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その日の楽しみで生きていた。

今日で原爆投下から78年。
8/6と8/9。

今日も僕は生きている。
未来を見て生きられている。

毎年、高校の頃の修学旅行でみたものを思い出す。

高校2年生の秋、
修学旅行で長崎の原爆資料館へ行った。

修学旅行は楽しい記憶でいっぱいで、
友だちとおいしいものを食べ、すてきなものを見て、
たくさん笑いあった青春が詰まった時間だった。


でも、この資料館での時間だけは僕にとって、
独りで向き合った時間だったと思う。


強く印象に残っているものがある。
『女子学生の弁当箱』という展示物だった。


ガラスのショーケースの中にアルミ製の弁当箱。
容れものの内側に「二ノ三ツツミサトコ」の文字。

弁当箱の中の米飯は炭化している、
業火を示す黒焦げの弁当箱だった。


はじめは友だちと周り始めた館内だったが、
この展示物の前で僕が数分間も立ち止まって、
流している涙を見て友だちは先に行ってくれた。



このお弁当箱をみるととても胸が苦しくなる。

長崎の原爆投下は、
昭和20年8月9日。時刻は午前11時2分だった。


僕は、自分がいつも過ごす11時2分を想像した。

3時間目の授業あたりの時間だろうか。

だんだんとお腹も空いてきて、
鳴りそうになるそれを我慢しながら座っている自分。

あと少し耐えればお昼ごはんが待っている。
そう思ってがんばる。




そして、この長崎のお弁当箱の中身は黒焦げだった。

食べることのなかったお弁当。



戦時中、
彼ら/彼女らにとってお昼ごはんのお弁当はどれほどの楽しみだったのだろうか。

幸せのひとつであり、
それは命そのものだったと思う。



彼ら/彼女らにとって11時2分。
何を思って座っていたのだろう。

お昼ごはんを待ち遠しく思っていたのだろうか。

ようやく家で収穫できたお野菜をお弁当箱に入れることができて楽しみにしていたのだろうか。

友だちとの他愛もない会話を楽しみにしていたのだろうか。

笑った顔が見たいと思ってお母さんが詰めたのだろうか。

そんな少し先の未来への、
ささやかな楽しみ、希望がこのとき一瞬にして消し去られた。

それをこの黒焦げのお弁当箱が示していた。



僕らが生きていられる、生きようと思えるのはきっと、
毎日の中にあるほんの少しの喜びや、楽しみ、
いつか来る未来への希望、約束、願いをにぎっていられるから。


今日…をするんだ。
今日…を食べられるから。
今日あの人に会えるから。


いつか、、笑って過ごせる日がくるから。


どんなに小さなことでも、僕らはそんな未来を握りしめて、抱きしめて、今日も大切に生きている。


当時あなたたちが抱きしめてたであろう、
そんな尊い想いを感じとると、強く心が締めつけられる。

いかに戦争が残酷なものか、
殺戮が恐ろしいものだったか。



命に宿る希望を奪い去ることのない、
そんな世界を心の底から祈ります。


そして、僕らのこの未来への祈りそのものが失われることのない、忘れられることのない、
そんな日々を自分たちでつくっていこう。

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