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のら、ふらふら:三.道の隅に糸

 団地の入り口に、金粒が落ちていた。

 廊下へと続く三つの段差の上に、無造作に。

 罠だな、と思った。買い物帰りのわたしは袋に入り切らなかった食パンの包みを手に、付近を見回す。

 わたしの住む団地は、不動屋さんを訪ねて「魔女用」として紹介してもらった。

 首都の中でも文化経済の中心となる、セントラル・ロンドンからそこまで離れていない。施政の地区ウェストミンスターすぐ外の、更に巨大な住宅地の隅にある。

 古びた建物は十九世紀、ある工場の労働者用の寮だったそうだ。

 敷地の中で立地の良い場所はファミリー向けに改装され、残る窪地で水はけが悪い一棟が、世間に隔絶されて、建築当時のほぼそのままに残っている。

 これまで魔女や魔術師を住まわせてきた遍歴のために、人工的なダンジョン化している。

 超自然的力が溜まって、生物になってしまったのだ。自然の魔力溜まりで生まれる以外、 設計図なしに発生した人工迷宮はとても珍しい事例で、わたしも聞いたことがない。

 ここの自治区は、幻想動物に応対する部署を持たない。小さな区なのに人口密度が高く、とてもそこまで手が回らないらしい。

 かといって貴重な資源となりうる物件を放置するわけにも、まして破棄するわけにもいかず、困った挙句居住者に管理を一任することを条件に、専用の公共団地としたのがここだった。

 ダンジョンの不都合といえば住民や来客が失踪するか、望まぬ幻想生物が住み着くことだが、 専門研究家ーーこの老婦人はごく普通の人間なのだがーーが在住し、上手くやってくれているので、ここの暮らしは平穏だ。

 弱体化させるのに魔力を抜く手伝いはするが、日々の生活魔法に流用できるのでかえって助かる。荒れ地の自宅で薬を調合していた時は、魔力が尽きて作り続けられなかった。今は材料があるなら起きている間、ずっと仕事をしていられる。

 そうして快適に過ごさせて貰っているのだから、ちょっとしたことなら、自発的に動く。

 ノームが入り込んでいたら退治するし、落ち葉はかいて捨てる。棟はそこまで大きくないし、敷地で考えれば荒れ地のほうが大きいので、どうってことはない。罠は無効化させておこう。

 玄関の金粒は階段へ、地下への踊り場へ誘導し、そして最終的に『倉庫』と書かれた扉へ続く。

 これはネームタグがあるだけで、物置ではない。ドアノブを開くと、口が開いて吸い込まれる仕掛けだ。等間隔に落とされた黄金は、獲物を誘う撒き餌なのだ。まだ若いダンジョンだから単純で、そういうところはかわいいと思っている。

 すべて拾って歩き、階段の一番下の隙間を埋めた。

 物置は実はこの、段差と床の間にある亀裂に繋がっている。そこがダンジョンの「食道」なので、同じ罠を再発させないためには、ここを封鎖して飲み込めないようにする。わたしは専門家ではないので、これが最適解かはわからない。まあとりあえずは、目の先で犠牲者が出なければいいのだ。

 正直なところ、建物の中で被害がないなら、それで構わない。

 ダンジョンが餓死してなくなってしまっては、住民にとっての居場所がなくなる。それもまた、困るのだ。

 拾得した金は食道を閉じる金具にしてしまい、これでプラスマイナス、ゼロ。

 キラキラと黄金色に光る金属片へ多少未練がましい視線を向けて、わたしは首を左右に振る。魔女がダンジョンから収益を得るのは、外聞が悪い。

 階段に仮置きしたパンを拾って上がると、頃合いを見て隣人が、扉から顔を出した。

 この棟は三階建てでそれぞれの階に二つしかなく、地下とあわせて八部屋ある。

 もちろん、全てが埋まっているわけではなく、また入れ替わりが激しいので、わたしは全住人の顔を知らない。その中で見知っているのは、先述のダンジョン研究家の管理人さんの老婦人(と、わたしはそう呼んでいる)と、この一階下の男性だけだった。

 この人はムクドリに似た頭をした男の人で、たぶん(元)人間だと思う。

 黒い羽毛に黄色の短いくちばしが艷やかで、身だしなみもシンプルながら、いつも清潔にしていて感じが良い。それなのにとっつきにくい印象を与えるのは、ひどい猫背のためらしい。

