人生は、落とし穴にあふれている

「努力できる」という幸運

 私たちは少なからず「努力が今の自分を作った」と考えている。自分がFラン無名大学ではなく、それなりの大学に通っていることは、過去の自分がした努力の、当然の対価だと考えている。
 確かにそれはその通りだが、しかし、それが全てではない。努力をするには「努力できる環境」と「努力の成果を発揮できる環境」がなければならない。親の経済力が無かったり、勉強に集中できる環境がなかったりすれば、受験で好成績を収めることは難しかっただろう。もう少し視野を広げると、五体満足で心身ともに健康であったからこそ勉強ができたのではないだろうか。命を脅かす大病ゆえに学校に通えなかったり、片腕や視力が無かったりしたら、努力することさえできない。
 今の自分は、相当な幸運の上にあるということを認識しなければならない。

落とし穴

 運が人生を決めるという話は、将来にも当てはまる。私たちは将来を考えるとき、「50歳くらいまでは心身ともに健康で働けること」を隠れた前提として考えてしまっている。果たしてその条件は、前提たりうるほど確実なものだろうか。
 今日の帰り道に事故に遭って半身不随になるかもしれない。犯罪に巻き込まれて一生癒えない心の傷を負うかもしれない。そこまで大きな話をせずとも、つぎの健康診断で一生付き合う大病が見つかるかもしれない。頭を打って脳がイカれて頭脳労働ができなくなってしまうかもしれない。車を運転中に子どもを轢き殺してしまうかもしれない。なんの気なしでやったことで訴えられて、重要な仕事を裁判準備でおろそかにしてしまうかもしれない。
 もはや将来を見通すことはできない。将来設計は、些細なことでも簡単に崩れてしまう。落とし穴はそこら中にある。障害とかは、遠い世界の話ではない。

人生とはなにか

 私たちは今までなんとか落とし穴を避けてこられただけだ。これから落ちない保証はない。リカバリできる落とし穴とリカバリできない落とし穴がある。どんなに気をつけていても、リカバリできない落とし穴に落ちることは普通にありうる。
 都度都度サイコロが振られるのが人生である。

思い出とともに

 だからこそ、過去を大事にしたい。過去に得た幸運が揺らぐことはない。すでにでたサイコロの目が変わることはないからだ。
 大学を卒業して社会に出ると、経済力や豊かさの差が顕著に現れることだろう。仲良しグループの中でも、ある人は恐ろしく金持ちになる一方で、ある人は難病に苦しんで野垂れ死ぬかもしれない。
 ただ、これまで私たちが得たものは変わらない。同じ場所で学んだというたったそれだけの事実を理由に、これからも仲良くしてほしい。

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