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【映画】『シン・ウルトラマン』外星人関係、ストーリーの感想

 こちらは映画公開から約3か月後に投稿予定の記事です。記事を書いたのはシン・ウルトラマン公開日です。

追記:
 3か月後に公開予定でしたが、シン・ウルトラマン公式ツイッターが「#シンウルトラ感想戦」というタグでネタバレ感想OKの企画を行なっていたので、本日6/4に公開いたします。


🚨キャラクターの内容に触れる記事なので、映画未視聴の方は注意!



〇怪獣に共通したデザインについて

 シン・ウルトラマンの特報が公開された当時、ネロンガとガボラのデザインに共通項があることが指摘されてましたね。これは初代ウルトラマンで使用していた怪獣の着ぐるみを改造して新たな怪獣として活用していたからです。
 私はそこからシン・ウルトラマンにてネロンガとガボラのデザインに共通項があるのは、『ウルトラマンによって倒されたネロンガを宇宙人がガボラに改造して利用していたからでは?』と推測していました。『ガボラなんてもう体の中心がドリルみたいに回転してるし生き物の範疇超えてるじゃん! 本当に生き物なの?』とか。
 その予想が当たっていたかどうかは映画を見ていただきましょうかw

 シン・ウルトラマンのガボラの手の爪の大きさは、パワードガボラのモチーフも入っているからなのでしょうか。

 そういえばウルトラQや初代ウルトラマンにはゴジラの着ぐるみを流用、改造した怪獣もいましたよね。


〇外星人たち

 まず宇宙人を外国人のように外星人と呼ぶのが良いですね。これは、それぞれの星にも法律(掟)や条約があるからなのでしょうか。

 初代ウルトラマンでは有害な霧を発生させて、人類と友好関係を築くためにそれを消し去るというマッチポンプを行なっていたザラブ星人。口では地球人と良い関係を築けそうな言葉を投げかけていますが…。
 今回登場した例のにせものは、よく見ると目の端の輪郭外がカクカクしているように見えたのは気のせいでしょうか。

 ザラブも良いキャラしてましたね…。戦闘シーンがめちゃくちゃ良かった…。シン・ウルトラマンでザラブが登場した時、初代ウルトラマンが見せたチョップで手を痛める姿を見れるかどうかも楽しみでした。

 次は私がシン・ウルトラマンで特に気に入った外星人第0号メフィラス。

 予告では飄々としているような印象を受けた山本耕史さん演じるメフィラス。やっぱり飄々としていました。
 まさに紳士然という言葉がぴったりの外星人でした。嫌な感じがしない交渉上手なビジネスマンという印象。初代ウルトラマンでは、ちょっとめちゃくちゃではないか? とシュールに感じる場面がありましたが、でも初っ端から力づくじゃないのが彼の良さだと思うんです。

「~~~。好きな言葉です」というセリフ。好きな言葉です。「苦手な言葉です」というセリフも良かった。決して嫌いなわけじゃないということが伝わるセリフですね。
 山本耕史さんが演じるメフィラスがとても良かった…。めちゃくちゃ好き…。メフィラス大好き! 外星人メフィラスのロゴ?がとてもかっこいい! 商品化してほしい!

 ウルトラセブンのちゃぶ台シーンを思わせる居酒屋の流れも大好きです。この居酒屋の場面は、昭和のウルトラシリーズの宇宙人たちのような緩い雰囲気を感じました。シュールで緩く感じるけど気を抜けないこの感じ好き…。
 実相寺監督のカメラワークをリスペクトしているカメラワークもとても良い…。

 私が個人的に思うシン・ウルトラマンでの最も熱かった戦闘描写はメフィラスとの戦いでした。メフィラスがめちゃくちゃ強くてかっこいい。
 彼の技術力も高くて、彼が使うガジェットの独特なデザインがとても好き。そういう装置をそう使うのねぇ! と膝を打ちました。
 というか、あなたもそのシステム使えるの!? という。

 メフィラスといえば、他の宇宙人とも関係があったりするんですよね。しかし腹に一物抱える宇宙人たちが仲良くやるとは到底思えない。と思っていたら、やはりそう来るか! と。
 まあ、そうよね。彼ならそうするよね! という。

 やはり宇宙人(外星人)の価値観が独特で、そういうものだからそうなのだという感じが実にコミュニケーションは取れるけど、やはりずれてしまうこの感じがたまらなく好きです。

 ザラブが第2号と自称しメフィラスが第0号と自称していることから、ザラブはメフィラスに関することを知らなかった(例えメフィラスという宇宙人が宇宙のどこかに存在することを知ってはいても、彼の計画そのものは知らなかった)のではと推測できますよね。だから、彼らは互いにコンタクトを取っていなかった可能性があります。
 とはいえ、メフィラスが言葉巧みに協力関係にこぎつけたという説もたてることはできますが…。しかし、この考え方は違うかも…?