 ひとは背の高い人に凄みを覚えるが、奇妙な姿勢で目線を合わせられると、それが恐怖に変わる。本当は気の良い鳥なのだが、あまり付き合いが得意ではない。無口な人だった。

 小さな劇場で、片手間に舞台作家のようなことをしているらしい。

 なぜそんなことを知っているのかというと、この間チケットを貰ったからだ。

 これ、と風切羽で差された原作者が、彼なのだと思う。入場券は薄い光沢のある印刷紙で、小豆色のタイトルに、焦げ茶の細い文字で大仰な前評判が印されていた。

 多分、作品の感想を聞きたいのだろう。ムクドリ男はもじもじと、わたしの言葉を待っている。不安と自信が、つぶらな瞳の中にかぎろう。

「大変、引き込まれるお話でした」

 わたしはパンを左から右手に持ち直し、いつものように端的に、はっきりと言う。

 本心からの意見だ。

 一昨日招待されて、昨日の夜、観に行った。

 エッジウェアロード通りの南方、イスラム系の店が並ぶ地区の劇場だった。

 駅に近い大通りはチェーン店やファーストフード・レストランがあるばかりだと思っていたので敬遠していたけれど、よく見るとアラブ語の看板があり、一歩中に入れば古風なパブなどもあって、ごちゃごちゃしている。水タバコを飲む中東系のグループと、ソーセージでエールを飲む紳士たちが、同じように道路にテーブルをひっぱりだして混在していた。

 夕方六時と九時半のどちらかを選べたので早い方にしたが、裏道はさすがに薄暗かった。

 でも多分、人間でもそこを歩くのに不安はない。街灯は少なめでも、生活の息遣いを感じる。イギリス風長屋であるテラスハウスの一階が小さな店になっていて、派手さはないが、ちゃんと商いをしていた。

 劇場は教会の横、傾いたビルの地下にあった。

 入り口が見つからなくて一度通り過ぎる。

 打ちっぱなしのコンクリート階段を降りてすぐ、バーカウンターがある。

 その時は誰もおらず、棚には中身が乏しいウイスキーが、心もとない顔でお互いに付かず離れず、間隔を開けて座っていた。中には空の瓶もある。底を上に並べられた切子のグラスも、くすんで侘びしい。

 バーカウンターで注文しても、ほんの数人しか立ち呑みできそうにないので、別に客を入れる場所があるはずだ。これはエントランスなのだと判断し、観音開きの非常扉の前に立つ。

 中には、パイプ椅子が乱雑に出してあった。緞帳の引かれた舞台には、真上からライトが当てられているが、客席には明かりがないので、室内の広さはいまいちピンとこなかった。

 やがて受付の女の子が手洗いを済ませて戻り、案内してくれるまで、わたしは目的地にたどり着いたかも自信がなく、その場で立ち尽くしていた。

 そんなふうに不安に包まれて始まった体験ではあったけれど、劇そのものは圧巻だった。

 役者はもちろん、演技と呼ぶのもおこごましい程度のものだった。けれど、それを補って余りあるストーリーで、展開が読めないので引き込まれた。

 抽象劇とでも呼ぶのだろうか、明言を避けた、起伏のない物語で、あらすじをまとめることは難しい。そもそも、一本の話だったかどうかも定かではない。コロコロと衣装を変える登場人物が、わざと時代を錯誤して表現するので、見ている舞台一点に集中せざるを得ないのだ。

「『げに呪わしきはパースニップ』って言うでしょう。あそこは、左耳だったほうが良かったのではないかしら、と思うの」

 わたしは特に気に入った情景を思い出して、握る手に力を入れる。

 なぜそう感じたのか、わからないので説明できない。感想をはっきり伝えられないのが、もどかしかった。

 わたしの心境に反して鳥男は意外なほど強い同意を示し、興が乗ったわたしたちは狭い廊下を占領して、作品について語り合う。

 ムクドリがいうことには、あの断耳の場面は、最後まで変更すべきか揉めたそうだ。

 結局、団員の多数決で、ああなった。脚本はいつも、原作者の満足がいく仕上がりになるわけではないらしい。作家は、本来あの場面は、もっと悲壮で、だからこそ滑稽であるべきだったと項垂れた。

 わたしは賛同し、話に色めきだった。確かに、あのハツカネズミは殊勝とは言い難く、変更が妥当とは思えない。

「ええ、そう。本当に、左小指だったほうが、どれほどふさわしかったことか」

 愚痴に便乗するのははしたない。気にせずわたしは、劇団の判断をこき下ろした。鳥男は愉快そうに、くつくつと笑う。その黒ハイネックのシャツの首元に、白い斑点が点在しているのを見て、わたしは慌てて目をそらす。 

 作中に、魔女が出てきた。

 極彩色の衣装を着て、視覚的に悪女を示していた。術式を使う様子がなかったので、ファム・ファターレと呼ぶ方がふさわしいように思う。

 そう指摘すると、隣人はちょっと困って声を出さずくちばしを上下させた。劇中では、必要のない描写は省く。魔女と呼称されれば、もうそれで魔女なのだ。一理ある。わたしはぐっと頷く。

