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じぶんの居場所

二世帯住宅の母と息子

ジリジリと照りつける夏の日差しがようやく傾きだした。
商店街のモザイクタイルから立ち昇る、モワッとするような熱を打ち水で宥めていると、交差点の向こうからつばの広い亜麻色のモダンな帽子を被ったその女性はまっすぐこちらへ向かって歩いてきた。同系色の麻に銀糸のアクセントが入った、涼しげで高級そうなワンピースの裾が風でなびいた。

「今日はまた一段と素敵ですね。歌舞伎かお芝居でも見に行かれたんですか」
とまだ数メートル離れていたのに声をかけていた。
「まさか」
と含みのあるような笑顔を向けて歩み寄るなり
「ここへ来たのよ」
と言った。

へ?どういうこと?意味がわからず次の言葉を探していると、
「今朝ね、あんまりお天気が良くて気持ちいいから出かけたくなって。ていうか、お喋りがしたくなって、暑いからお昼をまわったらあなたに会おうと思ってきたのよ。せっかくだからお洒落してみたの」
意外な言葉だった。
「私に会うためですか?それはそれは光栄です」
気恥ずかしくて茶化してしまった。

「私ね、ニ世帯住宅で息子家族と暮らしているんだけど、もう一年くらいロクに会話もしてないのよ。だからひとり暮らしみたいなものね。普段は誰とも会話しないの。だってほら、今は会話しないでもなんでも買えるでしょう?」
今までそんな話をしたことがなかったから驚いた。
「初めてここへ来た時ね、あなたは覚えてないでしょうけど、私にお花の説明をしてくれたのよ。あの時しばらく振りに自分の声を聞いてね、あー、久しぶりに喋ったわって。それでそれを買って帰ったの。そしたらその花が長持ちしたものだから、またここへ来たくなって・・。会話って大事ね、楽しかったわ」
知らなかった。そうだったんだ。そういう人もいるんだと思った。

二世帯住宅を建てて、息子さん家族と暮らし始めたときは、うれしくて仕方なかったそうだ。張り切って、共働きしている息子夫婦の役に立とうと毎日おかずを作っては運んでいたそうだ。
「そういうの、余計なお世話っていうのね。喜ばれないことをしちゃったみたい。今では口も聞かないし、顔も合わさないの」
「この間はね、宅急便の人が来て、お二階の荷物を預かってもらえませんかって。留守なら不在伝票を入れておいてもらえませんかと言ったら、もう何日も留守だというの。それで荷物を預かったものだから、毎日様子を見に行くけれど、やっぱり帰ってきてなくてね。ハワイへ行ってたんですって。そんなことも教えてくれないなんて、もう他人みたいだなぁって思ったのよねぇ」
冗談めかして話してはくれたが、その表情は明らかに寂しそうだった。何がいけなかったのか、今更聞いても仲良くなれる気もしなくて、だから気にしないで暮らしてるんだという。時折「息子は本当は優しい子なんだけどね」と挟む言葉が気にかかった。
その人はいつも身綺麗に髪を整えて、派手ではないが落ち着いた品のある洋服をセンスよく着こなしていた。ネックレスも洋服に合わせていたし、イヤリングも指輪も時折服に合わせて身につけていた。穏やかな物腰でおっとりとして、この人は怒ったことがあるのだろうか。こんな優しい方なのにどこに不満があるのだろうと会話しながら思うのだった。

いつ頃からご来店いただいていたのかは定かではない。
「この間のお花は蕾も咲いたのよ」
「言われた通りにやってみたら本当に水があがって・・」
と会話が始まり、気づいた頃には顔なじみになっていたが、名前は今日も聞きそびれていた。話し相手がいなくとも、家に心地よい居場所あってくれたらいいなと今日もその背中を見送った。

 

スープの冷めない距離の母と息子

夕べテレビを見ていたら、熊本で震度5の地震があったと速報ニュースが流れたので、咄嗟に葉子さんに電話した。
「熊本で地震だって。お母さん大丈夫?」

葉子さんの内縁の夫、かっちゃんのお母さんは95歳。2016年の熊本地震でアパートが崩壊し、近所の長男の家に引き取られたが、もともと長男のお嫁さんとは折り合いが悪くてアパート暮らしを始めた経緯があり、戻ったところでうまくいくはずがなかった。そんなわけで二男のかっちゃんが車で迎えにいき、90歳で上京しての「東京独り暮らし」が始まった。なぜ、かっちゃんと葉子さんの家で一緒に暮らさないかというと、ここにも複雑な事情があった。