 メフィラスがウルトラマンを認知したのは、いつだったのか…。メフィラスの技術や「厄介者が来た」というセリフ。ここから、実は前々から認知していた可能性もありますよね。
 しかし、逆にイレギュラーが現れたから色々調べたとすると、技術を再現するメフィラスの科学力のすごさが覗えます。この辺はどうなんでしょう。もともとその系統(似たような)技術を持っていて、アピールのために同じ名前を付けたような感じなのでしょうか。名前が全然違うけど、例えるならiPhoneとAndroidみたいな関係性?
 地球人が例のシステムのエネルギー量などを解き明かせるとすると、外星人にとっては朝飯前の可能性もある?

 会話の中にヒントがあったのかもしれませんが、情報量が多めだったこととうろ覚えなのでBDソフトが発売されたら見返したいですね。

 また禍威獣という存在も、実は意外と謎が多い存在であることも明かされましたね。災害という存在の比喩も含まれてるのかな。
 しかし、特定の禍威獣だけは誰かが意図的に送り込んでいた可能性もある? 一部の禍威獣だけは、例の外星人が送り込んだんじゃないかと思いました。


外星人第0号メフィラスのヤバさ|白髪好きのタコス|note
※6/23投稿:メフィラスの印象に関する補完感想文


〇シン・ウルトラマンのウルトラマン

 今回私が気になっていたのは、どういう理由でウルトラマンと呼ばれることになる宇宙人が地球に訪れたのかということ。また、どういった経緯で地球人がウルトラマンという存在になるのか。
 そして人間の姿は、一心同体型なのか擬態型なのか。
 ウルトラマンの弱点は、どう表現するのか。

 変身する経緯はウルトラマンが地球に降り立った時にだいたい察しました。

 弱点はそうやって表すのか! と驚きました。

 初期のシン・ウルトラマンの動きは、鏡のような銀ピカな姿も相まってすごく不気味さがありました。異物感というか異星人感が強くて、本当に生き物なのだろうかという。

 逆にその”異生物”感の影響で、私が好きな従来の特撮の泥臭い戦闘という感じがあまり目立たなくなってしまったのが少し残念でした。
 ただウルトラマンシリーズでおなじみの、頭を振って敵の攻撃を避けるシーンが見れたのはとても良かったです。

 そんな彼が地球で過ごすことによって色々な経験を経て、だいぶ生き物っぽい動きになっていくんですよね。それも相まって、シン・ウルトラマンのウルトラマンという存在がとても好きになりました。


〇ありそうでなかったまさかのネタ拾い

 正直、初代マン(※)最終回でゾフィーが助けにくるという没案を採用してくると予想していました(しかし、これだと最終回での『ウルトラマンの手に頼らず地球人自身の手で平和をつかみ取るものだ』というテーマが描きづらくなる、とも考えていた)。
 しかし、それがひっくり返った大どんでん返しでめちゃくちゃ驚きながらも大興奮しました。そっちを拾うの!? とw
 だからこそ絶望感がやばいことw

 予想外の展開を迎えたネタ元の話を知ってはいたのですが、ここでそうする!? とw これに関しては予想外すぎて驚きましたねw
 さらに、その前の外星人戦でのカメオ出演的な一瞬の登場も、初代マン最終回で採用されなかった没案(助けにくる方)を採用したのだろうか、とも思いました。
 まあ、実際は助けに来たのではなく…。

 金と黒のデザインも良い…。成田亨さんのあの美しいアートをこういう形で採用するとは…。後年の成田亨さんのこのデザインが見れてとても良かった…。
 この姿も見たかったので、どうにかして組み込まれるのでは…? とグリッター化という形でやるのかななんてフワッと思っていましたが。 しかし、ある種では金と黒というのもグリッター化の原案ともいえるのではないでしょうか。