「ええ、別に。どう扱われても良いんです。ただ、あの台詞のことですの。あれは、石苔の魔女の言でしょう?」

 劇中で魔女が、医者に対して言い放つ、ある格言のことだ。わたしは事あるごとに聞いてきたその教訓を、ロンドンに着いてから聞いたのは初めてだった。

 なぜ知っているのか、出どころを訊いてみたかったのだ。

 あわよくば誰か魔女に知り合いがいるものかと期待したが、ムクドリはその格言そのものには馴染みがなかった。彼が聞いたことがあるのは、それを人間が模倣したユーモアだったらしい。

 よくよく考えてみれば、人間には度し難い言い回しだから、大元が周知されていないのは当然だ。わたしの探すものの情報がなかったところで、落胆する理由もない。

 むしろ、今日はひと探しを行えたというだけで、わたしはとても満足だった。

 ところがムクドリにとっては、それは無視できない啓蒙であるらしかった。

 アマチュア劇の通常で、ろくに調べず拝借したと、白状する。でも、特に恥じることなど、ないように思う。わたしだって、誰が開発したかわからない術式で、物を作って売っている。原作者の権利の重要性は理解できるけれど、使い古された弁舌にいちいち気を使うのは、文学発展を妨げる気がする。

 でもそれを上手く伝える方法が見つからなくて、わたしはただ黙り込む。

 以前よりはましになっていると思っていたのに、コミュニケーションは難しい。特にその人に、意義深い物事に関しては。

 閑静な団地、溢れた吐息が、廊下の床に落ちて消える。


 魔女の絵画展を見に行くことにした。

 展示会がある、とムクドリ男が教えてくれたので、地図を貰って、メリルボーンにあるギャラリーへと向かう。

 わたしのごく主観的な認識では、メトロポリスが始まったシティ・オブ・ロンドンが経済の中心ならば、ウェストミンスター特別区は執政の中心だ。

 文化が集まり、昨今の文明に直結して、財貨が集結するところ。教会に歓楽地に、人間の好むものが、全てそこに引き寄せられる。

 そういうところは総じて、魔女に居心地の良い場所ではない。

 嗅覚に優れた生き物に、貨幣を始め貴金属、調合に使う薬のにおいはきつすぎるのだ。特にハイストリートには高級志向の専門店が並ぶとあれば、迂回して近づかないようにしていた。

 ところが、聞いてみると件の地下劇場も、メリルボーンの中だったという。

 俄然、訪れる気力が湧いた。

 生かじりではあるが、こういうことだ。

 メリルボーンは元が教会の周りにできた集落で、今でも閑静なコミュニティーだ。

 次の駅がベーカー街、言わずと知れた名探偵の聖地であり、蝋人形館にリージェンツパークという名の知れた公園ありで、呼び込まずとも観光客には困らない。更に上流階級を呼び込める地盤がある。

 それに目をつけたのが、売出中のアーティストたちだ。

 おっとりしていてあまり商売向きな性質ではない地区に、ちらほらできる空き店舗が、セレブリティへの作品発表の場に、うってつけだと考えたというわけ。

 もちろんパトロン目当てのことだから、彼らには先立つものがない。

 時々でステージやギャラリーに化けては消える、外見にはただの空き店舗では、客足も知名度向上も、芳しくはないようだ。野心は買うが、中途半端は減点。

 ムクドリ男の劇場も、古いバーを居ぬきで利用しており、劇団が長期契約する前は、ステージの真ん中にポールダンス用の棒が立っていたらしい。

 その画廊はファインアートによく使われるテナントで、道の角にあるので窓が大きく、前まで行けばすぐにわかると言われた。

 画家は全くの無名だ。ムクドリ男の劇団の、舞台芸術係の知り合いであるという。

 だから一等地が借りられないのだろうか。ギャラリーは多くの者が目的地とするような、これという目ぼしい場所がちょうどない、地図上の空白にある。

 どの交通機関を利用しても微妙に外れているので、最初から徒歩で向かう。

 ほうきに乗るにしても、飛んだ後の手入れの方が、面倒くさいくらいの距離なのだ。幸いわたしには二本足があるので、使うことにする。一番近い隣家が十キロの田舎育ちの魔女には、他愛もない。

 木曜日の昼過ぎ、小売店の多くは休みをとっている時間だ。

 道を通る人間は昼食で腹が満たされ、程よくやる気に満ちた顔をしている。

 寒さは相変わらずだが、風は優しい。街路樹の裸枝に膨らむつぼみが、春の訪れを匂わせた。狭い二車線の道ながらひっきりなしに車が通る、それさえなければ散歩にうってつけの環境だ。

