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子の刻参上! 二.くものいづこに(四)

夜露に木の葉がしめりはじめるまでには、まだまだ、時がある。
ぎんなんがどの程度の数あるのか見たくて、次郎吉は、枝切れで少し枯葉の小山をあらけてみた。

「おや……殻に、ひびィ入れてねえぎんなんが、いくつかありやすねえ」
次郎吉が見たままを言う。むしろ、ひびの入ったのが見当たらぬ。

「殻に、ひび!」
相手方の切込隊が本陣に肉薄しているのを目視してしまった軍師さながら、益田のかおいろが蒼白になった。
いや、たとえ手順に抜かりがあったとしても、こうも蒼白になるべきことではない。
「まだ、ひとつもひびを入れておらぬ」
その白状っぷりは、あたかも、「手勢が全滅した」と報告するごとく落胆していた。


「若様」
次郎吉は片眉ひそめた。

「解(げ)せねえこって。若様は、熊公を助けておくんなさるとき、きつどんに、とても目配りのきいてなさる下知をば、すらすらと一口でお言いなすった。
だが石合戦の折にゃあ、負けたとおっしゃった……今のもそんなご様子だ。おいらぁ、若様の得手と不得手が、どうもひとつの物事の中に極端にまじりこんでて、若様のお気持ちをとんでもなく苦しめてるように思いやすぜ」

もう薄暮を通り越して、夜目のきかぬ次郎吉には、銀杏を指でさわるほうがわかりやすくなりつつある。

「ちょくっとおいら、槌、かりて来やす」
「まて、刃物の峰ならある」

平たい庭石が少し湿っているところへ、ざらざらとぎんなんを持って行って、益田はしゃがんで、脇差の峰でぎんなんの殻を割りはじめた。

「こら、てえへんだ。数がありゃぁがる。きつどん、おかみさん、ちょくっと手分けしておくんない」
そういいながら、次郎吉は庭石の二つ目、三つ目をそこ、あそこと指さした。

火打ち石といい、銀杏の殻割りといい、おろくも狐も、次郎吉に言われてはじめて動くように、動作を変えてしまっている。
どうしたことだ……

と、自分も銀杏を割りながら、次郎吉は思案にくれた。

傷のなめあいさえしたことがない。
と、途方に暮れたことを言っていた益田であった。
しょんぼりとしたようすで、銀杏を黙って割っている。

堂々とした背筋ののびと、うつくしい風情と、下知の的確さに幻惑されて、いいにおいにふわふわとしてしまう気後れと落ち着かなさのあまり、次郎吉は距離をおこうとしていた。

だが本当は、熊を見に行ってかけつけ三杯をひっかけて、いたずらに時を過ごしてしまったことこそが、あやまりであったらしかった。

「四人でやると、早いやな」
と、次郎吉はもういちど集まった銀杏に落ち葉をかけた。
益田とふたりで風上にしゃがみこむ。懐紙をさしこみ火打石で火をつけた。

「たき火は、お好きですかい、若様」

「火を、じっと見ているのは、好きだ」
「おいらも月ぃ見たり、火ぃ見たり、水を見たりするのが、好きでござんすよ」

そっとおろくと狐が姿を消そうとするところへ、次郎吉は
「ちょくっと待ちねえ!おかみさん、きつどん」

と声をかけたが、ふたりとも、軽く手をいなして、去ってしまう。

「腹ぁすかしておいででは、ございやせんかね、若様」
「夕餉にありつきそびれた」
「お部屋にお膳が残してありゃあ、汁でもかっこんで来ておくんなさい。こっちは、やっておきやすから」
と、次郎吉はそわそわする。

けれども、いちど消えたおろくが、竹の皮包みに握り飯と香の物、楊枝で拾える焼き物をいくつか、益田に手渡しに来た。

「お茶はこちらに、置きますよう」
おろくは竹の水筒を示すと、また去ってしまう。

どうでも二人にする気だな。次郎吉は、目をつぶった。南無三。


「あのね、若様」
「なんだ」
「おいら、若様とふたりっきりになると、いいにおいで、困っちまうんでやんすよ」
「困るのか」
「話相手なんておっしゃるが、ぽーっとしちまって、話、左の耳から右の耳ぃ……」
「それは、困るのう」