葉子さんとかっちゃんが出会ったのは今から35年前、互いに34歳の時だった。アーティストでもあり、芸術にはこだわりがあった二人は、共に情熱的で大恋愛をしたであろうことは想像に難くなかった。同棲していたし、いつ結婚してもおかしくはなかった。葉子さんもいつかはこの人と一緒になるんだろうなと思わなくもなかったそうだが、かっちゃんのお母さんのひと言がきっかけで、そのタイミングは消え失せ、気づけば35年も内縁関係。葉子さん名義で家も購入したが、ここまで来て今更結婚はもうどうでもよく、わざわざしなくてもいいくらいになっていた。

葉子さんには破天荒な一面があり、なんでも果敢にチャレンジするところがあった。知り合って間もない頃には音楽の勉強がしたいと単身で一年ほどニューヨークへ飛び出した。一方のかっちゃんはどちらかというと職人気質で、黙々と創作活動に勤しむタイプ、美大で絵を学び、この頃は家具造りをして生計を立てていた。

直感でチンパンジーのように常に動いている葉子さんと、言葉少なく群れを作らないコアラみたいなマイペースのかっちゃん。白黒ハッキリしている葉子さんには、何を考えているのかハッキリしないかっちゃんが頼りなく思えることがあったようだ。子供を持つかどうするか、母になるタイムリミットもあって葉子さんは本気で考えた。その結果、かっちゃんとの間に子供を作っても、二人で育てる自信はないと結論を出したのだった。

いい歳をしていつまでも結婚しない、煮え切らない二人についにかっちゃんのお母さんが
「あんたたちどうするの。モタモタしてたら子供が産めないから」
と言ってしまったのだ。その言い方にカチンときた葉子さん、
「かっちゃんとの間に子供を作る気はありません」
と応酬したのだ。するとお母さんも負けてはいない。
「じゃあ、勝範がよそで子供を作っても文句は言えないわね」
あ~言っちゃった。それ言ったらマズイやつ。葉子さん、それ以来お母さんの顔も見るのが嫌になってしまったのだ。

でも熊本で災害に遭い、実家に戻ってお嫁さんにいじめられている90歳のお母さんを不憫に思ったのか
「かっちゃんが引き取るしかないでしょう。迎えにいってやったら」
後日談だが、この時かっちゃんは「うちで面倒みてくれるのか」と喜んだらしい。いやいや葉子さんはそんなタイプではなかった。知り合いの不動産屋に頼んで近所にアパートを見つけてきたのだ。
「家で一緒に暮らせないのか」
「嫌よ、私は顔もみたくない。実家のお嫁さんだって最初から意地悪なんかしなかったはず。相当あのお母さんには嫌な目に遭ったに違いない。絶対にこの家で一緒には暮らせません。スープの冷めない距離くらいのところへどうぞ」

かくしてお母さんの独り暮らしが始まった。でも葉子さん、顔は見たくないと言っておきながら、なんだかんだと差し入れを作ってはかっちゃんに持たせていた。また、洋服をデザインして作るのが仕事だったお母さん。きっと喜ぶだろうと綺麗な布や小物なども時折かっちゃんを通して渡していた。1年に1回くらいしか会うことはなくても、プライドの高いお母さんの尊厳を一番理解して守っていたのは葉子さんだった。長年デザイナーとして地元で活躍していたお母さんも、葉子さんのちょっと人とは違うセンスの良さは認めていたのだ。

だが95歳になり、さすがに家事が危なっかしくなった上に、マイペースのかっちゃんではケアマネジャーさんとの連携もうまくいかず、何か起きてからでは遅いからと、本人が帰りたいと望んだ熊本の施設へ転居となった。終のすみかになるであろう熊本の施設に多くの荷物は持ち込めず、お洒落な人だからせめてこれだけはお願いしますと、お母さんが自作した服を可能な限り詰め込んだ。この段取りも葉子さんが動かなければ実現しなかった。

「かっちゃん、熊本で地震だって。施設に連絡してみたら?」
「ふん。別に大丈夫だろ」
「この人のこういうところ、ほんと嫌。心配にならないのかしらね」
他人だし、顔も見たくないと言いながら、結局お母さんを心配するのは葉子さんなんだなぁと思いながら電話を切った。

親と子というものはおぎゃーと生まれて一番近い関係なだけに、本来なら互いに支え合い、助け合える関係が家族というものだろうが、近すぎるだけに距離の掴み方を間違えると厄介なことになりかねない。近すぎるほどに相手の領域を侵してはならないのだ。子は親の所有物ではないし、年老いた親を放り出すのも違う。だが何かで狂うことがあるものだ。
それはたったひと言の言葉かもしれない。
そんなつもりじゃない、悪気のない態度だったかもしれない。
心を深くえぐった出来事はずっと背負うのだろうか。あるいは背負わせるのだろうか。人は許すタイミングを見失うと、一生彷徨うことがある。







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