 通りすがり、店先に並んでいる本に目が留まる。

 鮮やかな水色の、日差し避けがある店だった。

 北欧の輸入品を扱うと書いてある。貼られたポスターが、近くの大使館で冬至パーティーがあると報じてあるが、日付は去年のものだった。

 冬のロンドンで驚いたことに、シェードが半分開いている。

 夏でも日よけは要らないのではと訝しんだが、暑さではなく、日差しそのものを店に入れないためなのだと気が付いた。緯度の高いイギリスのことだから、もう少ししたら西日が顔に当たって、目も開けていられないほどになる。ウィンドウが大きいので、店内の全商品を陽に焼くくらいなら、午後店内が見えにくくなる方が、損にならないのだろう。

 ヌガー入りのチョコレートが積まれた横に立てられた絵本の、表紙には黒い服の女が描かれている。

 紺色で塗られた森の影の中、白と黄色に無数の光が輝く。裏表紙には、子どもの顔のアップ。あまり幸せそうには見えなかった。

 丸く縁どられた額に収められた、これもまた”魔女”。

 人間の考える魔女に関心を寄せたのは、このためだ。

 わたしがロンドンにいるのは、単に探しびとがここにいるからだ。

 長居をする気がないので、なるように暮らしている。人間でないことを大声で言いふらしてきたわけではない、けれど、厳密に隠してきたわけでもない。わたしにはどうでもいいので、気にすることではないと思っていた。

 でも、反対はどうだろう。

 人間側で考えれば、理の外にある生き物に、自分の領域に入ってきて欲しくないのは当然だ。防衛の観念からは、完全に正しい。

 接触が避けられないのなら、いっそ事実を知らせないで欲しいと、思うこともあるかもしれない。それとも勘違いをさせるほうが、迷惑になるのか。

 一般的に、どのような魔女像を持っているのだろう。

 知識は財産だと、誰かも言っていた(ほら。誰の言だか、またわからない)。

 魔女狩りの時代が終わっていないのなら、心得ておく方が良い。正体がばれて、いきなり処刑されるのは困る。

 しかし、この店は魔女に悪印象を持っているようだが、商品の選定は素晴らしい。

 ショーウィンドウには、絵本と赤い袋が有名なチョコレート。白樺の切りっぱなしの枝の上に飾られており、サーミ人の手工芸品がバランスよくそれを飾る。

 錫のワイヤーを編みこんだ装飾品には、魔よけのまじないがかけられていた。けれどわざとなのか、途中で切れているので、効果は反転している。木製の水汲みは、文句なしに良く出来ている。木の瘤を削って作ってあって、気が安定しているので、毒の調合にも耐えられそうだ。

 奥の冷蔵棚には、あからさまに家畜とは違う赤黒い獣の生肉が、真空パックされて陳列されている。おまけのように、わざわざキリル語で、『目・精巣、生あります』と書いてある。

 それでいて入り口には、幸運を呼ぶ馬の人形。

 ここは反魔女派を装った、悪魔崇拝者の御用達店なのだろうか。

 わたしは人間のことが、よくわからなくなる。


 教わった通りに道を進むと、ちゃんとギャラリーは見つかった。

 歩いていた道の反対に、あっさりと。

 順調に行き過ぎて、拍子抜けしたくらいだ。隣人にメモまで書いてもらって、たどり着けない方がおかしいのだけれど、劇場までの迷子と無人受付での不安な経験から、どうしても疑ってかかってしまう。

 その建物は、赤い煉瓦の三階建てだった。

 続く一ブロックが、同じ様式をしている。タウンハウスの地階にはガレージや小売店が入っている。階段を上がって、上の二階がひとつの住居だ。近所で突出するものはなく、お揃いの煙突から、ちらほらと煙を上げている。

 ただ、ギャラリーの横にあるランドリーだけが、レンガの上に青いペンキを重ね、派手に振る舞って周囲から浮いていた。

 そうして切り離された、四つ角に位置する。

 上は火事の煙の跡からも明らかに、廃墟として打ち捨てられて、荒廃している。傍目には、ギャラリーそのものの意思とは関係なく、通りの連携から孤立して見えた。

 車道を横切り、ゆっくりと観察しながら近寄る。ふたつの道が交わる直角を三角に切り取って設置した玄関の、ドアに張られた「森の魔女展」の字。

 前例の魔女たちといい、ポスターに見る黒に濃い緑の混ざった人の形といい、人間は魔女が暗い色を好むと誤解している。わたしは小鬢を掻いて、意味もなく耳を引っ張った。

 薬や術式を組み立てるのに汚れるから黒ローブを羽織るのは、見習いまでだ。独り立ちしたら、好きな服を着る。黒を着ないわけではないけれど、別にそれが制服というわけではない。

