紙ひこうき雲
いいところ連れてってあげる。
私のお気に入りの場所なの。
そう得意げにいっていたあなたは、
1年前先に逝った。
・
この街を一望できる、小高い丘。
その丘の上に、さらに塔みたいな高さの場所。
大きい筋斗雲の形をしたオブジェが聳えたっている。
ジグザグと階段を登った先は本当に空が開けていた。
夏の終わり。夕暮れどき。
ひぐらしの鳴くこえが一定の間隔できこえる。
暑さを運び去ってくれるような心地よい風。
雲は思ったより早く右から左へ流れていく。
夏を象徴するような大きな空の恐竜たち。
足並みを合わせて夏の大群が大移動しているようで愛おしく思えた。
暫くの間、その場所で街を見下ろしながら、
あなたと渡った遠い国たちに想いを馳せた。
どこへ行ってもこんな場所を無意識に探しながら2人は旅をしていたな、と。
ひぐらしの声がカラスと重なったとき、
ふと靴に何かがあたる感覚がした。
紙だ。紙ひこうきだった。
ここにきた時にはそんなもの見ただろうかと記憶を辿ったが、直ぐにそんなものなかったと思い、自分がいま幻を見ていることに気づく。
紙ひこうきは一つだけじゃなかった。
小高い丘のこの雲の上、二機、三機と至るところに散らばっていたのだ。
そのうちのひとつを拾った。
広げてみるとその紙に見覚えがあった。
これはぼくの文字だ。
万年筆のインクの滲んだ角ばった字。
あなた宛ての手紙だ。
もうひとつ拾った。
広げてみるとその紙に見覚えがあった。
これはあなたの字だ。
細く流れるように滑らかに書かれた字。
僕宛ての手紙だ。
大きく目を見開いた。
しばらく硬直したままで、頭が真っ白になった。
ひと呼吸おいて、眼球をゆっくりと動かす。
気づくとそこには数え切れないほどたくさんの紙飛行機が着陸していた。
そのどれもが僕からあなたへの手紙、
あなたから僕への手紙だった。
何十機と、何年分の言葉たちだろうか。
蘇る心の感触。
・
ずっと昔に不思議な夢を見たのを思い出した。
訳もなく、2人で紙飛行機をたくさん投げていた夢。
ひとりじゃ抱えきれない量の紙を抱えて、
この丘の階段を何度も昇り降りした。
誰かに向けて飛ばしている感覚だけあって、
それはぐんぐんと空を進んでいった。
海を越え届くよう願った。
あの夢の記憶が喉の奥から込み上げてくるようで、
気づけばひこうきの文字の上にひとしずくの涙がおちていた。
飛んでいった想いたちはこの星を回って、
今僕のもとへあなたを乗せて戻ったきた。
まるで声が聞こえてくるようで、
鼓動が聞こえてくるようで、文字が揺らいでみえた。
・
濡れた目を乾かすように顔をあげ、
僕らがあの時、言葉を飛ばした空の先へ目を遣ると
日は既に沈んでいた。
雲の切れ間から月明かりがいま目にはいる。
あなたと目が合ったような、そんな気がした。
僕の目はまるでガラス細工のようにその光を揺らしているだろう。
たくさんの記憶にある言葉がそのガラスを透過する。
よかった。ありがとう。
そう笑ってつぶやいてみたら、
思わず泪がどっと溢れた。
悲しみも苦しさも、恐怖も絶望も、
寂しさも儚さも。
その全部を優しく包み込むように、
見つめてくれているようだった。
時折、月明かりに薄い雲がかかり光が弱くなる。
かと思えば風は時に流れ、再び光が届く。
雲は、見えるから安心するんだ。
読めるから諦められるんだ。
待つことができるんだ。
でも、心の存在はそうではなかった。
幸せの存在も、たまに流れる痛みの感覚も。
そう思いながら、
屈んだ姿勢で、震える手に筆を持った。
文字が降りると自然と震えは収まってくる。
あの時と同じように、一文字一文字と心をこめた。
夏も終わり、古の恐竜たちの足跡を追うように、
彼らに置いていかれないように。
・
そしてその夜、人生で最期の紙ひこうきを一機、
遺書として飛ばしました。
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