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5 自由に生きる―タイ仏教僧として―

 話は戻りますが、スタディ・ツアーの後、タイとのご縁ができまして、大学卒業後、タイの大学院に留学する機会を得ました。そこでは、タイの農村開発問題を研究しました。日本でも近代化の過程で公害の問題などが起こりましたが、タイでも同様、都市のスラム問題や農村の疲弊、貧富の格差が広がるなど、近代化の過程で様々な問題が生じてきていました。

 そうした問題を解決しようと、タイでは「開発僧」と呼ばれる僧侶たちの一群が現れ、仏教精神を基盤として、貧困解消をはじめ、様々な社会問題解決のための活動に取り組んでいたのです。そうした開発僧たちの活動に、私も非常に関心を抱きました。仏教は、修行を通して「智慧」や「悟り」を得て、自身の苦悩を解消していくという側面も ありますが、同時に、「一切衆生が幸せでありますように」という祈りに象徴されているように、人々と共に幸せに なっていく慈悲の精神も仏教のもうひとつの柱ですよね。そういった智慧と慈悲の両輪を見事に体現されているタイ のお坊さんたちの姿に惹かれ、私もぜひそのあたりのことを現場で体験的に学びたいということで、当初は三ヶ間のフィールドワークのつもりで出家したという次第です。

 ところが実際、今日まで還俗せずに、三十年以上続けてしまうことになりました。なぜこういうことになってしまったのか。率直に言えば「味をしめた」という感じです。私の場合、一九八八年の六月に出家し、そのまま三か月間 の雨安居に入りました。この期間は戒律に基づいて、不用な外出はせず、お寺に籠ってひたすら修行に励みます。特 に私の出家したお寺は修行系の寺でしたので、一日中瞑想することを勧められました。心身の観察をひたすら続けて いくことで、今まで気づいていなかった心について様々なことがわかってきました。ブッダが言っていた「苦しまないで生きるってこういうことだったんだー!」ということを、体験を通して実感できたという感じですね。そうした 心の観察とそれによる変容が面白くなって、やめられない止まらない状態になり、結局、当初の三ヶ月間の予定が終 わっても、還俗する気にはならず、そのまま僧侶生活を継続することになってしまったわけです。

 出家前は、「開発問題」というと、いろんな社会問題に取り組んで解決していくというイメージでした。それゆえ 私も、自分の身を粉にして、自己犠牲も厭わずに、様々なNGO活動やボランティア活動に携わっていたのですが、 結局、心身共に疲弊してしまっていたのですね。そんな折に開発僧の活動に出会ったわけです。私が彼らの活動に大 きな関心を寄せた理由はといえば、他でもありません。彼らも村人のためにと熱心に活動しているのですが、その様 子が実におおらかで、やればやるほど元気になっていく感じがしたのです。同じ社会貢献的な活動をしていながら、 やればやるほど疲弊してしまう私と彼らの違いはいったいどこにあるのだろう? そんな疑問も僧侶として修行する ことで晴らせるのではないかと思いました。実際、出家して修行をしばらくしてみて、その疑問についての明確な回答が得られました。活動をアクティブにしながらも、心を疲れさせずにやっていける、そういったポイントといいま すか、コツが分かってきたということですね。一言で言えば、「心の開発」が大事だったということです。 心の開発においては、瞑想がとても大きな役割を果たしてくれるわけですが、それと同時に大事なのが、戒律を守っていくということです。上座部の僧侶は「お酒を飲んではならない」とか、「午後に食事をとってはならない」な ど二百二十七項目のルールを守ることになっています。ところで、一般的に戒律は守るものという感じですけど、実際は「戒に守られていく」というか、そういうメカニズムがあるということが分かってきました。それから、戒律というと、「束縛される」みたいなイメージがあると思いますが、実際には、戒を守ることによって、心がどんどん自由になっていくのだということを実感できました。そのあたりの詳細は、拙著『自由に生きる』(サンガ)のなかで、 私が実際に体感した「戒律の功徳」について、具体例をあげながら十二項目にまとめて紹介していますのでご参考ください。

 そのように、まずは出家して戒律を守りながら規則正しい生活を送っていくうちに、それまで慢性的に疼痛を感じ、 肋間神経痛と診断されていた症状が雲散霧消していきました。それから、心も自由になっていくのを感じて、なるほ ど開発僧たちはこうした健康的な生活をしながら社会活動に取り組んでいたがゆえに、無駄に心身を疲弊させずにや っていけていたんだということが、了解できました。

 そして雨安居も明け、当初予定していた三ヶ月間の出家期間は終わりましたが、先ほど申し上げた通り、私は迷わずに出家生活を継続することを選びました。そしてその後は、各地のお寺に赴いて、様々な種類の瞑想を体験しまし た。私が出家したスカトー寺で教える瞑想法はブッダの瞑想法を現代的にアレンジした素晴らしい瞑想法だということは、三ヶ月間取り組んでみて、確信はありましたが、その他にもタイにはいろいろなタイプの師がいて、いろいろ な瞑想法が実践されていますので、まずはいろいろ幅広く学んでみようということで、各地のお寺を訪れては、そこで教えられている瞑想法を手当たり次第に学び、体験してみた次第です。