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15年前の約束 ~サントリー ザ・プレミアム・モルツ~

約束の日

北浦和・炭火焼もりのした

約束までまだだいぶ時間がある。
それでも私は、迷うことなく【炭火焼もりのした】へ入った。
ここではいつも一番奥のカウンター席に座る。
そしていつも通り「ザ・プレミアム・モルツ」を注文した。
いつもより早く仕事は切り上げたが、意識的に約束の時間より早く来たつもりはない。
時刻は17時30分。約束の時間は19時だ。

2016年2月〇日

2016年2月〇日 娘は生まれた

今から遡ること約20年前、例年より暖かい冬に娘は産まれた。
深夜、妻を車に乗せて病院へ向かったときのことはよく覚えている。
妻が臨月になってからは、いつ何時でも妻を車で病院へ連れて行けるように、大好きなビールも控えていた。
ビールを飲むようになってから、これほどの期間、ビールを断ったのは初めてのことだった。
そういえば、娘が産まれたあの日。
家で祝杯をあげたときのビールも「ザ・プレミアム・モルツ」だったっけ。

気泡一つない澄み切ったグラスと、キメが細かくクリーミーな“神泡”

そんなことを思い出しながら、「ザ・プレミアム・モルツ」に口を付けた。
ビール好きにとって、いつ飲んでも、スタッフの誰が注いでもきっちり仕上がった樽生ビールを出してくれるお店は貴重だ。
気泡一つない澄み切ったグラスと、キメの細かいクリーミーな泡。
「神泡」とは、なんとも絶妙な表現だ。
サントリーのプロモーションにはいつも感心させられる。

【炭火焼もりのした】の焼き鳥(タレ)

焼き鳥の「おまかせ5本」と「刺身盛り合わせ」を注文するのも【炭火焼もりのした】でのルーティーンだ。
焼き鳥はタレ。特にこのお店では。
2018年11月28日、【炭火焼もりのした】は、類焼による全焼被害に遭う。
もしあのとき、全焼した店跡から、無傷のタレ壺と焼き台が見つからなかったら、このお店は再開していなかったかもしれない。
建物の上から火が回ったこと、上から落ちてきたダクトと頑丈な焼き台が、すぐ横にあるタレ壺を火や放水から守ったこと、そしてそれらが無傷で戻ってきたこと。
幾重の奇跡によって守られた“創業以来継ぎ足しのタレ”は、私にとっても何かあったときに前を向く力を与えてくれる縁起のいいメニューなのだ。

とーちゃん、ビール飲んで!

誕生日プレゼントは、いつだって【ザ・プレミアム・モルツ】

もちろん、単純に焼き鳥と刺身が私の大好物だという理由もある。
私の誕生日には、夕食は決まって焼き鳥と刺身が食卓に並ぶ。
「とーちゃん、お誕生日に何が欲しい?何が食べたい?」
誕生日が近付くと、幼い頃の長女が毎年同じ質問をしてくれた。
私の回答は「欲しいのはビール、食べたいのは焼き鳥と刺身」
毎年変わらない回答に、途中からは
「とーちゃん、誕生日はビールと焼き鳥とお刺身でしょ?」
と、娘の質問も変わっていった。

「とーちゃん、ビール飲んで!」
と言いながら、娘がビールをグラスに注いでくれたのも、今思えばなんて贅沢な時間だったのだろう。
もっとも、いつしかそんなやり取りはなくなってしまったが、誕生日には今でもビールと焼き鳥、刺身を用意してくれている。
やっぱり家族には感謝しなければならないな。

【炭火焼もりのした】で誕生日を祝ってもらったことも、一度は二度ではなかった。
娘も私に似て、焼き鳥と刺身が好きになった。
特に「つくね」は、オーダーした分をすべて一人で食べていたものだ。

くっきり残る“エンジェルリング”が、高品質の証

品質管理が徹底された樽生ビールは、あっという間に吸い込まれていく。
私は2杯目の【ザ・プレミアム・モルツ】を頼んだ。

娘が3歳の頃、私は酒に酔いつぶれ、財布入りの鞄をなくしたことがあった。
当然、終電はなく、自宅まで数万円かけてタクシーで帰宅した。
代金は、夜中に起きてきてくれた妻が支払ってくれた。
夜中に妻からお𠮟りを受け、それ以降、毎晩の晩酌を自粛した。
皮肉にも、娘が生まれたとき以来の断酒である。
そんなある日、長女と風呂に入っているときに長女は言った。
「とーちゃん、今日はビール飲んで!」
妻に話を聞くと、買い物に行ったスーパーでビール売場を通った際に、長女がビールを買いたいとごねたらしい。
「今日はとーちゃんが早く帰ってこれるのなら、夜ご飯は焼き鳥がいい!お刺身とビールも買ってあげて!」
ちょうど晩酌を再開する期間を決めかねていた時期。
まさか、娘に晩酌再開のGoサインをいただくことになるとは(笑)
そういえば、あの時のビールも【ザ・プレミアム・モルツ】だったな。

15年前の約束

ビールに興味津々な娘

娘は、私が飲むビールの香りが好きだった。
飲んでいるビールの色や、注ぎ方で変わる泡の表情を観察することも好きだった。
私が美味そうにビールを飲む姿をみて、飲んでみたいと言い出すことも多々あった。
もちろん、ビールを飲ませたことはない。
子どもがアルコールを接種するリスクについては理解しているつもりだ。
「ずるい!いつになったら飲んでいいの?」
娘に初めてそう言われたのは、娘が5歳になってすぐのときだった。
そのとき約束したんだ。
「20歳になったら、とーちゃんが一番好きな焼き鳥屋さんで、ビールを好きなだけ飲ませてあげるよ。大好きなつくねも好きなだけ食べていいよ。」

【炭火焼もりのした】 つくね(タレ)

あの約束から15年。
今日2036年2月〇日は、娘と初めて、2人でビールを飲む日。
娘が、当時の約束を覚えていたかはわからない。
ずっと楽しみにしていたなんてことは、流石にないだろう。
でも私は、娘が産まれたあの日から、一緒にビールを飲める日を楽しみにしていた。
約束をした15年前のあの日から、私はこのカウンターで、飲める日を楽しみにしていた。

「意識的に約束の時間より早く来たつもりはない」なんて嘘だ。
“いつものとーちゃん”でいるためには、早く来て、美味いビールを飲んで落ち着く時間が必要だった。
時刻は約束の30分前。
そろそろ頃合いだろうと、「少し早く着いたから先にお店に入っている」とLINEでメッセージを送った。
娘からも、すぐに返信があった。
「私も時間より早く着けそう!」

「いらっしゃいませ!」
元気なスタッフの声に、入口へ目を向けると、そこには私と目が合い照れくさそうに笑う娘がいた。
私は手を挙げて、【ザ・プレミアム・モルツ】を2杯と、つくね(タレ)を追加した。

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noteでは、飲んだビールや飲んだお店から連想した物語を書いていきます。
100%フィクションではないけど、ほとんどフィクションです。
登場する人物・団体・名称等と物語は関係ありません。

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