彼にとっての設計図
彼は昼に起きてそこから、
やらなきゃいけないことが山ほどとあるけど、
今日もギターばっかりやってしまっていた。
彼はどうしても届けたいと思ったから。
でも今日は納得のいくものができなかったらしい。
結局何も生まれずにおわった。
きっとその日、
惰性で浸かった湯船で自分に言い聞かせていただろう。
お前はミュージシャンでもないのに。
でもギターを抱えて歌うことは彼なりの、
一種の感情表現だった。
こちらから一方通行で送れる媒体で、
彼が伝えたい感情を代弁してくれそうな歌を見つけて、それを練習して届ける。
彼にとってはそれがシンプルかつ一番簡単な方法だと思っているのだ。
彼にとって歌は便利なのだ。
ここでいう“便利”は軽率な手段だと捉えている、というわけでは全くない。
素晴らしいってこと。
「気持ち」なのに、メロディに乗せるだけで、
気恥しさが和らぐ。
そして他の誰かが口ずさめば、
その人の口から発せられた、その人の言葉になる。
いわばひとつの大きな共通言語みたいなものができる。
そこにどんな気持ちが深く深層に乗せられているかはもちろん人によって違う。
まあ、それは彼らが日常的に使う“言葉”(単語とか、熟語とか)というものそれ自体でも同じことかもしれない。
彼の中では何が言いたいかって、
言葉が材料、部品であるなら、
曲、音楽はその材料、部品で組み立てた建物みたいなもの、だということだろう。
大枠のコンセプトはきっと作曲者が決めているのだろうけど、
結局その建物で働く人は、その歌を歌う人の感情。
感情は”建物”という言葉でつくられたものを存分に活用して働く。働き方は感情それぞれ。
現実世界の建物と違うのは、設計図だけ世に出れば、あとはだれでも建てることができるという点。
もちろん彼も自分でそんな歌が作りたいと思って、
歌をつくってみたりする。
今はこの彼の設計図、そしてその建物では彼の感情しか働いていないけど。
だからこそ彼は願っている。
もしも誰か聞いてくれる人がいたとして、
その人の感情が働き場所を探していたら、
是非そのひとも同じ設計図を使って、あなたなりの感情の職場をあげてほしいな。と。
曲は自分よりもずっと長生きするだろう。
死んだあともずっと。
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