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自分の世界を広げる

突然だけど、「ヤールギュレシ」というものを知っているだろうか?

ヤールギュレシは、トルコの国技にもなっている伝統的な格闘技で、650年もの歴史があるとされているオイルレスリングの1種。日本ではトルコ相撲なんて呼ばれているそう。
細かいルールなどは、本題から逸れてしまうので割愛させてもらう。

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知っていた方もいるとは思うけれど、知らなかった方がほとんどではないだろうか。僕もヤールギュレシの存在を知ったのはつい最近のことだ。

知らなかった方は、幸運かも知れない。
今この瞬間、あなたの世界は広がる可能性を一つ得たことになる。
一体何をいっているんだと思うかも知れない。なので、もう一つ例をあげてみることにする。

皆さん、トマトは知っていると思う。

ではもし仮に、あなたがトマトを見たことも、聞いたことも、食べたことも、匂いを嗅いだことも、触ったこともなかったとしたら、果たしてトマトはあなたの世界に存在していると言えるだろうか?

答えはおそらくNOだ。
例え他人がトマトの存在を知っていたとしても、それがあなたに何らかの形で伝わってこない限り、あなたの世界にトマトが存在することはない。

何らかの形で見聞きして、実際に食べたり、嗅いだり、触ったりして初めて、あなたはトマトを「トマト」として認知することができるのだ。

ここまでで、僕が何を言いたいかというと、「知らないものは知れない」ということだ。そして僕らは、知っているものを土台にした「自分の世界」を生きていて、それは他人とは異なる形をしている、ということだ。

この事実の中に、僕は学ぶことの意義を見つけた気がした。

僕ら人間は、社会の中で生きている以上、否応なく他者と関わりながら生きている。つまり、コミュニケーションを取らなければならない。

コミュニケーションは、いわば互いの世界が相互に干渉することだ。
すると、自分の世界にないものが、相手の世界に存在していることに気づく瞬間というものがやってくる。
それを知らないまま無視したりしていると、対話に齟齬が生まれたりする。
相手の持っている言葉の意味や形を想像できるようになると、コミュニケーションは一気に円滑になる。

だから、知らないことを知ることには意味があるのだと思う。
未知の物事を学んで既知にしていくことには、大きな、大きな意味がある。
自分の世界の広さは、知覚できているもののの量と質で決まってくる。その世界を広げるということは、他者と分かり合える(思い合える)物事の幅を広げることにつながっているのだ。

相手の心が覗けるわけではないので、僕らは互いを完全に理解することはできない。でも、思いやることはできる。
思いやりの源泉は想像力だ。そして想像力の豊かさは、自分の世界の広さで決まる。

学ぶことは、優しくなることへの大切なファーストステップなのかも知れない。
その一歩を盤石なものにするためには、日頃から知らないものを知らないままにしない姿勢が必要だ。

目を逸らしてはいけない。何事も。

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