映画「彼らは生きていた」(2018年、ピーター・ジャクソン監督)


1914年に勃発した第一次世界大戦の映像を修復・色付けし、音声を加えて3D映像化した作品。イギリス帝国戦争博物館に所蔵された数千時間の映像が基となっている。ジャクソン監督はBBCに残っていた退役軍人の体験談をナレーションとして映像と重ねた。それに風の音や馬の蹄がなる音、リュックのジャカジャカとした音が人工的に加わり、より正気を帯びた。
ドキュメンタリーでよく見る、体験者が椅子に座って「あの時は〜」と話すようなシーンはなく、ただただ当時の映像とナレーションだけで構成され、現在/過去というような線引きがかすんだのはよかった。いい映画だった。

サラエボ事件をきっかけに戦争が始まった時、イギリス人にとってみればそれは遠い東欧の出来事だった。戦争もすぐ終わると思っていた。戦争に行くことが「男になる」ことと同義と考えられていた。道を歩いていたら女性に「戦争に行かないのか」と声をかけられ、臆病者を意味する白いリボンを与えられたという証言もあった。また彼らは「戦争」を退屈な日々から逃れられるヒリヒリとした刺激のある「憂さ晴らし」としても見ていた。

開戦前の証言を聞いていると、同じような状況になったときに、自分は兵士になることを拒否できる自信がなくなった。地元の友人がみんな兵士になり、メディアでは「戦争行こうぜ」と盛り立てられ、道を歩いてたら女性から「臆病者」と言われる。「後方支援だったら•••」とか思って志願しちゃうんじゃないか。

映画では、まるでキャンプのように練兵訓練を受け、意気揚々と行進し、戦場に向かう男たちの姿がある。戦場についた後も、塹壕造りや不衛生な簡易トイレ(丸太を置いただけ)、土嚢を積んだだけのベッド、シラミやネズミというドイツ兵以外の”敵”の存在。前線勤務から休日になった時の運動会や女遊び。ジャムとパンという朝食に、誰でも作れるシチューの昼飯、そして熱エネルギーを見つけたらすぐお湯を沸かして紅茶を飲むというイギリス人の習性(笑)。
泥でびちゃびちゃになった塹壕を歩く不快感は容易に想像できるが、その直後に現れる凍傷した足の写真。マシンガンの音や地雷が爆発する映像は、ここがただの和気藹々とした「ハードなキャンプ地」ではなく、戦場であることを強烈に思い起こさせる。

そして、ついに届く敵陣突撃の指令。
突撃待機の「間」は緊張感で張り詰める。
そして映像、音響は戦闘シーンに入り、これまでの空気とは一変した「殺戮の場」としての戦場が姿を現す。これまでもそうだったが、もはや紅茶のことも頭から消え去るほど。スクリーンに映る死体、轟く銃撃の音、「若いドイツ兵を殺した」という証言。イギリスの勝どきが上がった。

ドイツ兵の捕虜とのやりとりは、まさに国民対国民ではなく個人対個人そのもの。負傷したイギリス兵を運ぶドイツ兵捕虜。互いに笑い合って帽子を交換したりする。もちろん、ドイツ兵は怯えている。でも、彼らの間に憎悪はなく、共通していたのは「この戦争に意味はない」という同情だった。

終戦後の帰還兵を待っていたのは残酷な者だった。戦争に行っていたものは職にあぶれた。採用の条件からも除外された。友人の母親からは「お前だけ生き残って」と邪険に扱われた。彼らに感謝するものはいない。そして、世界恐慌が襲う。

彼らは戦後、「戦争は悲惨なものだった」と口をそろえた。そりゃ、あんな経験をしたらそういうだろうと思う一方で、第一次世界大戦から20数年後に第2次世界大戦が勃発する。そのときに、彼らは何をしていたのだろうかと疑問に思う。反対しただろうか。そこは描かれていない。人は同じ過ちを何度も繰り返す。

兵士となり、戦場に行くことが「男」として当たり前とされていた時代。社会が男に求めていたのは「強い男」であること。国のために戦える「忠実さ」を有すること。ボソボソと反戦論をいう男は「男らしく」ないだろう。現代のジェンダー問題につながる認識の一つなんだと思う。

作品の中で気になったのは、女性の声がないこと。女性は戦地へ行く男たちをどういう目で見ていただろう。代わる代わる前線から引き上げ、束の間の休日を兵士たちと共にする女性たちは何を語るだろう。数千時間の記録の中に彼女たちの声は残っているのだろうか。残っているなら、別で作品を作ってほしい。

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