![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142855778/rectangle_large_type_2_04c8b29a7c1ae99b7446445b64798be4.png?width=1200)
伝えたいことほど伝わらない
自分が伝えたいことほど伝わらない。
いや、伝わらない以前に、相手は興味すら持っていないのではないか。
自分が大好きなものを必ずしも相手が興味を持っているわけではない。そんなことは分かりきっているが、分かりきれないのだ。
というのは、私はイエス・キリストが大好きだ。
このイエスを知ってほしいと思って伝え続けているが、ほとんどの人が興味も関心もない。
伝えたいけど、伝わらない。
そんな心の叫びはすでに一通り終えている。だからこそ、伝えるということをマジメに考えてみようと思った。
著書の執筆をした時のことを思い返してみる。ビジネス書の執筆をするためには、企画書を書く必要がある。
企画を考える上で大切なことは何か。自分が書きたいことを、自由に書くことではないことは確かだ。
①伝えたいこと
②ニーズがあること
③書く資格があること
この3つが重なったところが企画としてハマりやすい。
①伝えたいこと
これは、誰もが一番書きたいことだ。本だけに限らず、SNSの投稿などでも一番多いのは、伝えたいことだ。しかし、自分が伝えたいことは、相手が興味ないことがほとんどだ。極めて主観的であり、極めて個人的なことが多いからだろう。
②ニーズがあること
例えば、簡単にお金を稼ぐ方法、1日10分でダイエットができる方法、などは皆が興味があるはずだ。一方で、聖書入門などはニッチなジャンルだ。ニーズとは、多くの人が興味を持っているかどうかというのは大切だ。
③書く資格があること
例えば、私が書く料理の本と、ミシュランのシェフが書く料理の本であれば、後者の方が絶対に売れる。どんなに得意だったとしても、それだけでは書く資格があるとはみなされない。書く資格とは、他者から見た自分の姿に納得感があるかどうかだ。
この3つが重なるところが世の中に求められている本だ。
YouTubeでも同じことが言える。
①YouTubeで伝えたいこと
一番伝えたいことは、「イエス・キリストを信じてほしい」だ。そのために、聖書の奥深い話をしたくなる。しかし、私が伝えたいことを興味を持って聞いてくれる人はほとんどいない。
②YouTubeでニーズがあること
YouTubeを見る層は、小難しい内容よりも、分かりやすい、面白い、楽に見ることができることを求めている。アカデミックな大学な授業のような説明であれば、途中で離脱してしまうだろう。そもそも聖書やイエス・キリストに興味がある人は人口の1〜2%だろう。ニーズ自体がそもそもない。そうであれば、ニーズがある内容とかけ合わせる必要がある。
③語る資格があるのか
私は牧師という肩書を持っているので、これは問題ない気がする。世間一般的なイメージでも、聖書を知ってそうとなるはずだ。
YouTubeをやり始めた時は、どんな内容でやっていくのがで悩んだ。迷走しすぎた結果、回転寿司で何皿食べることができるのかとかやっていた。
伝えたいことからも離れすぎており、ニーズがあるかも分からない、大食いユーチューバーを目指しているわけでもないので、全く的外れなことをしていた。もちろん、ごくわずかに喜んでくれる人はいる。
もちろん、もともと聖書やイエスに興味を持っている人もいる。その人たちに向けてやるのも一つの手かもしれない。でも、届けたい先は興味も関心もない人たちなのだ。
であれば、何を話したらいいのか。
再びスタート地点に戻って来た気がする。
誰もが興味ある内容は、「お金」「性」「人間関係」などだろう。この辺りを聖書と組み合わせて「お金×聖書」「性×聖書」「人間関係×聖書」などは考えられる。
これからも試行錯誤を続けていきたい。
とにかく自分が伝えたいことは、誰も興味を持っていないということを確認したかった。
▼編集後記として
私は伝記を読むことが好きだ。一人の人生から伝わってくるものがある。生き方を通してしか伝わらないものもたくさんあると思う。最終的に大切にしたいことは、言葉で伝えることではなく「生き方」が伝わっていくことだ。
2024年6月3日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?