「へい」

気まずい沈黙には、ひたすらにたき火を見つめるしかない。
ここに、たき火があってくれて、本当によかった!としか、言いようがない。


「さきほど、銀杏の殻を手分けしてくれたの」
「ありゃあ、造作もねえこって」

「どうやら石合戦の折の話を出してくれたので、手掛かりになりそうなのだが、今日も手紙やら書付やら持って何人も私のところへ来てしまったとき、同じことになった」

「おひとりで何人か迎え打つ場に放り込まれたとき、若様はもしかすると、棒立ちになっておしめえのようで」


益田はだまりこんだ。

ぱちぱち、火のはぜる音だけが、していた。
ゆらめくたき火を、ふたりは、じっとみていた。
姿は一緒になにかをしているようであっても、それぞれ、頭の中は全く別の修羅場。

「よってたかって、というやられかたは、……たまらぬな」

それを言っていいのか、わるいのか、わからぬ途方に暮れ方で、やっと益田はつぶやいた。

次郎吉は、手にした木の枝で、火のほうへ落ち葉をさらに盛った。

「そりゃあ、いけませんや。お強いと余計に、奸賊どもぁ、計略でもってつぶしに来るもんでさ」

よいにおいにぽーっとなってしまって、ほぼ、何を言っているのかがわからぬ。次郎吉はつとめて、たき火に話しかけているようにした。

「おいらもあんまし、喧嘩の強いほうではござんせん。もっぱら、やられねえように、こそこそしてるくちでござんすよ」

そうして、言ってみて、世間話をしているような冷たい態度は、いけないのではないか、と思った。

益田はどうやら、よってたかってやられた苦いうえにも苦い、心身ともにふみにじられて折られたがごとき体験を、ようやく悲壮な決意をもって、やっとつぶやいたのではないか。

悲惨すぎてひとごとのように益田と乖離してきこえるからといって、とっさに、世間話のごとき、いなしかたで答えてしまった。
それは、致命的に冷たかったのではないか。

次郎吉はため息を深く深くついて、またもや息を吸い込みぎわに、すうんと益田のよいにおいをかぎなおしてしまってどぎまぎした。

目にいちど見せてしまったら、鼻にいちど何かのにおいをかがせてしまったら、そこから足を抜くのがたいへん。酒もそうだ。ばくちもそうだ。今は、こんなに益田の若様が近くて、

「こりゃあ、まずいや……」

そればっかり。

「あのね、若様」
「なんだ」
「さっきから、おいら、ぽーっとしちまって、お話相手がつとまってませんぜ」
「ちゃんと、話してくれておるではないか」

「いえね、さっき、なまじお強いだの、おいらも喧嘩が強くねえだの、そんな世間話みてえなお答えのすっとぼけようをして。
違うじゃねえかい。もっと、ぼけてねえお返事をしなきゃ、男がすたるぜ、と」

「どう、違う」

「もっともっと、ええと。若様はさっき、生きるか死ぬかのひでえ袋叩きに会いなすったということを、やっとのことで、おいらに打ち明けなすったんじゃねえかと。ひでえ目すぎてお苦しいんで、やっと他人事のようにお言いやったことを、他人事に聞こえたんで世間話で返しやすよ、という、おいら人として冷てえ冷てえ、踏ん込んでねえ聞き逃しをしなかったかい、っていうか。ああ、うまく言えねえ!」

「……うん……そうか……」

益田はまた少しだまった。

こんどは、うっかりしたひとごとのような冷たい返事への次郎吉の慚愧の念に対し、まるで折れた骨に添え木をあてるように言をのべてくれた。

「次郎さんはそれで、さきほどのやりとりが、するんと井戸端で話を流すような受け答えでは、いかぬ、と思ったわけか。もう少し、つっこんで返事をしてやらねば、いかぬ、と」

「そう、そうでさあ。
おいらの答え方は、長屋の井戸端で、おばちゃんたちがやる、あれみてえなどうしようもねえときの、話の流し方だったように思うんでさあ。

やれ、うちの亭主がのんだくれでねえ。うちもほら、ばくちですっからかんの上に昨日は面ぁ張られてこんな顔。そんなこともあるよねえ。あんたらは働いてる分いいよ、うちは六年病気で寝たきりだよ。

