちゃがついていて、金属プレートには国旗色で”I love London”。指輪と一緒に首に下げたかったけれど、ほうきが欲しがったので譲ってあげた。
わたしは、キーホルダーの代わりに渡した、ひざ掛けを思い出す。
若い女の子用だからピンクと紫で、アラン模様にした。保温の術式中にこっそり休息促進のまじないを編み込んでおいたけれど、あの子はもう気がついたかしら。
「このほうきは、おばあちゃんなんですの。あんまり遠くへは、飛べないものですから」
「ううん、そうじゃない。飛行機」
その発想はなかった。
女の子は自然体のまま、じっとわたしの返事を待っている。自動ドアで隔絶された向こうの車両で、誰かを探して叫ぶ女の人の声を背景音に、反応する様子もなく。
わたしは照れ隠しに微笑んで、気が付かなかったことを正直に告白した。女の子は、重々しく頷く。
「お利口さんですのね」
女の子の鼻の頭を撫でた。
それがわたしの思う、正しい対応。
読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。