1/31 他人は他人、自分は自分

 今日は、おでかけの日。元上司と、元同僚のお友達と飲み会。

 楽しかった。3人で盛り上がるのも楽しかったし、上司が友達に語っているのを、自分も聴きながらも、ひとりだけちょっと遠くにいるようなつもりで眺めているのも楽しかった。

 昔の職場の話題は、もうそこにはいない、そこを離れてから数年が経つわたしにとって、本当に『遠い世界』の話だと思った。

 いっぱい笑って、とても楽しかった。けれど、やっぱり、ちょっと疲れた。

 最近、旦那さんに言われた。「肩入れしすぎ」と。

 仲間意識を持っている人、近くにいると感じている人の話を聞いて、感情が動き過ぎることに対しての言葉。人と、直接会ったりLINEで長話したりしたあと、怒ったり落ち込んだりして、それを会社から帰ってきた旦那さんに聞いてもらって。と、いうことを、ここのところ繰り返していたら、「人に肩入れしすぎ」と言われた。言われたときには内心反発したのだけれど、時間が経つにつれ、受け入れられるようになってきた。

 『人の気持ちを考える』こと自体は、悪いことじゃない。多分。ただ、『人は人、自分は自分』で、『人のことはあくまで人のことであって、自分事ではない』という切り分けができていなかったんだな、と。だから、人のしんどい話を聞いたり辛そうな状況を見たりすると、そのままいっしょに落ち込んでいた。他人事を自分事のように感じてしまう『それ』を『肩入れ』と表現された。

 人が話をしてくれるのはうれしいし、まわりの状況が見えるのは悪いことではないと思う。そういう、自分に入ってくる身近な人たちの情報をシャットアウトするわけじゃなくて、受け止めた上で、人に起きたことで自分のことではないときちんと認識する。それが、今まではできてなかったから、しばらくはあえて意識して線を引く訓練をする。自分と向こう側があって、向こう側に自分の気持ちを持っていかれないようにする。人と話すときに、そういうことを意識する練習が必要だな、と思った。

 ちょっと(かなり?)病みメンタルだ。今週は、普段のわたしからは考えられないくらい人と会ったし、中学卒業以来会っていない友達から連絡があったりと、人との交流をがんばった。いろいろ考え過ぎて、キャパオーバーでもろもろ溢れちゃってるし、オーバーヒートで脳みそも心もプスンプスンいってる。明日は家でゆっくり過ごそう。メンテナンス日。もう今週は営業終了。ガラガラ。

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