~ってえ、どうにも救いようのねえ家々のいざこざだのやるせなさだのが、つるっつる不幸自慢みてえに子供の手遊びのせっせっせーのよいよいよいをやって回してるみてえな回り方で、人の話もきかねえで、自分ちのもどうにもしねえ、あれですよあれ」


益田は少し黙ってから、意見を述べた。
「話せているだけ、よいのではないかの。話がつもりにつもっていき、やがて、何とかならないのかねえ、と皆で言い出すことができるからの」


次郎吉は、うっ、と詰まった。それでは気が収まらない自分に、やっと気づいたのだ。

「そんな、塩と大豆が一年かけてじっくりみそになりゃあがるのを、待ってるみてえなやりようは、今のおいらは、もう嫌なんですよう。
おいらこうみえて、仕事の目鼻がつくかつかねえかには、腕も根気もねえくせに、せっかちなんでえ。若様が、二月か三月話の相手を、って言ってなさるからには、目から鼻へ抜けるようなお話相手をしてさしあげなくっちゃあ。


おいら、あの井戸端のおばちゃんたちのあきらめが、自分の身にも、染みついちまっててよ。ありゃあ、おばちゃんたちだから、しょうがねえですましてもらえるんでさあ。庄之助若旦那のこともどうしようもねえ、熊公のこともどうしようもねえ、で深酒とばくちじゃあ、男がすたるってやつですよう。若様は徒手に勇気一つで、おいらがどうしようもねえことをどうしようもしちまうおかただ。その若様が古傷に手ぇやいてなさるってのに、お助け申せねえでひとごとみてえな話をしてちゃあ、おいら恩知らずの人でなし……」

まったく何を言っているのか自分で把握できなくなった次郎吉の鼻を、こげくさいうえにも焦げ臭いにおいがくすぐった。

「ああ、いけねえ、そろそろ出さねえと、ぎんなんが、焦げちまわあ」

「火から出さぬといかぬか」
「そろそろ。ああいえ、若様は、見てておくんなさい……ええ、おいらが言いてえのは、若様はちゃんとしたご家来がお仕えしてお守り申し上げねえと、ほら、おかみさんが、よってたかって謀反人どもに騙られて、祭り上げられて殺されちまわあってご心配なすってたじゃあ、ありませんか」
「うん」

「おいらみてえな半ちくもんをおそばに置きなさるんじゃなくてね、ちゃんとした腕っぷしご見識の、お武家のご家来が、ご進講申し上げたりお守り申し上げたりしねえと、さっきみてえに宿屋の女将がきゃんつくご無礼を申し上げたり、その、よってたかってのめす阿呆どもがいたり、ええ、えっと……」

銀杏はところどころ焼死体のようになっていたが、ほぼ、よい具合に炒れていた。二つ三つを懐の手ぬぐいに拾って、ひびから殻をむいて、「おあがんなせえ」と、益田のほうへ差し出す。

「あっついですぜ」
「うん」

墨汁で汚れたままの白い指、雑巾がけだの庭はきだのを買って出るのみならず、脇差稽古をするので傷の多い節のあるようすに変わってしまっている益田の若様の指。

……が、熱くてさわれぬようだ。

「その弁当包みの、塩ゥちょくっと、つけさしておくんない」
「うん」
益田は竹の皮の、端のほうを次郎吉に向けて差し出す。
次郎吉は竹の水筒の茶でもって、煤と庭仕事で汚れた指をしめして手ぬぐいで拭いてきれいにし、銀杏の実の熱いのをつまんで塩を少しばかりまぶした。

「おいらみてえな、小者の盗人じゃあ、若様のお心が痛ぇとき、なんとかしてさしあげられねえじゃあござんせんか。お助け申し上げなきゃあ、男がすたるってぇ時に、おいらみてえな虫けら同然の町もんじゃあ、若様のこと……」

「甲賀から狐以下、つわものどもが参じてくれておる」
「あのね、若様。すっぱ、らっぱと、お武家さまってのは、ううーん。やつらぁ、やっぱし一人二人じゃ、ねえのかい」
「私にも人数(にんず)のわからぬように、増えたり減ったりしておる」

「なんてこったい。そいつぁお守り申し上げてるってよりは、ことによったら、若様がお邪魔になるときゃ、寝首を掻きやすぜ……」
声をひそめながら、次郎吉は思った。南無三、このひっそりした会話もつつぬけだ。

次郎吉が指でつまんで塩をつけた銀杏が、食べごろまで冷めた。
ええい、ままよ!

