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1 自由に生きる―タイ仏教僧として―

日蓮宗現代教化研究所「教化学研究10 抜刷」、「教化学研究10」2019.3 より転載 

特別発表 自由に生きる
―タイ仏教僧として―
プラユキ・ナラテボー


司会:本日の特別発表としまして、『自由に生きる タイ仏教僧として』と題しまして、タイ国スカトー寺副住職プラユキ・ナラテボー先生に特別発表をお願いしたいと存じます。先生、どうぞよろしくお願いいたします。


ナラテボー:はい。皆さま、よろしくお願いいたします。本日はこちらの発表大会にお招きいただきまして、どうも ありがとうございます。本日、私のお話しさせていただくタイトルですが、『自由に生きる タイ仏教僧として』ということでございます。私自身、タイの東北部、バンコクから四百キロぐらい離れた森林寺で出家得度いたしまして、 今日まで仏道修行を続けてきております。最近は、日本とタイを往復して、お釈迦様の教えを、布教と申しますか、 皆さまにご案内しているという次第でございます。

 本日は、『自由に生きる』ということで、私自身、タイでの修行生活、村人との交流、それから様々な社会活動を 通して得られた「心の自由」というものについて、私見を述べさせていただきたく思います。また最近は、「自他の抜苦与楽」という言葉をよく使っているのですが、仏教の修行は自分だけの幸せや悟りだけではなく、他者と共に、 苦しみを減少させ、幸せ、楽が与えられる道であるということをお伝えできればと思っております。

 まず、今日はスライドを持ってまいりましたので、こちらを上映させていただこうと思います。内容は、私が修行生活をしているタイのお寺や農村風景、僧侶の修行の様子などです。スライドをご覧いただききながら、私の方で補 足説明も適宜加えてまいりますので、タイの人たちの生活やお坊さんたちの修行の様子が伝わりましたら幸いです。

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 まず仏教の発祥と伝播ですが、これはもう皆さまご存じかと思いますが、インドでお釈迦様がお悟りになられ、八十の齢で亡くなられてインドでの勢力が衰えた後も、そのまま廃れてしまうことなく、各地に伝播して法脈が繋がっ てきたという歴史があります。

 そうしたルートの一つは、北伝仏教ということで、インドから中国、朝鮮、韓国、そして日本に渡った大乗仏教の 流れがあり、そしてもう一つが南伝仏教ですね、インドからスリランカ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスと いった国々に伝わりました、その他に、チベット方面にも伝わり、大きく三つのルートでそれぞれ特色のある仏教文化が花開いたわけですね。

 タイ仏教を簡単にご説明いたします。タイ仏教は、「上座部仏教」に分類されています。「小乗仏教」とも称されて きましたが、最近は「小乗」は蔑称だということで、あまり使われなくなり、「上座部仏教」、あるいは「テーラワーダ仏教」が正しい呼び名だということになっています。

 上座部仏教の特徴は、ブッダが在世時に説かれたオリジナルに近い教えが収録されたパーリ語の三蔵経典に依拠していることです。それゆえ経典の読誦も、パーリ語でします。また最近は、パーリ語だけだと、在家の人たちが読ん でもちんぷんかんぷんだということで、パーリ語とタイ語のちゃんぽんで読んだりもしています。パーリ語は、サンスクリット語に非常によく似た言葉で、サンスクリット語のちょっと方言みたいな感じですね。

 タイは国民の九十パーセント以上が上座部仏教を信仰しています。また現在タイには、約三万の寺院があり、三十万人ほどの僧侶がいると言われています。タイの僧侶は私が今、身に着けているような衣をまとい、二百二十七項目の戒律を遵守した生活を送っています。ところで、「三十万人ほどの僧侶がいる」と申し上げましたが、タイの場合、 一時出家制度もありまして、公務員であれば、例えば三か月間の有給休暇をもらって、雨安居の時期の三か月間をお寺で過ごし、安居が明けた後、また世俗に戻るというような出家スタイルも認められていますので、三十万人というのはこの雨安居時の数字で、通常は二十数万人くらいかと思います。

 次に、僧侶の一日の生活ですが、いま映しているスライドは読経をしているシーンです。早朝四時に読経をスタートしますので、三時過ぎには起きて、身づくろいする感じですね。