 ドアにはブザーがあるが、自由に入れと書いてある。

 両通りに面する大きな窓は、内装を余すことなく見せつけて、隠すことをしない。中の様子を伺うと、絵が壁に飾ってある。もとより、ここで間違いない。

 音を出さないよう、そろそろとドアノブを捻る。

 レバーハンドルは持ち手が曲線になっていて、片側が降りるタイプだ。黒く光って固そう、と力を込めたら案外軽く、急に下がって勢いよく扉が開く。わたしは思わず、喉の奥で悲鳴を上げた。

 ギャラリーの中は、外見よりも広く見目が良い。

 美術作品の展示に使われ慣れている室内の壁は、白一色だ。ドアの横にある広い壁にだけ、スポットライトが当たる構造になっている。裏へ続く互い違いに立てられた衝立て様の壁がさりげなく奥の私事を守って隔てる。シンプルな造りに、展示の工夫が活きそうだ。

 窓には通りへ向けて、ポスターが貼ってある。

 室内展示には簡易イーゼルが、その後ろに設置されていて、素人っぽく垢抜けない。天井から吊るした方が良いと思う。わたしのような田舎者でさえそれがわかるのだから、個展としては失敗だ。

 更に入室して抱いた、違和感もある。

 期待外れといったらおかしいのだが、目の前の光景に不正解を突きつけられた、とでも言おうか。訳のない侵入を拒否する直感に、わたしの足は進めなくなってしまう。

 奥の壁、窓のすぐ横には、シンプルな折り畳みの木製テーブルが置いてある。

 そこでペーパーバックの小説を読んでいた男の人が、分厚いメガネを外し、まごまごしているわたしを見た。

「なんと、おやおや」

 ひげまで白くなった、二重顎の老人だ。

 魔女なら三百歳に届かない、ドワーフならせいぜい四十五といったところか。病弱なのか色白く、しかし表情は明るかった。好々爺と呼ぶに、相応しい様相の紳士だ。

 その人懐っこそうな老人は、イスから立ち上がって、ぱっと顔をほころばせる。

「お入りください。なんだ、嬉しいなあ。ゆっくり見て行ってください、わたしはちょっと、席を外しますから」

 早口に背中を押される。さあさあ、とめまぐるしく掌で鑑賞経路を提示されて、わたしは戸惑いながらも、始めの一枚に近寄った。

 両手で包めてしまえるくらい、小さなキャンパスだ。

 深い森へ続く一本道が、厚く重なる絵の具で、やや簡略化されて描き出されている。

 わざわざ見に来てなんだけれど、わたしは芸術に造詣が深くない。よって、目の前の絵の良し悪しなどは皆目見当がつかない。油絵の厚塗り、なんとなく後期印象派のような。

 老紳士がドアから出ていき、わたしは一人、展示会に残される。

 今のうちに逃げようか、迷う。

 無理やりやってきた目的を思い出し、覚悟を決めて足を進めた。ワックスの効いた床にはトラバサミなどあるわけでもない。清潔で快適な場所なのに、なぜこうも緊張するのか。原因が不明瞭なのが、気持ち悪かった。

 気を取り直そうと、次の作品へ向かう。

 絵画としては小ぶりだが、先程から比べればぐっと大きくなった画面には、様々な茶色の直線が、複雑に重なっている。左半分を覆う黄色の塊は、唐突に生物的な曲線だ。後ろに下がって絵画全体へ薄目を凝らすと、逆光の中で黄色の服を着た女が、糸を操っているのが見える。

 機織りだ。

 その横、縦長の作品は糸を繰っている。染色後の布を洗う場面もある。

 どれも、子どもの低い目線から、大人が仕事する姿を見張ったものだった。

 小さな個展だから、作品はわずかだ。壁に沿って純に鑑賞してきて残り二枚。入り口が再び近づいてきたところで、先程の紳士が肩でドアを押して帰ってきた。

「お待たせしました、どうぞ」

 笑顔で差し出されたのはソーサーに乗ったマグカップで、白い陶器の上にたっぷりのホイップクリームが溢れる。反対の手にも同じものを、ついでに個包装の焼き菓子が二つ、指間にぎりぎり挟まって、落ちそうになっていた。

 すぐさまカップを一つ引き取る。メガネの老人は、クッキーの袋を空いた手へ移した。

 慎重に、テーブルへカップを置く。目線で促された向かいの席には午後の光が差し込み、空中を舞う埃さえも、何か良いもののように演出していた。鼻先に、ココアの香ばしい匂いが漂う。

 わたしはさっと、テーブルにつく。

 ホットチョコレートはずるい。

 その菓子の噂は聞いていたけれど、実食したときは本当に衝撃的だった。がつんと甘くて、適度に苦く酸味がある。特に舌に残るオイルの余韻がたまらなく、中毒に気をつけろと受けていた忠告も忘れ、三日ほど食べ続けたくらいだ。

