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頑張る事をやめた話

ものすごいお久しぶりです。Nimbusのボーカル、TAMAです。

今日は別にコラムやTips的な話ではないので、興味のない方はスルーしていただいて大丈夫です。

自分の事を主観でベラベラ語って「俺って可哀想でしょ〜」って話です。ごめんなさいね。でも大丈夫。かなりネガティブだけど、それを吐露した上で頑張るぞって話なので、読んでいただける方はコーヒー片手にどうぞ。
ここ最近noteの更新がちょっと止まってた理由にも少し触れます。

ここ数ヶ月、noteの更新や歌ってみた等のYouTubeの更新をストップし、人付き合いも最小限に抑えてきました。端的に言ってしまえば、精神面の問題です。

あくまで自己分析ですが、元々僕は細かい事は気にせず切り替えが上手い人間でした。何か嫌な事があっても引きずる事はなく、笑い飛ばせるタイプ。翻って、プレッシャーにもそこそこ強い方だと思ってました。

異変が起こり始めたのが今年の夏くらい。漠然とした不安がずっと付き纏ってきて、常に胸が締め付けられる感覚。何をしても不安とマイナス思考のループが抜けず、全く眠れない日が幾度もありました。

特に辛かった事の一つが、あらゆる物事に対して、取り組む精神的ハードルが顕著に高くなってしまった事です。LINEの連絡を一言返すだけの事が、仕事一つ片付ける事が、ただそれだけの事がめちゃくちゃ頑張らないとできない。
いや、これはただ僕の元来の怠け者根性が出てきただけかもしれませんが。

もう一つ、雑音がとても気になるようになってしまいました。例えば仕事をしている時に、オフィスで他の人が話している話し声だったり。街を歩いている時に聞こえる雑踏の音だったり。居酒屋の喧騒だったり。

別に「悪口言われてるんじゃないか」的な妄想で気になる、と言うわけではないです。それらの雑音が耳に入るだけで、漠然とした不安が掻き立てられ、どうしようもなくイライラしたり気が立ってしまう。

逆に、イヤホンで音楽を聴いたり、誰かと話している時のように「想定された音」に対してはそんな気になる事はありません。ただ、周りで鳴ってる「想定していない音」に対して、謎に敏感になってしまっている。

正直、こんな状態で人と接する事がとても怖い。何より、自分がこんな状態である事を誰にも悟られたくなかった。だって、いつもヘラヘラしている俺は、そんな脆いキャラじゃないから。
そして、自分自身も自覚を持つまでにかなりかかった。そんな状態になるなんて夢にも思わなかったから。

もちろん、誰かに相談しようと思った事もありました。でも、できなかった。
人にはいくつか「スイッチ」があります。例えば仕事モードのスイッチ。能動的にスイッチを入れる人も居れば、規定の時間や場所で自動的にスイッチが入る人もいる。

僕の場合は「人と接する」事がトリガーとなり、ほぼ強制的に対外モードに切り替わってしまいます。自分でコントロールできるものじゃない。
一度スイッチが入ってしまえば、途端におしゃべりになってしまう。もちろんそれが嫌という訳ではないです。ただ、そんな状態で人に心の相談なんてとてもじゃないけどできません。

だからここ数ヶ月、限られた人としか接さないようにしてました。そんな中で、とうとう全てを決定づける出来事が立て続けに起こってしまいます。恐らく、今後の人生の中で2023年は一生忘れられない年になるんだろうな、というくらいの。ここでは詳しく書きませんが、かなりの出来事が連続で。

限界を迎えた中でも、一度誰かと接すれば強制的にスイッチが切り替わってしまう自分を客観視して「結局自分は誰かを信じる事はできなかったし、誰かに信じてもらう事もなかった」と自己嫌悪に陥る毎日です。

人前に立つ立場である人間が、こんな告解はすべきじゃない。これ以上進み続けるべきではない。それは分かります。
今まで自分は、自分の事をエンターテイナーだと規定し、全てを見せないように頑張ってきました。そしてそれは正しかった。

これからもエンターテイナーであり続けたい。でも、そのためには一度、どこかで荷下ろしが必要だったのかも知れません。
今日、俺は自分の内面を棚卸してこうして告解しました。今日だけは、頑張る事をやめました。

楽になったのかどうかはわかりません。
明日からまた、漠然とした不安に苛まれる日々が続きます。でも止まらない。止まりたくない。止まる事は許されない。
いつか、あるかも分からないゴールを駆け抜ける日が来るのかも知れない。あるいは、急に火が消える日が来るのかも知れない。

どうなるかは自分にも分からないけど、この先も歩き続けられるように、今この瞬間だけ、自分の気持ちの棚卸しとして、しばしの休憩として、俺の事を告解してみました。

来年に向けて、頑張るぞ〜!!

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