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徒歩3分の距離に住んでいたときよりも、もっと近い距離にいる感じがする。

タイトルに書いたのは、(愛する先輩)須藤さんのこと。

写真は須藤さんとわたしです。説明はのちほど。


今日で須藤さんとのコーチングセッションが一旦終了。
6回継続プランを今年の5月か6月頃から始めて、今日が最終回。今日のことを忘れないように、と思って、ここに書くことにした。

noteを二日前の夜に突如始めたんだけど、昨日も今日も書きたいことが、毎日の中にはいっぱいあることに気づいた。カラーバス効果だったか、合っているか分かっていないが、そういうやつな気がしている。

須藤さんとは、会社の先輩後輩という関係。須藤さんが転職するまでは、最寄り駅が一緒で、お互いの家の距離は徒歩3分。江戸川が近くて、トップの写真は、一緒に江戸川花火を見た、3年前の2017年夏。
須藤さんに誘われれば、ホイホイ、夜中に散歩だってしたし、須藤さんが風邪を引いたときには、ホイホイ、バナナを持って行きもした。何か語弊がありそうだけど、そんな関係だった。

そっからのことを書き始めると、3日くらいかかりそうなので、超簡単に。

須藤さんは、わたしが社会人三年目の春頃、人材系のベンチャーに転職。しばらく経ってから、「コーチング」なるものを始めた。お声がけいただき、わたしはその練習台になった。というか、ならせていただいた!「尊敬する須藤さん」「憧れの須藤さん」のお願いなのだから喜んで、ホイホイ、コーチングを受け始めた。

そしてしばらくして、本格的に、わたしは須藤さんの「クライアント」となった。


というわけで。


今日は最後のセッション。


セッションの内容を憶えている限りぜんぶ書き留めようと思ったけれど、それはなんとなくなぜか憚れるため(恥ずかしいとかじゃない)、須藤さんから最後にもらった言葉と、セッションを受けての自分の気持ちを書き留めたい。その二つだけは忘れたくないので。


ゆっくり、いそげ

冒頭にも書いたが、須藤さんとわたしは、わたしが会社に入ってからだから4年弱の知り合い、ということになる。先輩後輩の関わりから、コーチとクライアントという関わり、すべてを含めて、「宮武の進みかたは、『ゆっくり、いそげ』の思想に似ている気がする」そう言ってくれた。

わたしは、その書籍をきちんと読んだことがない。けれどたぶん、目の前のこととちゃんとまじめに向き合って、積み重ねて、着実に理想とするものを現実にしていく、みたいな意味だと思う。

早く理想の場所に行きたくて、むずむずして、でもそういうときには、須藤さんと一緒に、足踏みして目の前に向き合うことができたんじゃないかと思う。ありがとうございます。これまでたくさんの出来事があって、ぜんぶ「いい」「わるい」のどちらかではなく、ぜんぶがフラット。それらがわたしの今を作っている。


ターニングポイントになった場所は「俯瞰して自分を見ることができたとき」「視点が増えたとき」であり、「自分を受容することで、それが自信になっている」須藤さんがこれまでのセッションを通して感じたことを伝えてくれた。

ああ、めっちゃあるなそれ。これまで、さっと通りすぎていた感情に目を戻して向き合ったとき、めっちゃ気づきがあった。泣いたこともあった。悲しいんじゃなくて、すっきりして泣いた。須藤さんの前で何回泣いたか分からん。


生かす、生かさない

わたしは30歳まで大殺界にいる。ひと昔前に流行った、細木数子の占星術とかなんとか。(わたしの中で占い好きの部類に入る(失礼でスミマセン))須藤さんに最後、「大殺界ですが、大丈夫でしょうか」と馬鹿なことを聞いてみた。

『信じる、信じない』じゃなくて『生かす、生かさない』だと思う」

ハッとした。(わたしの記憶では占いがめっちゃ好きだった)須藤さんが、答えに迷うことなく言った。「わたしも、前までは占いを信じていたけれど、今は背中を押してもらいたいときとかに見るようにしてるかな」。結局は自分が自分の人生を生きることが大事。占いなんかに振り回されてたまるか。

といいつつこの考えかたがずっとできるかは分からないけれど。

でも「大殺界」が、結構、どうでもよくなった。

そして「大殺界」は、花を咲かせるために種をまく時期。らしい。「種をまく場所も大事だと思うよ。どんな土がある場所で育つのか」だからわたしは、種をまく場所を、自分で、選んでいきたいと思う。


生かし、信じる

「これからは直感を生かし、信じていい段階にあると思うよ」。自信を持って、直感を信じよう。もっと自分にワガママに生きていこう。ありがとう、須藤さん。ありがとう、自分。

今、須藤さんは東京、わたしは大阪。徒歩3分の距離だった頃から500倍(くらい)離れている。はず。オンラインでコーチングしてもらってた。だけど、なんかすごい近くて心強い存在だった。(一方的だったらスミマセン)
というか、心地のよい、心の距離感だった。のかもしれない。


おわり。


はあ~~~なんかスッキリしたあああ。


今度はもうちょっと落ち着いて推敲を重ねた文章を書きたい。笑





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