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思い出語り①

おかんが心不全にて緊急入院。パートを休み、子どもは夫に任せて帰省。帰宅後すぐに面会でき、酸素マスクはすっかり取れ、息苦しさもほとんどないと、元気なときと比べても遜色ない声のデカさと口数で驚いた。土日は面会できないらしく、土曜が一日フリーになった。
帰省が決まったときに、面会時間も短いし、姉も仕事なので、土曜は一日一人で過ごすことがわかっていたので、古巣で練習はないだろうか調べたらちょうど合宿みたいで。Twitterであきのたの人らしき人が、当日参加大丈夫ですよと言ってくれていたので、ジャージも読み道具一式もかばんに入れた。いつもの帰省では、時間が足りなくて、友人に会うことも、母校の練習に行くことも叶わない。今は、子どもの好物であるポケモンを視野に入れねばならないので、ポケセンに行くことも常に検討されているが、難しいことのほうが多い。

やりたいことを考えた。
こないだEテレで見た番組で三井寺やってて、近所のくせに写生大会と歴史探検クラブでしか行ったことなくて、そのすごさもわからず大人になり、改めて行ってみたいとなった。それから、私はおかざき真里先生の漫画が好きなんだが、最澄と空海を描いた「阿・吽」という漫画の影響で比叡山にも行きたかった(個人的には空海派なので、ほんとは高野山に行きたい)。母校が新校舎になってから行ってないから、母校にも行きたい(前日に、「成瀬は天下を取りにいく」を読み始めたからなおさら)。そして、天龍寺に行きたい。
姉とご飯を食べた後、ソファでゴロゴロしながら決めたのは、朝から京阪と嵐電を乗り継いで天龍寺に行く〜嵐電で四条大宮に戻り、徒歩でポケセンキョウト〜徒歩で三条京阪に行き大津に戻り石坂線に乗り換えて母校を見に行く〜三井寺で鐘みくじを引く、という行程だった。

土曜日、朝から高校時代の友人に連絡してみると、午後から合流できるとのこと。 
知らない間に京津線は太秦まで伸びていた。終点まで行き、嵐電に乗り換え。ギャルが運転席からの景色を動画に撮ってインスタのリールにあげようとしていた。


臨済宗

雲龍図も見てみたかったのはそうなんだが、一番の目的は親友の墓参りだ。私の人生を確実に変えた親友。大学時代のかるた仲間と言ったらあっさりしすぎてしっくりこないくらい。
ちょうど各県の同期に当たる三人が、彼のいる大学に入り、そのつてで他大学ではあったが関西では当時珍しかったかるたサークルに足を運ぶことが出来た。かるたのことだけじゃなく、大学生の先輩として、パソコンのメールに付き合ってくれたりした。そして、なにより関西連盟の会長として、新入生の私たちの面倒をよく見てくれた。二人ともB級、その年のうちに、同期たち三人ともA級に上がる中、私と彼は上がりあぐねていた。
大学二回生の晩秋、一人暮らし先のマンションから転落したと連絡を受けた。愛知大会が終わったらお見舞いに行こうと思っていた。愛知大会は、初めてB級決勝まで行ったけど結局勝てなくてダッシュだけがついた。全部の試合が終わって、帰る準備のときに携帯を見るとかるた班の同期からやたら着信がついている。かけ直したら、昼頃に息を引き取ったとの連絡だった。帰りの車の中、泣きながら窓から月を見ていた。
そのときから、私は彼の背中を追う。九州職域も、学生選手権も、団体出られる他大学に混じって行った。心理を生業にしようとも決めた。携帯のアドレスに、彼の存在を忍ばせた。

現世で会えなくなってからもう随分なるので、ここ最近の命日に泣くことは少なくなったし、墓に参っても落ち着いていられるかと思ったけど、お墓の前に立つと、まだこんなに泣けるんかと思うくらい泣いた。しばらくそこで話をして、帰路につく。

天龍寺庭園の紫陽花
いつもはJRやから渡ってくる渡月橋。今回は眺める。

当時彼と一緒に過ごした人たちは、それぞれ彼への思いを持ってると思う。共有できていると思っている人何人かにLINEした。

ポケセン行ったあと、歩いて、彼の住んでいたところまで行く。途中、寺町とか、新京極とか通って、今思えばええとこ住んでたなぁとか思ってた。一緒に行ったミスドは、見つけられなかった。


三条院とよく言っていた

あのとき何が起こったのかは、もう知るよしもないけど、ここでぼいらぁの背番号ワッペンつけたり、オールスター感謝祭のくだらない問題に笑ったのは確かだ。

京津線に乗って大津へ帰る。
ぼいらぁの飲み会で、弱いくせに吐くまで飲んだ私を、一緒に電車に乗って最寄り駅まで送ってくれたことがあった。

最寄り駅に入る電車

踏切から見た、そのまま浜大津に向かう彼の姿。何を考えていたのかなと思う。

ご両親とは年賀状のやり取りをさせていただいている。弟さんは結婚してパパになっていると言われていた。弟さんと言えば、ドラえもんの時計を弟がくれたと喜んでいたことがあったなぁ。
2000年から今日までのうちに、形見にもらった新潮文庫のYondaのストラップはちぎれてしまった。もらったドラえもんのコップも割れ、ハンドタオルもどこかで紛失した。だけど、私のかるたで使うタオルはいつもドラえもんだし、こないだは札の箱に使うイラストは、いつも描いていたパンダを入れてもらった。

次に会えるのはいつかわからないし、そうすぐすぐ会いに行くのは憚られるのだが、いつか人生を終えた時に再会して、積もる話をいっぱいしたい。お見舞いに行かなかったことを後悔していると伝えたい。

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