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52歳、やりたいことをやってみる

昨年母を亡くし、日本のあらゆるものを整理処分して、
オーストラリアに来てしまったTakayoです。

アデレードでの生活が2週間過ぎました。
人生振り返ると好きなことしかしてこなかったと気づくのですが、
「やりたいことを見つけたい」
「幸せになりたい」
「自分を変えたい」
「キレイになりたい」そんな悩みをずっと抱えてました。
気づけば、そういう悩みはどっかにいってる今。
もちろん、まだ悩むし不安に包まれることもありますが、
ずいぶん楽に生きてます。

好きに生きたい、自由に生きたい、元気に動きたい
と思っている人のサポートを
身体の声を聞き取りシェアしながら、
ボディワークやエクササイズを提案する仕事をしていました。

私の新しい挑戦、身近な人にしかシェアしてなかったのですが、
必要な人に勇気ときっかけを届けられたらとシェアしますね。
良かったら読み進めてください。

母と私の貴重な2023年

2023年は新しい仕事にも取り組み、
かなり忙しい日々が続いていました。
それを身近でみていた母。
母は大きく決断したのだと思います。
毎日、本当にお母さんは幸せだと私に伝えてくれました。

母との最期の時間では今までとは違う層の世界を学びました。
かなりの痛みがある身体で母はここまでよく頑張ってくれました。
父が亡くなってから20年。母には感謝しかないです。
愛をたくさん与えてもらいました。
不出来な娘で、もっとしてあげたいことがあったけど、後悔なしです。

Waitpinga Beach

年末の決断

12月の急に冷え込んだ日に
「あかん、このまま一人でお正月は越せそうにない」と
頭に浮かんだのが
「ゆきちゃんのいるオーストラリアへ行こうかな」でした。

母が亡くなってからさらに仕事が忙しく、
悲しみを感じる時間が少なかったのは良かったけど、
心も身体も疲弊していました。
ゆきちゃんに迷惑かけたくないしと思いながらも航空券を検索(笑)
ゆきちゃんに連絡してみたら、
来るんやったら来たら〜という返事が来て、思い切って購入!!!
この決断、できたことを今でも褒めてます。

ようやくのアデレード

1月1日に日本を出発して、
サウスオーストラリア州のアデレードに到着しました。
アデレード空港でゆきちゃんが出迎えてくれた映像は
今でもクリアに脳裏に焼きついています。

実は2019年2月にアデレードへの旅を計画していたのです。
出発日の朝にフライトキャンセルの連絡。
「はぁ?何で?」と航空会社に問い合わせたけど
機材不備で飛びませんと。
滞在日数が短くなるけど数日後のフライトに変更。
そして、また当日の朝にフライトキャンセル。
これは今は行ったらあかんということで旅行を取りやめました。
4年越しの実現!

ゆきちゃんにどれだけお世話になったか想像つくかと思いますが…
想像以上!
大自然を味わいたい
理由は分からないけどアボリジニに興味がある
そんな願いをあちこちに取り入れてくれながら
久しぶりに海に入り
大自然の中を歩き
満点の星空を見て
悩みをシェアし
特別なセッションを受け
夢を語り合いの濃厚な2週間でした。

最終日は驚きのハードスケジュールを楽しくこなして、
その間に私は何度となく母の声を聞いていました。

McLaren Vale

This is the final call

これからどう生きていこうか?
その答え(方向性)をこの2週間で見つけたいと望んでいました。

こういうのは見つかったのか
見つかっていないのか
よく分からない。

空港での待ち時間
”This is the final call”
このアナウンスが心にグサグサ刺さってきて。
「やるなら今ですよ」
「これ逃すとこんなチャンスはもうこないよ」ってそう聞こえてくる。

ピラティスから始まった人の健康づくりのサポート。
健康とは肉体だけではなく
心や感覚などの見えない世界とのバランスだと知り
ボディワークを受けるのも良いけど
なんとか自分でケアできないものかと
興味を持ったものを学び続けて10年以上が過ぎている。

やりたいことをなんでもしよう。
それがよく分かってなくても
なんとなくそう思ったら行動してみよう。
思い切り好きに生きてみよう。
そこにチャレンジするなら
これが最後のチャンスであり、絶好のチャンスだと受け止めました。

だって、10代の夢が海外で暮らすだったから。
かっこいいから、ただそれだけの理由なんだけど。

with Yuki on 6th Jan

決めたら動き出した

帰国の数日後、
仕事仲間に何の計画も決まってないけど
オーストラリアに行こうと思っていると伝えたら、
「いつ行く予定?」
「3月頃かな」と私の口がそう答えてた。
突然のことでメンバーを驚かさせてしまったけど
スムーズな流れで引継の話になり
なんとも言えない寂しさ、辛さが胸に込み上げ
この感情をしっかり味わい切ろうとしていると
ゆきちゃんから3ヶ月間私を受け入れてくれる人が見つかったよーと連絡が入ったんです。
道のど真ん中で号泣しました。
宇宙の計らいはすごい!

大きな決断

誰も止める人もいない今の環境。
どうせなら、オーストラリア(海外)移住を目指してみようと(笑)
そんな簡単なことじゃないと多くの人は言うかも・・・
確かに50歳超えた大人がこの状況でする決断ではないと私は思う。
でも、してしまった。
2月の1週目までは引継で日々が流れました。
この頃はまだワクワク気分満載でした。

Cairns Airport

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