 供されれば、拒むなんてできるはずがない。

 化合物をふんだんに使った、とても食べ物と思えないものを摂取する一方で、たまにこうした美食があるのは、人間の味覚の七不思議と言える。

 わたし好みの純ココア製、たっぷりのホイップとマシュマロ入りのホットチョコレートは、地獄の釜のように熱い。張り詰めていた胃に、糖分が染み入る。

 隣のカフェにお願いして作ってもらったのだ、と老紳士は口ひげを茶色に染めるのも構わず、自分も一口啜って、満足そうに息をついた。

「やあ、魔女に見に来てもらえるとは、光栄です」

 ホイップの渦に穴を作り、その隙間からココアだけを飲もうと頑張っていたわたしは、吹きかける息を一寸止める。

「良くお分かりですのね。わたくし、魔女としては変わり者と言われていますのに」

「わかりますよ。わたしは幼少、魔女に縁がありましたからね」

 空気が違うんですよ、と老人ーーコンラッドさんは、さも当たり前のように、澄まし顔で答えた。

 四十年以上銀行を勤め上げたコンラッドさんは、退職後、絵を描き始めたという。

 「若い時は画家になりたかったんですよ。でも家が貧乏だから、働くしかなくて」と、気恥ずかしそうに頬を掻く。

 その老人の親指の爪が、絵の具で青く汚れているのに目が留まる。よく見ると、赤と緑の滲みもある。わたしは沈黙を保ち、わずかにチョコレートを口に含んだ。

 おしゃべり好きの画家は、相槌もろくに打てない魔女を相手に、飽く様子がない。楽しそうに口を動かし続ける。

 家の一部屋をアトリエと定め、欲しい画材を好きに集めた後、画家はさて、と画題について思いを馳せた。

 新人とはいえ老輩だ。多くの作品を描き上げる時間は、残っていない。大した出来にはなるまいが、自分が心から誇れるものを、作り上げたいと願った。

 そこで思い出したのが、幼少馴染んだ、魔女のことだったという。

「念願の個展だけど、随分なポスターにされてしまいましてねえ。知り合いのデザイナーに頼んだんだけれど、絵は見てくれなかったのかな」

 熱さを物ともせず、ゴクゴクとホットチョコレートを飲み、大きなクッキーをまるごと口に含んで、苦笑したコンラッドさんは窓の印刷物に視線を投げる。

 反対から見てもポスターはすっきりしたデザインで、それでいておどろおどろしい感じが出ている。魔女らしい黒に、紅の装飾文字。

 そうか、とわたしは眉を上げる。

 違和感の正体はこれだ。

 暗く重たい宣伝を打っておきながら、展示は明るい色彩に溢れて、一瞬面食らってしまったのだ。改めて室内を見渡せば、若草色と黄系が多い。豊かな大地の、春の色だ。

 おおよそ、魔女らしくない。でもわたしは、この色を常用していた魔女を知っている。

「糸車の魔女ですね」

 呟く。よくご存じですね、今度は老画家が、開いた目を輝かせた。

「遠縁ですの。最近はご無沙汰でしたけれど。あらそういえば、いつから会っていなかったかしら」

 荒地では生えない野草の勉強に、彼女の家に滞在していたこともある。

 そうだ、あの森の小道は、町へ続いていた。家の門の前に小川があって、淡水魚の種類は、あそこで捕まえて覚えた。糸車の魔女の畑にはルバーブがいつも、たくさん生えていた。仕事に使う分と、好物のパイにして食べる分と。

 わたしは溢れそうな思い出を、かぶりを振って物理的に立ち切る。

「叔母は、まだコッツウォルズに住んでおりまして?」

 わたしの質問に、コンラッドさんは悲しそうに顔を曇らせる。

「どうでしょう。戦後の数年は、確かにそこにいましたが」

 人間でも子どものうちは、超自然と波長が合う。

 すると、ヒトに見えないつもりで世間をうろつく小鬼を見たり、妖精の輪を踏み抜いて別の世界へ飛ばされてしまったりする。都会では少なくなったが、そう珍しい話ではない。コンラッドさんも、そういう神隠しに逢いやすい子であったらしい。

 昔はそうした不可解な現象が起こる場所には、人間は近づこうとしなかった。

 たいていが深い森や荒涼の野原と言った厳しい自然の中だったので、問題にならなかったのだ。それが近代、文明の領域が急速に広がり、幻想生物と人間の世界に、交わる部分ができてしまった。