 ウルトラマンという作品が長く続き、様々なシリーズがで続けたからこそ、そして庵野監督のシン・作品だからこそ今まで回収できなかった構想を回収できたのか! とめちゃくちゃ驚きました。
 めっちゃええやん…ってなりました。

 それと今までありそうでなかった本名呼びも驚きましたね。おそらく本名は、触れたくても触れられなかったのかあえて触れずにいたという感じなのでしょうが、まさかここでこう来るとは…。

 なんというか、光の星はコスモスの宇宙正義に近い考え方を持っているのかもしれません。
 最終決戦~倒した直後はダイナを思い出しました。

 最終決戦後の会話を聞いた感じ、この世界のウルトラマンは…。そしてエンドクレジット前の描写、彼の記憶はどうなったのか…とか考察が捗りますね。
 もう引きが良い。そこで終わるのか〜! あの後どうなったのか、ラストの彼はいったいどちらなのか、とか色々気になりますね。

 またコーヒーを持ってこなかったシーンと初代マンの最終回のある場面に相当する〇〇を持ってこなかった場面は繋がっているとも考えられます。
 光の星の存在は個々として存在しているがために、個人と他者、バディや群れといった繋がりなどの価値観が違う(他人との関係性が薄い?)のかもしれません。だからこそ他人と協調して行動、協力する姿に感銘を受けたのかも。
 後任者の名を初めて知ったのもそれと関係あるのか、単純に初顔合わせだったからなのか…。
 ここから、後にウルトラセブンなどの光の星の存在が地球に訪れ「ウルトラ兄弟」という称号が生まれるのではないか、と考えるとワクワクしますね。

※初代マン:初代ウルトラマンの略称


〇ウルトラQのタイトル場面はあるのか

 そして最後に気になっていたことについて。

 初代ウルトラマンは、ウルトラQのタイトルから始まるんですよね。今回はそれを再現するのかどうかも気になっていました。さすがにシン・ウルトラマン単品なので、そこまではできないんじゃないかとも。

 そしたら、もう驚きましたね。そう来る!?!?!?

 思えば映画始まった初っ端から驚かされっぱなしでした。


 は~~~~~めちゃくちゃこだわってんじゃんすごいじゃん!!!!
 庵野監督ありがとうございます大好き!!!!!


△ここからは不満点!



〇とはいえ全てが良いと感じたかと言うと…

 ただウルトラマンの見せ方、戦闘シーンの全てが良いと感じたかというとそうでもなく…。
 ウルトラマンが起き上がるネックスプリング?の場面で急にCGというか昔の3Dゲームのような挙動になって、まあウルトラマンは飛べるしそういう軌道で起き上がれるのはわかるけども…という違和感がありました。
 あえて作り物っぽく見せたのか、それとも大人の事情なのか。私はあえて違和感のある手作りのような形で表現したのではと思いました。


〇迫力があって大好きだけど、少し戦闘シーンが物足りない

 あと戦闘シーンが物足りなく感じました。これはウルトラシリーズを見続けてきて、意外と長い時間戦えるじゃん!とよくツッコまれてる戦闘時間の長さに慣れてしまったのもあるかと思います。

 全体的にもうちょっと一体の禍威獣や外星人との戦いをじっくり見たかったなというのが本心です。ゼットンの強力描写は良いけど、強すぎて物足りなかった。いやでも、あの負けなしのウルトラマンがあっけなくといいう見せ方も好きだし、メフィラスとの戦闘も良かった。ザラブの戦闘も良かった。ガボラとの戦闘シーンも良かった。ネロンガとの戦闘シーンも良かった。
 個人的にメフィラスとの戦闘場面が一番好きです。なので全体を通してメフィラスとの戦闘場面がメインに据えられてるように感じました。

〇どの禍威獣、外星人がメインだったのか

 どの禍威獣や外星人がメインかという話になると、最終的に「その人が好きなポイントがメインの回になる」んだと思うんですよね。なので、ネロンガがメイン禍威獣だと捕らえても良いし、ガボラがメインだと捕らえても良い。いやザラブこそがメインだと捕らえても良い。

 贔屓がなくどれもメイン(主役)として作られている感じがしました。

 逆に言うと、そこが一つの作品に短編がギュッと詰め込められた形になっているからこそ、一つ一つをもっとじっくり見たかったという気持ちに繋がってしまったのですが…。
 前座、二ツ目、真打といった形で見せてくれたら満足度が高くなってたかも。おそらく禍威獣からの外星人の流れがそれにあたるんでしょう。

