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子の刻参上! 二.くものいづこに(一)

湯治宿、といえば、熱海。権現様(家康)お気に入りの宿場町、熱海。魚がうまく、酒がうまく、昼日中から湯上りに一杯ひっかけてごろ寝のできる極楽、熱海。

とある宿屋で、連日芸妓をあげて、どんちゃんどんちゃん、ばか騒ぎをしている、足の短い、えらの張ったひげ面の男。

ご存じ鼠小僧次郎吉に、飲み友達とてなついていって、一の子分を名乗った挙句、三年お留め置きの庄之助若旦那を放免させるべく、番屋へ名乗って出てしまった、あの須走(すばしり)の熊公であった。

「見殺しにしちゃあ男がすたる、とはいえ、助け出す方法もねえ」
と、頭をかかえて深酒の次郎吉に、天下の大番屋破りをもちかけたひとりのうつくしい女若衆、益田時典……じつは天草四郎の妹ひ孫。というのが前回のおはなし。

お待たせいたしました続きの講釈、とざい東西―――


たったったった、と軽い足音が廊下を進み、

「おい、熊ッ! このばかやろう!」
ご存じ鼠小僧次郎吉、まだ父親(てておや)に勘当くらったばっかりの、二十五、六の若くて小柄なすばしこい男。
からっと障子をあけはなちながら、

(毎回、おいらは熊におんなじように怒鳴ってねえか)

と、心のなかで自分に問うていた。

「げげっ!!兄い!!」
盃の酒をびゃっとこぼしながら、熊公が驚いて叫ぶ。

「げげっじゃねえよ、このすっとこどっこい! てめえは、この口はーー! あれほど余計な事べらべらべらべらしゃべんじゃねえっつっといただろうが!! あることねえこと話しやがってこの野郎! おめえのせいでこんな瓦版が出回ってらあ! 見やあがれ!」

「兄貴い、おいら、字、よめねえ。読んでくれねぇか」

あ、と次郎吉は声を落とした。「そりゃあ、おいらも読めねえが、鼠小僧がもうなんだか、片腕で持てるわけのねぇ千両箱かかえて、お大名屋敷の瓦屋根へ、忍術使いみてぇに飛んであがる、なんてことになっていやがらあ。あれほど釘さしておいたのに。おめえせっかく娑婆に出られた庄之助若旦那を、またまたご詮議にしょっ引かせる気かよ」

次郎吉は、なぜか屋根瓦の垣根の上で千両箱かかえて大見得を切っている義賊鼠小僧の図、をでかでかと刷り上げた瓦版を、須走の熊公の鼻先へつきつけた。

「その口二度と開けねえようにしてやろうか、なんてこわもての脅しなんぞできねえおいらを、舐めてかかってんじゃあねえぞ、熊。おいらぁ、庄之助若旦那にも、お前にも、二度とご詮議にかかってもらっちゃあイヤなんだ。現にお前のこの、丸太ん棒みてえな足の膝、石ぃ抱かされて折り曲げられやあしねえじゃねえかよ。今度はどうなるよ、え?」

そうして次郎吉、宴席につらなってた飯盛り、三味線ひき、芸妓、太鼓持ち、ありとあらゆる、お相伴にあずかっているやつらの前で、がばっと畳にあたまをすりつけた。

「ご合席の皆様にお頼みしやす、このばかがあれこれ、あることねえこと吹きましたハナシ、どうかご内聞にしておくんなせえ。この阿呆がもう一度お縄になったらば、おいら、手の出しようがござんせん。知恵の足りねえこいつぁ、自分が黙って話を墓場まで持って行かなきゃあ、体はこわしたが普通の暮らしにやっと戻れた、とあるお人に、またまた迷惑がかかる、ってことに思いが及びません。この通り、後生でござんす」

こう、深々と頭を下げた。

「にいさん、いい男だねえ、お手をお上げなさいよ。ええ、ええ、黙っておりますとも、ねえみんな」
あーい、と一同、よい返事。

(ああ、絶対、だまっちゃいないな)と次郎吉は、あきらめの笑いを浮かべた。
「さあさあ、兄さん、かけつけ三杯」

出された盃、干すのが礼儀とばかり、次郎吉は受け取ってしまう。なに、実のところは、きゅっと辛口をひっかけたいだけ。

「あらーあ、兄さん、いい飲みっぷり!あら、私、わかっちゃった。兄さんが今をときめく、鼠小僧次郎吉さんでござんしょ?」

「勘弁してくれ、その名は岩見のねずみとり、とくらぁ。うめえなあ、おい。のどと腹に、きゅうっとしみらあ!」

……

みいらとりが、みいら。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!