静かな日々
おかげさまで静かだけど、楽しい誕生日と結婚記念日を迎えることができました。こうして静かに日々を過ごせること、とても嬉しく思ってます。
私は幼い頃から、静けさに魅了されていました。家の周りは豊かな自然に囲まれており、静かな日々は私にとって当たり前の風景だった。
鳥のさえずり、風に揺れる木々の音、そして時折聞こえる遠くの川のせせらぎ。これらの音は私の心を落ち着かせ、内なる平穏をもたらしてくれました。
都会に移り住んだのは大学進学がきっかけでした。もう20年以上前のことです。
東京の喧騒に圧倒されながらも、私は新しい生活に胸を躍らせました。高層ビルの合間を縫うように走る電車、人々のざわめき、車のクラクション。
しかし、これらの音が日常の一部となるにつれて、次第にその中で自分を見失いかけていることに気付きました。静かな日々がどれほど貴重であったかを再認識するのに、さほど時間はかかりませんでした。
そんなある日、私は偶然にも静寂を求める場所を見つけました。
大学の事務室の裏手にある小さなベンチ。そこは都会の喧騒から逃れるオアシスのような場所でした。
木々に囲まれたベンチに腰掛け、本を開くと、時間が止まったかのように感じられました。鳥のさえずりと風の音が再び私の心を包み込み、私はその瞬間に故郷の静けさを思い出したのです。
静寂は単なる無音の状態ではない。それは心を癒し、内省するための空間であり、私に自己を見つめ直す機会を与えてくれるもの。
都会の生活に慣れ親しんだ今でも、私は時折このベンチのことを思い出します。ガヤガヤと友人たちと話すことも楽しかったし、1人になる時間も楽しかったなぁ。
そして、私にとって静けさは他人との繋がりを深めるための手段でもありました。
友人と共にベンチに座り、言葉少なに景色を楽しむこともありました。その沈黙の中で交わされる心の会話は、言葉以上の意味を持っていました。
人は時に、言葉を超えた理解や共感を求めるものだと思っています。それは静かな環境の中で同じ時間と景色を共有し、語り合うことで、そうした繋がりが生まれるのかなぁなんて思っています。
このように、静かな日々は私に多くのことを教えてくれました。それは自然との調和、自己との対話、そして他者との深い繋がりを築くための大切な時間。
現代社会の喧騒の中で、静けさを見つけることは難しいかもしれませんね。しかし、意識してその瞬間を求めることで、私たちは心の平穏を取り戻し、豊かな人生を送ることができるのではないかと思っています。
大学を卒業して数年ぶりのある秋の夕暮れ、私は再びそのベンチに腰を下ろしていました。木々の葉は赤や黄に染まり、夕陽がその美しさを一層際立たせていたのを覚えています。ベンチに座りながら、私は深呼吸をし、静寂の中でこれからどうしようかなぁとボーっとしていました。
なんとも言えない静かな時間でした。その静かな時間がとても愛おしく感じられました。
静かな日々が教えてくれるものは、言葉では尽くせないものですね。忙しい日常の中で、静かな日々を見つけることは難しいかもしれませんが、その価値は計り知れないものがあります。
静かな日々に感謝し、その大切さを忘れずに生きていきたいなぁなんて思うようになりました。できたら、ゆっくりお酒なんか飲みながら。
私にとって静けさは、心の安らぎと幸福の源であり、これからもその瞬間を大切にしていきたいものですね。
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