 良い感じではあったけど、ちょっと惜しい! というか。メフィラスからのゼットンで消化不良気味だったというか。メフィラス大好きだけど、がっつり戦うのはそこで終わりなんですよね。ゼットン強いし。

 本来ウルトラマンが地球上で戦える時間が短いからこそ、こうなるのも納得ではあります。
 
 物足りなくても、良いと感じた部分に天秤が揺れてる感覚ではあります。

 ストーリーも全体的に、シリアスとユーモアのバランスが取れてないというのもあったかなぁと。なんかムラがあるというか。
 とはいえ、ああいう全体的な雰囲気は好きです。決めるところは決めるし。

〇実は恋愛要素があった?

 映画視聴前の予告を見て思っいたことなのですが、「これって恋愛要素入れてくるのかな」ということでした。長澤まさみさんと斎藤工さんの人間関係にクローズアップされた予告でしたし。
 映画を観た感想としては、この作品自体もそれっぽさがあったんですよね。でも恋愛映画ではなかったというか。

 バディ要素を推してるけど、その要素が薄く感じたようなところもあったなって。
 いつの間にか信頼関係が築かれていたのもそう感じた要因かも? 全体的に人間関係の(打ち解けていく)描写が希薄に感じました。

 外星人との人間関係だからそういう感じでもおかしくはないかな…? と映画を観ていて納得はしたんですが。

 ただバディものも好きなので、もうちょっとバディ感出してほしかったなぁ。まあ、単独行動が得意な主人公だから難しいのもしょうがないけどもw やっぱりこの辺は連続ドラマじゃないと難しいのかな。
 でも地球外の寄生生物と仲良くやってる映画もあるしなぁ…。こっちは、また描き方が違うから比較するものではないけども。

 とまあ色々考えてしまいました。

 全体的に物足りなく感じたのは、そういう人間関係の描写の甘さもあるのかなって思いました。
 基本的に神永新二が事故に遭ってから関わった人間って、禍特対や政府の関係者の他だと命を救った子供だけだし。人間とのかかわり合いが少ないんですよね。

 だから、人間を好きになる要素が薄くないか? と感じました。

 仮に恋愛要素を入れるにしても入れないにしても、もうちょっとやりようはあったんじゃないかなって。私はてっきり冒頭たすけた子供と交流して~という形式で進むのかと思ってました。深く関わらなくても少しくらい関わってくるんじゃないかなって。
 恋愛要素がなくても人間を好きになる描写っていくらでも描けるはずなんですよね。

 まあ、その辺は描かれていないだけで、見えないところで様々なドラマがあったんだろうな。

 映画を観ていて、禍特対というグループの中で様々な経験をしたから人間を好きになったんだろうという解釈に落ち着きました。

 視聴者視点でなぜ人間が好きになったのかわからないという点が、『ウルトラマンが人間を“理解しようしたけど結局わからなかった。でも好きなんだ”』に良くも悪くもかかってくるのが、またこの作品の面白さだと思います。
 ウルトラマンが人間を理解できなかったように、我々もウルトラマンを理解できていない。そこがリンクしておもしろいなって。


〇PCモニターから覗いてるカットで急に画質が悪くなる場面

 シン・ゴジラでも多用されていたこのカメラワーク、カット割りですが私はこういうの大好きです。画質が悪くなるのも何かの演出なのかなと思いました。アナログ感を出したかったのかな?
 ただ低画質が良いものなのかというと、別にそうでもないんじゃないかなとも思いました。

 だってシン・ゴジラの時は、めちゃくちゃきれいにできてたんですもの。


○巨大化された人間のシーン

 このシーンは有名なあのオマージュなので嬉しかったんですが、実写での合成だからか人間とCG?の背景がうまく溶け合ってなくて浮いてるように感じたのが残念でした。
 もしかしたら、その浮いてる(異質な)感じも狙っているのかもしれないとも考えたのですが。


〇おしりぺんぺん描写

 自分のおしりを叩いて喝を入れる場面。これは気の強さとたたき上げの力強さ(男くささ)を見せるための意図的な演出だと思うです。
 ですが、苦手な場面です。執拗なドアップが抑えめだったら、まだ気持ち的にも楽にとらえられてたと思うんですが…。