「冷めねえうち、おあがんなせぇ」
まるで小鳥に餌をついばませるように、翡翠色のぎんなんを、益田の唇近くへもっていく。
恥ずかしげに益田は、その指から銀杏をもらった。

「小苦くて、もちもちとしておる」
「五つ六つまでにしておきなせえよ」言いつつ、次郎吉はがさがさと紙に銀杏を集めた。殻が熱いうちに、実を出しておかないと……

「おいら、こいつを剥いてしまいやすから、お座敷ぃおあがりんなって、弁当、使っちまっておくんない」

「すまぬ」

はあ、銀杏ついばんでくだされる若様ってえ、こちとら、めろめろだい……と、ぶるっと身震いをして酔いのさめた心地の次郎吉、いくつか殻に指をはさまれながら、取っては剥き、取っては剥き。

「ええとね、若様。おいらがさっき、言いかけたのはですね。おいらじゃあ御用に間に合わねえでしょうが」

「次郎さんに二月(ふたつき)、三月(みつき)を請うたのは私だ。たとい痛い目を見たとて、次郎さんの咎ではない」

益田はそう言って、すっかり冷めた握り飯を小さく割って口に運んだ。

「ええ、若様、若様がお幸せに笑ってお暮しになれねえようじゃ、おいらは嫌なんでござんすよ」
手のよごれたきりの若様に、濡れ手ぬぐいをもっていって、「おかみさんが世話やいてくれねえと、いろいろ、不都合でござんすよ」と言いつつ、次郎吉はいちど握り飯を置かせて、益田の手を取って拭いた。

「白魚のような手、っていいやすぜ。武芸とそうじは脇へおきなすって、花をつんだり、歌を歌ったり、どうかどうか、こぼれるような笑顔を周りの者に振りまいて、お暮しくだせえ」

「であるから、気がかりが晴れるまでは、困窮するものに何かしてやれる方策がたつまでは、笑顔で暮らせぬから、次郎さんに、話の仕分けを手伝うてくれと言うておるではないか」

「ああ、おいらで間に合うとも思えねえ」

「ぬしがなんと言ってよいやらわからぬ気分でいるときは、さっきのように、私が言葉をつけてやれるから、それで間に合う!」

意外に強い語気になって、益田は自分で驚いたような顔をした。

「なんだか、言葉がはねた、すまぬ。それでの、家柄のそこそこな武家の若侍では、ぬしと違ってちょっとしたささくれどころについての勘が働かぬのだ。鈍いのが話し相手では、私は途方に暮れるばかりでの」

「ああ、ええと……おいらは、忍び込んだお屋敷の引き出しのようすが、どっちへ進めば奥向きかがわかりやして、お女中が大事なもんを入れていなさる引き出しがどのへんか、部屋のつくりだけでなくって、においだの風情だのでわかりやして……ええ……」

「それだ!」
益田、握り飯をもっていないほうの手で、はたと膝をたたいた。

「私もなぜに次郎さんでなければならぬのかが言葉になっておらなんだが、そうだ、次郎さんなら、ここらになにかある、という勘がきちんと働くのだ。
狐も勘働きは武家とは違うので、ぬし同様にあたりがつくものの、いかんせん人の心を持たぬように生き死にの際で育てられすぎて、困窮しているものがばたばたと死んでいくことの、それのどこがいかぬ、と言いきれてしまうので、話を続けていかれぬのだ。

ぬしならば、それを見殺しにしては男がすたる、だがどうしようもねえ、との一言をいってくれるので、そこはどうにかしようがある、と私が話をつなげることができる。そこなのだ」

「んもう、盗人ふぜいに無理いわねえでくだせえよう。そりゃあ適々の緒方洪庵先生のお弟子あたりのお仕事だい」

「益田の家が表向き絶えてなければならぬから、日のあたるところから秀才を請うてこれぬのだ。十両だって二十両だって、ばくちでなければ、金は用立てて進ぜるから」

「あああ、おいらは本当に、くずのごろつきだい……金に転ぶことにしまさあ」

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!