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トマト1/3

どうも、ハヤカワです。

子供の頃、僕は食べ物の好き嫌いがかなり激しくて、緑黄色野菜のほとんどが食べられませんでした。(今はほとんど食べられます)
そんな僕にある日友達がこんなことをいったのです。

「トマト食べられないなんて人生の3分の1は損してるよ」

たかがトマトが食べられないだけで何を大袈裟な。
壊れるほど愛しても3分の1も伝わらないって言うのに。


第一、僕が食べられなかったのは生のトマトに限った話なので、多めに見積もっても損してるのはせいぜい6分の1くらいでしょう。
そもそも、生のトマトが食べられないだけで人生の2割弱を抉り取られるなんてダメージが大きすぎる。

それに、逆説的に考えるなら、僕にそんな厳しいセリフを言い放った当人の人生の3割強はトマトが占めていることになってしまします。
24時間で考えるなら8時間はトマトです。

トマトの存在感デカすぎませんか?

8時間というと、睡眠時間はほぼトマトです。
登場人物の頭が全員トマトになるくらいじゃないと辻褄が合いません。
仮に、夢にトマトが出てこないとすると、起きてる時間の半分はトマトです。
授業中や勤務中のほとんどをトマトのことを考えて過ごしていると言うことです。もうトマト農家になるべきです。
不意に声をかけられた時に思わず「トマト!」と叫んでもおかしくありません。

人生100年で言うなら30年はトマトです。
下手をしたら三十路を迎えるまでトマトに支配された人生になりかねません。分散させても3年に1度はトマトに支配された1年です。
オリンピックより周期が早い。

・・・。


僕はいったい長々と何を書いていたのでしょうか。
トマトがゲシュタルト崩壊を起こしそうです。

例え人生の2割を削られても、8割の自由があれば僕は幸せです。


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昨日の晩ごはんはナポリタンでした。

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