 コンラッドさんの田舎の森もその一つで、少年時代、友人と同時に道に入っても、彼だけが辿り着くことができる、不思議な家があった。

 説明するまでもない、糸車の魔女の住処だ。

 普通は、魔女の方からも対策が立てられて、家が見えなくしてあったり、庭に入れないようにしてあるものだ。だが叔母は、糸を繰ってまじない布を作るのを得意としていたので、迷走の呪いは上手くなかった。幼いコンラッドさんが行こうと思えば、必ず来訪できたそうだから、出来栄えのひどさが伺える。

 幻想動物の怖さを習う前の少年を、魔女は口先だけでは追い返せなかったらしい。

「無口な魔女さまでねえ。二度目からはもう、文句すら言われませんでしたよ。もちろん、編み目が飛ぶと言って、作業中に話しかけると嵐の中みたいに怒られたものだけど」

 懐かしそうに紳士は、自ら描いた絵画を眺める。

 とにかく糸に関わることなら、なんでも習得したがる魔女だった。

 こだわりも強く、蚕を飼い、木綿を摘み、羊毛を刈って糸にし、布を作るために織機から開発する。そういうひとだった。もちろん、染料になる植物も自分で一から育てる。

 それぞれの段階に作業場を持ち、そこに一見脈絡のない道具が、山積みになっていたのを憶えている。牧畜以外に産業のない町の子どもには、さぞかし面白い遊び場に見えたことだろう。

 だがその闖入は、五年も続かなかった。

 魔法に近しい子であっても、成熟するにつれ、その能力を失っていく。コンラッドさんも十歳になる前にはもう、森の中に道を見つけられなくなった。そして勉強や仕事に追われ、いつしか魔女のことを忘れていった。

 懐古を聞きながら、それにしてはよく描けている、とわたしは関心する。

 コンラッドさんのどの絵の中でも、魔女は黄色の塊だ。わたしの記憶と、かっちりと噛み合う。背の低いわたしも、同じ高さから見ていたのでわかる。高かった背が加齢で曲がり、下半身にボリュームがあった。糸車の魔女は、ねじれた三角のシルエットをしていた。

 飲み物についてきた茶菓子をかじる。

 大きな一枚クッキーだ。プラスチックの個包装を開ける前に小さく割り、ギザギザの切り口から破って開く。口に含むと最初にシナモンの匂いがして、舌の上を強烈な辛味が刺した。噛みしめればしょうが汁が滲み出てそうな、歯ごたえのあるジンジャースナップクッキー。

 糸車は、黄の色を偏愛していた。

 ローズマリー、黄肌、ヤマモモ、玉ねぎ、ニンジン。様々な染料から、微妙に異なる色合いの黄を生み出しては、衣類に仕立てて着ていた。どれもくるぶしまである、シンプルなラインのワンピースばかりだった。

 叔母は顔色が冴えず、鮮やかな黄色やオレンジは肌色を更にくすませるのでお世辞にも似合うとは言えなかったが、本人は全く気にせず黄色を身につけた。

 魔女として初老の域に達しかかっていた彼女は、わたしの修行中、すでに表情を失いつつあった。無口だった、とコンラッドさんの感想にある通り。

 信じられないことだけれど、わたしが生まれるずっと前は、叔母は血族一おしゃべり好きで、よくお茶会を開いては、新しい刺繍を披露していたそうだ。織物の研究会に服の型の同好会と、付き合いもかなり広かったという。

 長命な生き物の多くはその道程で、段々と人間性を擦り切らせる。

 おもわすれをして心の手入れを怠らなくても、いずれはそうなる運命なのだ。喋らなくなり、食べなくなり、寝なくなり、無気力になる。

 魔女が延命に長けているのは、研究に没頭しがちな生物的特徴にある。何もかも失ってなお、熱意だけで徳性を維持するからだ。糸車の魔女も、「だってお陽さまの色を身に着けると、気分まで明るくなれるでしょ」と語るときだけは、無表情でも言葉は柔らかく、温かだった。

 物思いに耽っているわたしの耳に、床へ何かが落ちる微細な音が届く。

 気がついたのが不思議なほど小さな気配で、それが滞って可視化するまで、どこで起こっているのかもわからなかった。

 胸に触れる感触があって、見ると指輪のひとつから、正に今ぽたっと雫が落ちたところだった。

 粘度のある液体は落下中に丸まって、玉となり、床に音もなく転がった。全身の毛が逆立つのを感じる。事を見極めるべく、魔力の出どころをじっと見る。深緑が縞々となったメノウ石の銀指輪は、軟体動物が人間の脳を侵し、村人が共食いした事件の時つけていた装飾具。

