言葉を教える時
皆さんお疲れ様です。ARASKAです。
東京に行って誰かと会う時、私は言葉が訛らないかどうかを気を付けてしまいます。田舎者と思われたくないので、イントネーションを標準にしたり、標準語の地域のトーク番組を見たりもします。
そんな時少しでも訛りが出ようものなら、全然気にはならないんだけど懐かしいなと思って。とか言われて、楽しい再会のムードからは一転して、哀愁ムードが漂い、なんとも言えない空気になるのです。
うちには1歳の息子がいるのですが、よく親が言葉を伝えたり代弁したりする時に、ゆっくり話す分にはいいと思うのですが、所謂赤ちゃん言葉という、本来の言語を少し赤ちゃんが喋りそうなニュアンスに変えた言語に変えることがあります。
それを聞いて、赤ちゃんに寄り添いすぎて意味が分からなくなり、私が周りの大人にそれはどういう意味なんですかと聞くと、これはこういう意味。の後に溜め息が聞こえるような気がします。
外国人に日本語を教える時に、テンプーラーとかスーシーとか教えることがありますが、ちゃんとてんぷら、寿司って教えてあげればいいのになと思うし、そのくせ片言な日本語を聞いて、まだ日本語慣れてないんだ。頑張れ。とか言うので、お前らのせいだろ。と思ってしまいます。
今日の朝は、嫁が作ったチーズケーキが絶妙なバランスの美味しさだったので、ちょうどいいチーズケーキと言ったつもりが、ちょうどいいちょうどケーキと発してしまい、挙句の果てにはボソボソ喋るものだから、チーズケーキかショートケーキか消毒液、どれの事を言っているのかわからなくなるほどでした。
日本語を分かりにくくしているのは私なのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
書くために本を読みます! 本の経済が潤いますように!