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子の刻参上! 一.あけがらす(五)

大番屋がほど近くなった時、次郎吉は
「変だぜ」
と、狐に向かって小声を発した。

ざわついている。中が騒がしい!

「いいのだ」狐は答えた。そして付け加えた。「頃よし、入るぞ」

二人は小走りに近い足どりで、中で騒ぎの起こっているらしい大番屋にたどりついた。

からりと大番屋の障子戸を開けると……


「う」
鼻のよい次郎吉、思わず武家頭巾の上から鼻口をおさえる。なん十人という詮議前のものどもが、着のみ着のまま、汗も厠もどうにもならぬような状態で、留め置かれているこの一晩。

たまらぬ。


その上の騒がしさだ。

「早く、鍵をよこしゃあがれ!!」
と、口々に押し込められた荒くれどもが、一人の丁稚小僧に罵声を浴びせているらしい。
そうして、罵声を浴びている当の本人はといえば…

まだ、奉公に上がりたてにもみえるような、年のいかぬ丁稚であった。
すっかりちぢみあがって、べたりと床に尻もちをついたまま、べそをかいて動けやしない様子。

「おぅっ!畜生!見つかっちめえやがった!!」

丁稚にわめきたてていた奴らは、狐と次郎吉がふんした侍と用人に色めき立った。

が、町方でも捕り手でもない、無関係のどこかの家中の武家だということは、荒くれどもにも何となくわかったらしい。

「お、お武家さま、お情けでござんす、牢番が眠りこんでおりやす間に、ちょいとばかりこっちへ、そいつめの体を、ちょいとばかり、倒してやっておくんなせぇまし!」

懇願される。もみ手してふしおがみ、頼まれている妙なことがら。

牢内のひとりが、どうやら外の火かき棒を手にしたらしかった。
その火かき棒を持った手を伸ばしに伸ばして、鍵たばとの絶望的な隔たりを、先に小僧に、今度は狐と次郎吉に、詰めてくれと言っているのだ。

「一体、何があったのだ」
狐は予想もしなかったことに巻き込まれたどこぞの家中のものといった体で、けげんそうな声を出す。どこからどう見ても、別用あって来たところ巻き込まれた人物にしかみえない。ことがのみ込めないまま、脱獄とまでは行かないが大番屋留め置きを破る手伝いをさせられてはたまらぬ、と警戒しきり。

(天下の大番屋やぶり…を、しに来たんじゃあ、なくてかい?おいらたちゃ)
次郎吉、ちっとも動かぬ狐を見ながら、それでも手はずをたがえず、偉いお武家のふりをして立ち尽くす。


「へえ、その小僧が持ってきた振舞酒で、すてんと寝っちまいやがったのでごぜぇやす!お情けでございます!どうかお情けでごぜぇやす!」

「みどもはこなたへは」狐が少しばかり杓子定規な声を張り上げた所へ、荒くれどもの押し込められた一角とは別の場所から、

「青木さまっ!青木さまっ!拙者らはここでございます!まことに面目なきことにて」

三人ほど、本来伸びようのない月代がぼやぼやとしはじめた侍が、牢のすきまから片頬押しつけて叫びはじめる。

「あっ!これ!名を呼ぶでない!!」狐はうろたえて、侍どもを叱責しにかかる。

そこへ…

次郎吉も生まれて初めて見たのだが、本当に本式の、忍び装束の賊がひとり、眠りこんだ牢番の近くに天井の梁から飛びおりた。

「うぉっ!!!」

呼んではならない家中の用人の名を青木さまと呼んでしまった侍どもも、荒くれどもも、その他捕まっているありとあらゆる者どもが、まるで吠え声のように叫んだ。

次郎吉は
(あ、さっき着替えを手伝ってた二人目だぁ)
と、そいつの素性をなんとなしに当てた。

忍びは恐ろしい早業で、鍵束のたばねを切り壊したかと思うと、まるでそれぞれの牢にしるしでもついているかのように、ごつい錠前にそれぞれピタリと合う鍵を、およそ十ほど投げ渡した。

「うわぁぁっ!!!」

戦のどよめきもかくやとばかり、鍵を投げられた牢の中の者たちが、おめいてガチャガチャと自分たちの留め置きの錠をはずしにかかる。
内側でもみくちゃになるばかりで開かないところも、あれよあれよという間に中からもんどりうって出てくる一角も、まるで蜂の巣をつついたような大騒ぎ。

忍びは手持ちの鍵で女どもの入った押し込めを開け放ってやった。きゃーきゃーと折り重なるように、
出てくるわ出てくるわ。

忍びは騒ぎを大きくするだけ大きくしたうえで、

「さぁ、」

と、顔も知らぬ町ものが、痛めつけられて足のたたぬ須走の熊公をかかえるようにして消えたのを見届けた。

「まいりましょう」
狐に声をかけられて、青木と呼ばれた武家頭巾の次郎吉は、きびすを返して立ち去った。

牢番は、まだ眠りこけたままだ。
(一服、盛られた、てぇことかい…)

場を去りながら、次郎吉は、わけのわからぬ錯綜のかもしだす居心地の悪さを、じくじくと味わっていた。

最後にみた光景は、忍び装束のあの影が、留め置きの記録と詮議の記録を、片端から火にくべている姿だった。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!