 振り向くと、床に糸が溜まっていた。

 ほとんど橙色の、赤みの強い黄色の糸は、とても細くて一本では目に映らない。それがさらさらと、絵の中の糸紡ぎから落ちてくる。

 画面にはこげ茶の台に糸車、そこでこよった糸を集める大きなつむ針が、抽象的に表現されている。だがもちろん、絵に盛られた絵具以上のボリュームはなく、車が回るはずもない。

 それなのにからからと、軽快なハンドルを回す音がする。からから、ととと、からから。糸を繰る、息遣い。

 糸は止まらず、どんどん積もって山となる。

 思わず、

「違うのよ」

 と叫んだ。

 糸車を操る見えない誰かは、わたしの精一杯の歎願を無視して、作業を続ける。悪意からじゃないことは、知っている。ただ、それに熱中しているだけ。

 そのうち糸が立ち上がり、天井へ向かって落ち始めた。

 垂直に一本の線が伸び、時に縺れた部分が一度に落下して、天井へ広がってその場の色を濃くしていく。やがて溶け、糸の上に絡まり太さを増して、しかし透明さだけは失わず天井から壁を覆う。

 瞬きを一つするより早く、蜜は室内いっぱいに膨らんで、弾けて消えた。

 頭の中がまっ白になる。

 いつの間にか立ち上がっていたわたしはふと、そういえば糸車の叔母は、はちみつを愛好していたことを思い出す。スコーンにはクロテッドクリームよりも、黄金色のはちみつを、たっぷりかけるのが好きだった。

 わたしの靴の底から、透明な木の根が伸びる。地中深くへ根を張り、わたしはその場に囚われ動けない。

 後に残ったキャンバスは、あるものは設置されたそのままの場所に、あるいは床に落ちて、色の残骸を滴らせ泣いている。

「ごめんなさい」

 わたしはコンラッドさんの顔を見ないように、頭を下げて謝罪する。

「わたくし、だから頭の中が混沌なのだと、よく言われるのです。思考とは別に心で何かを想ってしまって、勝手に言霊にしてしまいますの。いつもなら、ここまで具現化はしないのですけれど」

 指輪が、と言っては責任転嫁になる、とわたしは口を紡ぐ。

 わたしが鎖で繋いで持ち歩いている装飾品には、それぞれ呪いが込められている。

 改良されるまえの荒削りな原始魔法なので、具体的な内容は持ち主にもわからない。知っているのは、過去の事件についての、強い感傷と結果が入っているということだけだ。

 もちろん危ないから、指輪には封が重ねてある。

 普段だったらいくら迂闊なわたしでも、勝手に漏れてくることは許さないのだけれど、指輪と絵に似通ったところがあったのか、縁が道を通じやすくしてしまったのだ。

 同じ思い出を共有していたのも、良くなかった。でも、それだって言い訳にすぎない。

 わたしは一つの作品を作る職人ではない。

 けれど、魂ごと塗り込むような、創作の現場を知っている。たった一色のために何十回も染色を繰り返し、理想の結果のためなら、数日かかって編んだ糸を解いてやり直す。寝る間も惜しんで作業台に向かう姿には、狂気すら覚えた。

 わたしにはどうしたらこの惨状を、取り繕うことができるのかわからない。差し出せるものも、修繕する腕もなかった。頭で思いつく全てのことに、できないことが多すぎる。

 うなだれた目から、集まった涙が落ちそうになったところで、哀れな老画家は、イスの上で小さく息を吐き出した。カップをソーサーの上へ戻す音がする。わたしにはテーブルを振り返ることが、どうしてもできない。

「やあ、素敵だ。まさに魔法というやつですね」

 いかにも興奮冷めやらぬコンラッドさんは、嗚咽かと思われた短い息を一度止め、肺を奥から空にした。

 吸い込まれるように立ち上がり、床の上に糸の残骸を探す。

 顎のない老人の表情が、砂場で宝物を探す、子どものようだった。両手を床について、くまなく調べる。手元へ落ちた水滴の音に耳を澄ませ、手で探って頭上のイーゼルのカルトンに、残るそれを見つける。

 無邪気な歓喜を前にして、わたしの物悲しさはやり場をなくし、落ち着きなくお腹の中を動き回る。

 コンラッドさんの指先が、山吹色の染料で光った。

「ああ、この色だった」

 それからひょい、とはじめのキャンバスを手に取る。

 指輪のせいで半分色が消えた暗い森へと続く小道に、黄色の新しい経路が足される。小さな画面、指で擦り付けた線はその中のどれよりも太く、不格好で、鮮やかだ。

 加筆した自身の作品をためつすがめつして、コンラッドさんは息をつき、

「くやしいなあ」

 と目を細めて呟く。

 ひたむきな横顔に、横から照らす冬の午後も遅い日差しが腕に温かい。

 理不尽な蹂躙、泣いたのはただ、加害者のわたし。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。