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余白をデザインする

「余白」って気持ちいいですよね?

私と同じくグラフィックをメインとするデザイナーであれば、「余白」という言葉を見ると、レイアウトデザインにおける「余白」を思い浮かべるのではないのでしょうか。

ミニマムで要素を削ぎ落とした余裕のあるレイアウト。魅せたいオブジェクトの周囲にたっぷりと余白をとったレイアウト。こういった余白を生かしたレイアウトは、大好きなデザインのひとつです。

例えば、グラフィックデザイナーのヘルムート・シュミット氏、葛西薫氏。余白を多くとった彼らのデザインは見ていて、とても心地よい感覚になります。

Helmut Schmid/gestaltung ist haltung
葛西薫/映画「海よりもまだ深く」

しかし、「余白」はレイアウトに限ったことではありません。レイアウト以外にも、余白が生じるものはたくさんあり、それらの余白を意図的にデザインすることが、大切だと感じています。

余白を漢字で書くと「余った白」。だが本来の余白が持つその本質は決して「余り物」みたいなニュアンスとは異なる、強い力が込められていると思います。

今回は、そんな「余白の持つ力」を掘り下げていきたいと思いますので、デザイナーの方はもちろん、何かを意思決定する立場の方にも、読んでいただけると嬉しいです。


余白とシンプルの違い

余白と似た言葉に「シンプル」があります。

例えば、上記のビジュアルに対して、何らかのコメントをしようと思ったら、「シンプルだね」もしくは「余白があるね」とどちらの言葉でも言えると思います。どちらも正しいと思います。そのように印象としては同じような意味で使ってしまいがちですが、それぞれの言葉の持つ意味は対極的です。

まず「シンプル」とは、物事の本質を抽出して、それが分かるように余計なものを削除し、対象そのものにフォーカスすることだと思います。
シンプルの代名詞としてよく例に挙がるAppleの製品は、余計な機能や装飾は極力排除して、伝えたい価値や本質に、受け手の焦点が当たるように、シンプルであることを極めてデザインされています。

MacBook Pro/Apple HP

一方で「余白」とは、何もないところに人の思考や感情の変化が生まれるように、何もない間や空間を意識的にしつらえることだと思います。何もないところから、何かが生まれる、または何かが入る「器」として余白は機能するものだと思います。
日本画家の長谷川等伯による「松林図屏風」は、松林の周囲にある大きな余白に、見た人が何らかの情景を想像するように描かれています。

長谷川等伯「松林図屏風」/東京国立博物館HP

また、デザイナーの原研哉氏は、このような概念を「エンプティネス」と称しています。著書「白」からこの概念のことがよく分かる一節をいくつか引用させていただきます。

・描かれていない空白地帯を情報のゼロ地帯とはみなさない。それどころか、そこに意味の比重を加算しようとする心性が日本の美意識の重要な一端を作っている。
・何もないということは、何かを受け入れることで満たされる可能性を持つということである。
・空白がそこに存在することで、それを補完しようと頭脳が運動する。
・エンプティネスは単に造形的な簡素さや合理的に洗練されているというものだけではない。そこに自由な想像力を許容するスペースがあり、それを活用することで、認識の形成や意思の疎通が何倍も豊かになる。

原研哉「白」

このようにシンプルと余白は、見た目としては同じようなものを指している印象がしますが、その本質的な意味は対象的です。
シンプルは「対象物の内」に価値が生まれ、余白は「対象物の外」に価値が生まれます。

もちろんシンプルと余白のどちらが上か下かということではなく、どちらも重要な概念で、非常に近い領域で共存しながらも、異なる概念を持っているものです。


余白はどこに生まれるのか

余白は大きく分けて、「視覚の余白」「思考の余白」があると思います。

まず「視覚の余白」は、目からの情報によって得られる物質的な余白です。いくつか例を挙げます。

・レイアウト
グラフィックデザインにおける平面空間にある余白。
私がデザインを担当している「FORCAS」のBXデザインにおいても、余白を意識したデザインをポイントとしています。白い余白がつくりだす、品のよさや洗練された印象、心地よい空気感などを印象として与えることができ、FORCASというブランドの世界観を醸成する要因のひとつとなっています。

FORCAS HP

・空間
立体的な空間にも余白は存在します。
例えば、茶室は、過度な装飾を省いた、必要最低限な要素で構成されていることで、もてなす相手によって、使い手が自由に室内を拡張することができます。
現代のオフィスデザインにおいても、使い方を限定することなく、あえて余白や無駄を残すことで、偶発的なコミュニケーションが生まれるような設計をしている場合もみられます。

・本の見返し
少しマニアックなものになりますが、「本の見返し」も余白と言えるでしょう。見返しは、表紙と本文を連結して補強するための紙ですが、その本来の機能的な意味に合わせて、表紙をめくった後に、一呼吸つくことで、物語が始まるまでの期待を感じさせる効果などがある気がします。これも余白の力だと思います。