 ただ、これにもしっかり意味があるというのはわかってて、だからこそ何度も描写されているんだと頭ではわかってます。
 で、このおしりぺんぺんが最後の最後に、相手に喝を入れるという大きな役割を担うんですよね。だからこそ「そうきたか!」って「おお!」と思ったんですよね。おしりぺんぺん描写は苦手だけど、喝を入れる描写のために積み重ねられたんだなって。

 だから、その最後のシーンは好きです。


「そんなにおしりぺんぺんが好きになったか、タコス」


〇不満点のまとめ

 全体的に消化不良気味なのが目立った感じがする。
※個人の感想です



〇禍特対は禍威獣退治の専門家ではない

 禍特対も禍威獣退治の専門家ではなく、禍威獣分析の専門家として描かれていましたね。それぞれが禍威獣に対するプロフェッショナルだからこそ、シン・ゴジラの巨災対のような盛り上がるドラマ的な見せ方をがっつり押し出していないという。
 シン・ウルトラマンでは、映画やドラマでは必ずと言っても入れられる成長物語ががっつり描かれないのですが、それは初代ウルトラマンの科特隊のメンバーも人間的に成熟している人たちが集まっているからなんですね。

 ただ個人の考え方、心の動きが変化していくのはありましたね。神永新二はいうまでもなく、長澤まさみさんの浅見弘子は特に。
 そのプロフェッショナルでさえも諦めて泣き言をいう最後の決戦よ…。滝君が好きです。ああいう演出大好き。

 だから人間的な成長ドラマ(心の動きや変化)がないというわけではなく、なるべく抑えられていてなおかつ中盤、最後の最後、それぞれの視点でがっつり見せるという手法が良かったなと思いました。


 あれ? ウルトラマンはともかくとして、あのメンバーで最後の最後に頑張ってたのって一人だけじゃね…? って感じたのは内緒。

 でも最後の再び前を向いて立ち上がる場面からの流れが大好きなのよ…。

 もしかしたら、あの人も真っ向からは敵わないだけで、攻略の仕方はわかっていたのかもしれない。だからヒントを与えたのかもしれない。それか、単純に予想外な攻略法だったから思いつかなかったのか。

 私は、攻略の仕方の作戦を聞いての理解の速度は、単純に彼の頭の良さがあるからですんなり理解できたんじゃないかなと思ったのですが…。
 攻略方法が本当に思いつかなかったのか、あるいは人間に攻略させるためにああいう行動をとったのか、という二つの考察を持つ私がいます。

 初代ウルトラマンは「こんなこともあろうかと」だったから、そのあっけない感じをオマージュしたのもあるかもしれませんね。
 初代のオマージュと新たな解釈での意外性の融合。

 


◯その他、気になった点

 マルチバース…。
 あと政府の男(同一人物とは明示されてない)他、どこかで見たことある方々がちらほら…。もしかして平行同位体?
 似ていても役名が違ったりするので、これは昭和特撮や今でもよくある特撮作品に出演してた俳優が別作品に出るというオマージュをしているんでしょうね。

 総理大臣の名前が別作品で俳優さんが演じてた人物と違う名前で明確に描写されているのにもかかわらず、政府の男が政府の男という名前なのは意図的にそう設定しているとしか思えませんね。こういうギミック好き。
 シン・ウルトラマンの政府の男も名前が明かされない前提だからこそ、赤坂という名前である可と考察ができますよね。

 シン・ウルトラマンは、ウルトラマンだけでなく『当時の特撮作品をオマージュ、リスペクト』した特撮愛溢れる作品でした。


 何度も見返したい…!

〇総括:特撮作品は脳内補完するものだ

 幼いころから特撮作品に触れてきたので、何かわからないことや強引なことがあっても「これはこういうものなんだ」、「あー、そうなんだ」という形で解釈できてしまうんですよね。

 逆にわかりやすい場面もあったりして、アメコミ映画だと「ここは笑わせるために入れたシーンなんだな」って明らかにわかるシーンがあったりしますよね。笑えなくても笑えても。

 だから画質がひどいとか、ウルトラマンの起き上がり方が変だと思っても「違和感あったけど、そういう演出なんだろう(理由があって省いたんだろう、そうしたんだろう)」ということで、飲み込んじゃうんですよね。
 まあ、飲み込んでも違和感はあるんですけどもw

 違和感をよい方向に脳内補完するのも、逆にツッコミを入れるのも、また一つの楽しみ方、考察の在り方なのだと思います。


 不満点も挙げてしまいましたが、好きなシーンがいっぱいある大好きな作品です!


 

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