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愛社精神について(前編)

 「愛社精神」。これはとても重要です。

 特に新入社員教育をはじめとした初期教育は、実務を遂行するうえでの各種スキル習得も大事なのですが、「考え方」しかり、この「愛社精神」を醸成することも大きな目的のひとつであると考えます。

 では、なぜこの「愛社精神」が重要なのでしょうか。

「愛社精神」の重要性


 「愛社精神」というと、なんだか非常に重く、仰々しいイメージを抱きがちかと思いますが、そこまで難しく考える必要はないと考えます。
 このあたりは後述するとして、重要となる従業員の「愛社精神」を望むうえで、原理原則のひとつとして知っておくべきことを記してみます。

①「完璧」な従業員はいない
 「完璧」な人は、誰ひとりとしていないはずです。
 「完璧」かどうかの判断基準も人それぞれであり、足りないところを補完しようとしてもキリがありません。
 利害関係もない他人である者同士の集まりであるのが企業。経営者や上司も自分自身の人生そのものまでは保証もしてくれませんし、面倒を見てくれるわけではありません。
 自身が企業のなかで、意欲高く過ごすためには、判断基準が異なる人たちに、自分という「個」を認めてもらうことが不可欠となりますが、そのためには以下の三点が不可欠です。

・考え方
・熱意
・能力

 日々の仕事に意欲的に取り組むことはもちろん、「会社が大切にする考え方」や「周囲の方々の個性」への歩み寄りや、「自身に不足している能力」を補完しようとすることに自主的に取り組めるかが非常に重要となります。

"自分は自分"

 大切なことではありますが、自身の「個」を主張しすぎるがあまりに、会社や周囲に対する「歩み寄りの姿勢」がなければ、人間関係はうまくいきません。
 個人で完結する仕事はなかなかありませんので、孤立したりするようなことがあると、仕事がうまく進まなくなる可能性も……。

 「歩み寄りの姿勢」の根幹にあるのが「愛社精神」です。つまり、自分が勤める会社が”好きか嫌いか”が重要であると思います。

 考え方、熱意、能力と記しましたが、いくら「類まれな能力」や「業界そのものを変えるたい・稼いで生活を良くしたい」……という熱意を有していても、「会社が好きではない」「会社が嫌い」という状態であったらどのようになるでしょうか。
 たとえ「能力が足りていない」状況であったとしても、「会社が好き」という状態であったらどのようになるでしょうか。
 前者ではその能力は発揮されにくくなり、後者であればその能力が補完され、発揮されるのに要する時間は短くなることが想像できます。

 たとえ「熱意」や「能力」をもっていても「考え方」に難があれば、どうでしょうか。
 たとえ「能力」が劣っていても、「考え方」が正しければ、どのような結果に結びつくでしょうか。

 そう考えていくと、「考え方」がとても重要なのではないかと思います。
 そしてその「考え方」に直結するのは「会社が好きか嫌いか」、すなわち「愛社精神(の有無・強弱)」ではないでしょうか。

②「完璧」な企業はない
 従業員に「完璧」な人がいないのと同じで、国内約390万社あれども「完璧」な企業などはありえないものです。
 給料(お金)、休日日数、やりたいことや実現したいこと、業務適性などなど、従業員一人一人の価値観や望むことや特性は異なるがゆえ、処遇に対してであったり、与える職責や役割に対するたったひとつの経営判断が、それらと100%合致することはあり得ないからです。
 
 誰かを昇格させれば、それに対してやっかみが生じることもある。
 業績好調により、賞与原資を増額し平均支給額を上げたとしても、満足する人もいれば、「こんなもの?」という人もいます。
 価値観の相違に加え、そのときどきの個々の経済状況も異なるものです。

 こうしたことを考えれば、「私たち従業員にとって「完璧」な企業などない」というのもまた事実なのではないでしょうか。

 私も含め、会社に属する人たちの価値観や性格などの人間性や、会社で過ごす時間、つまりは「仕事」を通じて成し遂げたいことや実現したいことは人それぞれであることは言うまでもありません。
 それらを実現したいと思いつつも、できる経営判断はただひとつです。

 経営側からすると、ここに「愛社精神」をもってもらうことの難しさがあるのではないでしょうか。まさに頭の痛いところだと思います。

 私たちが、社会人人生の大半を占める会社での時間をいかに意欲高く前向きに過ごすか。それは、「愛社精神」をもてるかどうかにかかっているといっても過言ではないように思います。


 では、どうすれば「愛社精神」をもてるのでしょうか。

 後編の記事で触れたいと思います。

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