もう一方が「思考の余白」です。

これは、何らかの情報を認知したときに、頭の中に生じる概念的な余白です。こちらもいくつか例を挙げます。

・意味
言葉や原則などにも、受け手次第で、ある程度自由に解釈する余白をもうけることができます。
私たちDESIGN BASEのビジョンに「Design Forward」という言葉があり、「デザインの力によって、世界を前に進めていこう」という想いを込めています。
しかし、どんな行動や成果が「Design Forward」と言えるのかまでは規定していません。言葉の意味合いから感じられる受け手の解釈の余白を残すことで、自分だけの「My Design Forward」を考えられるようにしています。
このような、ビジョンなどは、押しつけのようになってしまいがちなので、ある程度解釈の余白があった方が、受け手の自分ごと化につながるのでしょう。いい意味での曖昧さに価値を感じることができるのが、日本人の感覚として誇るべきものだなと、この機会に改めて思いました。

・ディレクション
プロジェクトなどにおけるディレクションにも余白が必要です。
例えば、アートディレクターからデザイナーにディレクションをする場合、細かいところまで言い過ぎてしまっては、デザイナーの創造性を阻害してしまいます。お互いの信頼関係を考慮して、どの範囲までが、決めなくてはいけない部分なのか、任せる部分なのか、そのような余白の大きさを決めることが大切になってきます。

・ブランド
ブランドにも一定の余白が必要になってきます。ブランディングにおいて、ガイドラインを規定し、それを守りながら運用していくことはとても大切なことです。
しかし、ブランドがずっと同じ状態で居続けることは、時代の変化に取り残されてしまう場合もあります。そのために、世の中の変化に対応できるような余白を残しておくことも大切になってきます。これはルールを決めないということではなく、変えてはいけない部分と変えてもいい部分を明確にすることだと思います。

・「視覚の余白」と「思考の余白」の混合
場合によっては「視覚の余白」と「思考の余白」が混ざり合っているものもあるでしょう。
例えば、プロダクトにおける余白が該当するのではないでしょうか。
私が好きなプロダクトのひとつにNotionがあります。使用してる方はご存知だと思いますが、カスタマイズ性に優れたユーザーの自由度が高いプロダクトです。一定の使い方はあるものの、それをどう組み合わせるかという、余白は無限にあります。こういう余白があることで、プロダクト上で自由に自己探求ができる。そのことによってもっと使いたくなる。このような余白が、愛されるプロダクトには必要なのかもしれません。


余白はなぜ必要なのか

それは「自由」のためだと思います。

一定の余白があることで、受け手は、その余白に何かを見立てる自由を得ることができます。
「このスペースは何を意味するのだろうか?」「こういう解釈もしてもいいのだろうか?」「ここまではやっていいのだろうか?」
といったように、受け手が主体的に自由な発想や問いを生むことができるようになると思います。

私が、レイアウトに感じていた「視覚的な余白」の気持ちよさも、余白に生じた間によって、一呼吸つくことができ、そこを起点に目や脳が、何にもせきとめられることなく、自律的に動くことが、その気持ちよさの正体だったのかもしれません。

余白によって、受け手が自由に動ける領域が増える。
そこから創出される自由な発想に期待することができる。
余白にはそのような力があると思います。


余白をつくるには

その際に重要になるのが、「シンプル」です。
対象物の本質的な価値をシンプルにして伝えることで、その周囲にある余白を想像することができるようになります。

大事なのは、
・本質をシンプルにして受け手に伝えること。
・伝わった本質を起点とした発想が生まれるような余白をつくること。

だと思います。

この二つのバランスがとれていないと、自由な発想のためにもうけた余白から、本質から全然関係のない発想を生じさせてしまう可能性もあります。

まずは物事をシンプルにするために、本当に大事な要素を見抜き、誰が受け取っても、解釈がぶれずにその価値が伝わるように、磨き上げることが必要になるでしょう。
その上で、変わってしまってもいいこと、遊びがあってもいいこと、つまり余白を決めるのだと思います。

デザイナーの葛西薫氏はこのように語っていました。

僕にとって、ポスターとは、世界の一部のトリミングに過ぎなくて、その周りにある大きな広がりを想像しながら作っているところがあります。  全部表したくない。つまり、見えるものによって見えないものを感じてほしい。だから、「葛西の広告は寂しい」とか「力がない」とか言われることもあるのですが(笑)。

日経ビジネス/よい広告とは「風の吹いているおじさん」です。

つまり、見えるもの、本質的な価値をシンプルにすることで、その周囲の余白も、感じ取ってもらえるようにできるということだと思います。


まとめ

もちろん全てに余白が必要ということではありません。確かな方向性や、明確にしたいことなどがある場合は、余白は受け手に戸惑いを与えることもあるので、そこのバランスをとる必要はあります。この余白の大きさのバランスをどう取るかが難しいところでもあります。

それでも、余白をきちんとデザインすることで、見た人や受け手の自由な発想や行動に、期待し、その可能性にかけることができると思います。
視覚的な余白でも思考的な余白でも、全てを規定しすぎていないか、物事を決めるときには一度考えてみる必要があります。

「そこに気持ちいい余白はあるか?」

そう自分の心に問いて、これからも「余白をデザイン」していきたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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