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育児Tシャツ、その1。


(Tシャツのおはなし。その37)
娘との思い出。


忌野清志郎さんのデビュー
50周年記念として復刻したツアーTシャツ。
2種類あるのですが、

↓こちらは、ロックミュージシャンの
Tシャツ、らしくない一枚ですね。

My Daddy、そしてBabyの文字。

ロックらしくはないけど、
清志郎さんらしいTシャツだと思います。

ロックミュージシャンは、過激やワルを
売りにして、家族のことはシークレットに
してる人が多いように感じますが、
清志郎さんは逆でした。子煩悩というか
親バカというか、子どもへの愛情を
かくすことがなかった。子どものことを
エッセイに書きまくってたし、子どもの
写真をCDのジャケットにも使っていた。
子どもをステージに上げて
一緒に歌ったり、曲をつくったり、
レコーディングに
参加させたりもしていました。

ミュージシャンというより
父親(daddy)としての忌野清志郎さんの姿が
思い浮かぶTシャツです。

今回、復刻しませんでしたが、
このTシャツは、発売当時
子ども用もあったように記憶しています。
文字がテレコになっていて、
My baby? が大きくて、daddyが
小さいパターン。

当時、このTシャツを見かけたとき、
もし子どもが生まれたら、
これをペアで着てみたいな、
なんて思ったんですが。
でも、さすがにペアルックはなあ、
う〜ん、どうしようと
迷って、結局は、大人用だけを購入。
勝手に「育児Tシャツ」と名付けて、
もし子どもが生まれたら
着用しようと、そのままタンスに
しまいました。

そして、次の年、長女が誕生。
このTシャツのデビューとなりました。

「イエー、イクメンデビューだぜ。
初めての育児、キヨシローに
負けないようにがんばるぜー」。
なーんて気分で着たかったんですが。

そううまくはいかなかった。
人生最大の試練が待っていました。

娘は誕生とともに、NICUに入院、
障害があることを知らされ、
いきなりの余命告知。長く持って数ヶ月と
言われました。退院は無理かと思われ
ましたが、娘はがんばってくれました。
そういえば、大きな医療ミスもありました。
告訴も考えましたが、娘と過ごす
今このときを、一日一日を大切にしたい、
そんな思いから、やめました。

その後、一般病棟へ転院、
そして退院。
そのときの夢だった自宅での
生活がかないました。

でも、そこからがたいへん。
育児というより、介護、看病。
毎日が、必死でした。


娘はがんばって、入退院を
繰り返しながら1年と8ヶ月生きてくれた。
まさに、汗と涙といろんな思い出に
包まれたTシャツです。


これで終わったら、悲しい思い出の
Tシャツなんですが、その後、
息子が生まれてきてくれた。
その時は、「俺ってイクメンだぜ〜」
気分でこれを着てましたし、
楽しい思い出もいっぱい。
いろんな意味で、大切な1枚になりました。

ちなみに、このTシャツ、17年目です。
今も現役で、たまにきています。




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