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【モリコーネ 映画が恋した音楽家】

「音楽家の名前が、『ジャンル』として認識されるほどの人物は、数百年に及ぶ音楽史においても、極めて限られた存在である。バッハも、モーツァルトも、ベートーベンも、ワーグナーも、もはや作曲家名ではなく、『ジャンル』だと思えるのだ」

そう語ったのは岩代太郎(作曲家)さん。そして「エンニオ・モリコーネ」も、紛れもなく『ジャンル』となった音楽家であるという。まさにその言葉に尽きます。

モリコーネの曲が聞こえてくると、映画のシーンが脳裏に浮かび、そこへと誘ってくれます。

例えば「めぐり逢い」
https://youtu.be/xkfG26dF_0U
運命的な出逢いをしたのに、すれ違う二人のシーン。

「ニュー・シネマ・パラダイス」
https://youtu.be/4Jh6ZedBoWk
はトトとアルフレードの声が聞こえてきそう。

「続 夕陽のガンマン」
https://youtu.be/BNb8DVfN6iA
のテーマ曲はコヨーテの遠吠えからヒントを得たという。

モリコーネは徹底的に映画のイメージを膨らませて、360度情報の海の中から針の穴ほどに気持ちを集中させて曲を編み出していきます。映画音楽を作らせたら天才と言われるエンニオ・モリコーネですが、実は映画音楽を作ることを恥ずかしいと思っていたというのが意外でした。でも生活や流れで否応なしに作るしかない。やりたくないのに、やるからには集中して並外れた仕事をやってのける。だから仕事が切れない。本当は音楽家として違う曲が作りたいのに…。でもやがて映画音楽は大衆の心に残り、音楽なくして映画も生きないものとわかり、彼は独自の世界を創っていくのです。

こんな人は二度と現れないと思いました。

医者になりたかったのに、トランペットが吹ければ食うに困らないと、トランペッターの父からトランペットをやれと習わされます。でもその父が病に倒れると、彼は家族の為に毎晩夜中の1時2時まで楽団で吹き、朝起きたら音楽学校へ行く生活。さすがにその頃は疲れ過ぎていて成績も凡庸だったとか。自分のなりたいものではないからこその葛藤があり、嫉妬やプライドがあるから、それがバネとなる。200年後にも語り継がれるだろう天才は、こうやって回り道しながら生まれました。

逸話がいくつも出てきますが、ニューシネマパラダイスの仕事は始めは断ったんだとか。それを「台本をともかく読んでくれ」と言われて、台本を見てすぐに引き受けたんだそうです。そしてこの映画音楽はとても楽しく作れたんだと本人談。
一方でワンス・アポン・ア…の方は6つ作って好きなのを選んでくれと。「間違っても6番は選ばないでくれ。一番嫌いな曲だから」その6番が採用されたのは皮肉というべきか。

音楽を作るときは真っ白い紙に何を書こうか、全くアイデアがないと語っていました。でもとにかく内容に集中する。すると楽器が出てきたり、フレーズが出てきたりして、たちまち書き上げるみたいな。だから現場で作りあげたり、やるといったら翌日にはいくつかできてたり。
周りの人から変人と言われたモリコーネ、その音楽がどうやって誕生したのか、実に興味深い「人間」を157分に詰め込んだので、映画館を出る頃には頭の中がパンクしそうでした。

最後に。モリコーネの映画音楽はたくさんありすぎますが、ここに代表的なものをいくつか挙げておきます。

続・夕陽のガンマン
荒野の用心棒
殺しが静かにやって来る
1900年
めぐり逢い
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
アンタッチャブル
ミッション
ニュー・シネマ・パラダイス
海の上のピアニスト
死刑台のメロディ
マレーナ
ヘイトフル・エイト
キル・ビル
ジャンゴ 繋がれざる者
NHK大河ドラマ 武蔵 MUSASHI

数々の名曲を生み出したエンニオ・モリコーネと同じ時代を共に生きられたのは幸せでした。
2020年7月6日 91歳で逝去。

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