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あなたの友達は、私には他人です。


私は幼少期、家族と幼稚園の人間以外とは話すことができなかった。
たまに、母の友達と挨拶する際も兄弟姉妹の後ろに隠れて
顔も見せず、頑なに言葉は発しなかった。

母も兄弟姉妹も、その私にとても呆れ
どうして挨拶ができないのが怒り混じりに嘆いていた。

照れ臭い
なんて可愛いものではない。
人見知り、と言えばそうなのだが
私には意思があった。
例え母の知り合いでも、私には他人の知らないおばさんだ。
何であたしが媚びを売らなきゃいけないんだよ。
挨拶は媚びではない。決して違う。
が、私は誰であろうと顔を見せることすら嫌だった。
私の挨拶はタダじゃないんだよ位に強い意思があった。
昭和の大女優かというほどの、確固たる意思があった。

まぁ、そんな人を選り好みしていた子供の私は
当然私立の幼稚園は落ちる。納得である。

そして、成長するにあたって
強気で勝ち気でいると虐められることを覚えた私は
モデルになった高校時代からは挨拶はできるようにはなったが
仕事なので当然ではある。

なので、たまに友人の子供が大人の私に向かって
「ありがとう」や挨拶ができることに
毎度驚いていた。
もしかして出来て当然のことだったのか?

挨拶ができるようになっても基本的に笑わない私は
大体感じが悪い。
悪くしてるつもりはなかったが
出来たら一言も話したくないという思いはあったから
私は幼少期からあまり変わってないのではないか。
前回の記事にも書き綴ったが
第一印象というのは一歩間違えると恐怖を招く。

第一印象で可愛いだの美人だのと思われたら
大概ろくな事はない。

今は、ようやく自他ともにおばさんと言える年齢になったので
気怠そうな若年性更年期っぽいおばさんで済む。
そう考えると、歳をとって本当に生きやすくなった。

が、それにしても
私は子供の頃から感じが悪かった。今更気がついた。